5章5話:定期テストラプソディー
全員に覚悟を決めろと海堂が言い放ってから数日が過ぎた。バレー部は以前にも増して精力的に活動している。
一番の変化は、海堂がレシーブ練習に指導のために混ざるようになったことだ。
今までのジャージ姿ではなく、部員たちと同じようにゲーパンとTシャツという格好で、さらに両膝にはテーピングとサポーターを使うという重装備である。
「もっとかかとを浮かせて前傾姿勢」
「はい!」
「速いボールに対応するためには絶対必要な姿勢だから覚えて」
「はい!」
久我山と二人で毎日自主練時間のギリギリまで火野に付き合っている。
「でも海堂!」
火野の声に海堂が隣を見ると、火野は首を横に振った。
「足!足やばい!生まれたての鹿みたいになっちまう!」
プルプルと震えている火野の逞しい足を見て、海堂はその太腿をひっぱたいた。
「何のために鍛えさせてると思ってんの。我慢しなよ」
「し、しんどい、です……」
情け無い声に久我山が笑いを堪えているのを視界の端に入れつつ、海堂は火野に向かって言い放つ。
「勝つんでしょ。楽しめる余裕が欲しいんでしょ」
「……やります」
と落ち着いた表情で言った直後に
「痛い!待って待って待って待って!つった!左足つった!」
悲痛な声を上げて床に転がった。ついに堪えきれない、と言わんばかりに久我山が噴き出す。
「ぎゃっはははははは!ダッセ!やば!うははははははは!」
「ちょ、え、やばいやばいやばい!久我山さん笑ってないで助けてくださいよ⁈痛い痛い痛い痛い!」
呆れ顔の海堂は転がった火野の左足を掴む。
「海堂⁈何してんの⁈」
シューズを脱がせると、思いっきり丸まっていた足を伸ばさせる。
「あああああああああああああ!」
火野の大絶叫が響いた。
練習後の更衣室で半泣きの火野はスラックスに足を通す。
「くそ〜〜、海堂め〜〜」
「アレを見て笑うなは無理ゲーだわ」
恨み言を言った火野に瑞貴がそう言うと、大袈裟にショックそうな顔をしてみせる。
「ひどくないですか⁈久我山さんは笑うし、瑞貴さんまで!あ!ヌマヌマ!笑ってんの見えてたからな!」
狭い更衣室の中は蒸し暑く、ドアは半開きのままになっている。中から聞こえるやりとりに、海堂は小さく苦笑いして自分の膝のサポーターを外した。
そのサポーターはよく使われている筒状のモノではない。膝の頂点の部分に穴が空いており、両脇には曲げ伸ばしの際の負担を減らすために金属製のバネが二本添えられている。怪我をしてからリハビリの間に使っていたモノを、クローゼットの奥から引き摺り出してきたのだ。
両親はもちろん、兄弟も驚いていた。足と気持ちの心配をされたが、これは自分の覚悟だと言ってそれを黙らせた。
膝の怪我は完治した。もう手術もサポーターも必要ない。それでも長時間レシーブの姿勢を保つことは大きな負担を強いる。
今まで以上にボールに触れば、またやりたくて辛い思いをするかもしれない。だが、海堂はそのためらいを投げ捨てた。
(覚悟を決めろと言ったのは私。だったら、私も覚悟を決めないといけない)
無残な傷痕を見るたびに、未だに消えぬ後悔が燻る。試合を観ていると、身体が試合中の高揚を求めて疼き出す。
(きっと一生そうやって生きていくんだ。バレーを捨てられない私はそうするしかない)
北雷の部員たちは、苦しさを乗り越える覚悟を決めた。
そしてバレーを捨てられず逃げることも出来ない海堂は、呪いのようにつきまとうモノを一生抱えていく覚悟を決めたのである。
「海堂、おはよう」
数日後の朝、教室で火野に声をかけられた海堂は机の上のルーズリーフから目線を上げた。
「あのさ、この間くれた足強化のメニューあんじゃん?アレもうちょっと負荷掛けられない?」
机横の通路にかがみ込んだ火野は机に頭を乗せてそう言う。
「ダメ。危ない」
「そうなの?」
「わりとギリギリ攻めてるから、これ以上はちょっとね」
「分かった」
最近この二人の会話の頻度がぐっと上がった。おかげでクラスメートたちはいらない勘違いをしているらしいが、そうされるくらいにはずっと話している。
「この間教えてくれた動画観たんだけど、あのチームの六番すげえな!バヒュッて上がったトスにグワっと食いついてズドンだもんな!」
しかも本人たちは自覚無しである。と言うのもその十割がバレーの話であり、それに夢中になっているからだ。
「堺ブラウリオンズはVリーグでもトップクラスのチームだ。もちろん選手も粒揃いで、日本代表を何人も輩出してる。この間一人ブラウリオンズからイタリアのチームに移籍したの知ってる?」
「え⁈イタリア⁈」
「そう。イタリアのセリエAっていうリーグがあって、そこのバレーボールの一部。つまり、イタリアのバレーのトップリーグに一人移籍したの」
「海外挑戦ってこと?すげえな」
「ロシアリーグに移籍した人もいる。そういう選手、実はけっこう増えてるんだよ」
火野は人を周りに集めるタイプの人間だ。身体が大きくて威圧感はあるものの、明るく人当たりも良く、そしてとっつきやすい。対する海堂は威圧感に加えて愛想がなくとっつきにくい。正反対な二人の組み合わせだが、バレーの話をしている間だけは上手く成立するのだ。
「あ、そうだ、今日体育あるじゃん?バド、リベンジな」
「ええ……」
「あのまんまじゃ情けないからリベンジ!自分の試合が終わったら使ってないコートに集合!」
「審判は?」
「凉で良くね?」
「……二十点マッチね」
それを聞いていた凉はギョッとして止めに入る。
「やだよ。めんどくさい」
「え〜、自分の試合終わったらさっさとサボってるくせに」
「体力の温存。部活があるんだから考えなしのバカみたいに動かないようにしてるだけ」
「持久力の無いヤツの言い訳は見苦しいな〜」
「んなっ……」
言い返そうとしたが言い返せない。一年生の中で一番持久力で劣るのは実は凉なのだ。テクニックでは他を凌ぐが、そこだけは負けている。インターハイ予選の一回戦もスタミナ切れで交代を申し出た。
しかし火野の持久力は見上げたモノだ。部活の外周では一番早く終わらせているのにその後もフルスロットルで動き回っている。
「ちゃんと走ってるんですかね、鈴懸クンは〜」
「顔がうるさい」
「ハァ⁈オレの親に謝れよ⁈」
そのままギャアギャアやり始めた二人を見て、海堂は呆れたようにため息をついた。それから机をシャーペンでかつかつ叩いてから首を傾げる。
「ねえ、二人とも」
襟首を掴んで怒鳴り合っていた二人は海堂のほうを見た。
「部活は大事だけど、再来週に期末テストがあるの忘れてない?」
その一言に、二人は思わず顔を見合わせる。
「神嶋さんがね、あんまり酷い点数を取るようならペナルティーを考えるって言ってた」
すると火野と凉のこめかみに冷や汗が伝いだした。部員には容赦の無い神嶋の考えるペナルティーだ。心底えげつないに違いない。
「二人とも中間ボロボロだったじゃん。火野は数Aと英表、凉は生物が赤点じゃなかった?」
「何で知ってんの……」
「怖……」
違う意味で冷や汗を流し始めた二人を見つつ海堂は話を続ける。
「私も国語が四十点代だったからあんまり人のこと言えないけど、そこそこ点数取らないと神嶋さんは本当にやるよ」
「やばいじゃん。死亡確定」
「めっちゃ忘れてた。インターハイ予選で頭いっぱいすぎた。二人とも勉強してる?」
火野の問いに凉は首を横に振る。
「待って?海堂は勉強してんの?」
「は?裏切り者じゃん。許さない」
凉は目を見開いて低い声でそう言う。
「赤点取ったら確実にパソコンとスマホは取り上げられるしお父さんが怖い」
「い、意外と普通の理由なんだな……」
火野がそう言ったとき、朝の予鈴が鳴った。
その日の夜、家で海堂は死体と化していた。
「うわ……、終わらん……」
目の前に広げられているのは数学のワークと提出用のノート。やりかけた問題が分からずに放置しているところである。
視界の端にパソコンが写る。
(バレー……)
伸ばしかけた手を慌てて引っ込めたが、代わりにスポーツバッグの中に手を突っ込んでバインダーを取り出した。
「……ちょっと見て考え直すだけだから」
中には今日部活で話し合ったことや、実際にやってみたいトレーニングメニュー、個人的な改善のポイントなどを聞いてまとめてある。それを踏まえて今まで勉強したことと突き合わせ、ベストなものを提案することにしている。
(野島さんから聞いた『常にスパイカーにとって打ちやすいトスを上げる』に必要なのは動きの早さだな。コースを読んでその先に早く動くことで、余裕を持ってトスを上げられる。余裕があれば、それだけ調整も出来るはず。でもこれは全員に応用出来るかも。動き出しが早くなれば相手も追いつくのが大変になる。ブロックが追いつけなくなればパワーのあるスパイカーでなくても得点しやすくなる。うん、いける。そうしよう)
ルーズリーフの「野島」と書かれていた部分に横線を二本入れ「全員」と書き直す。
(あと集中力も欲しい。県大会にもなるとどこも応援にも力を入れてくる。サンショーのアレで気を散らされたんだから、緋欧やニシハコの応援なんか気になって仕方ないに決まってる。それはどう対策するかな……。音声だけこの間の試合動画から取り出して流す?やれるかな。パソコンの勉強もしないとダメかもしれない)
机の引き出しから付箋を出し「動画、音声編集、本」と書きつける。
(それから……、火野の技術力向上、凉の持久力向上。一年の中で一番不安定だけど伸び代がありそうなのがここなんだよな。火野には私が教えてやれれば良かったんだけど、やっぱりそこは能登さんと川村さんに頼むしかないか)
ルーズリーフの下の方に書かれていた「火野」の欄に「川村、能登、依頼」と赤ペンで書き込む。
それをしばらく続けていると、気がつくとルーズリーフはいっぱいだった。ハッとして顔を上げる。
「十一時半……⁈」
時計を見ると知らないうちに一時間も過ぎていたことを知らされる。提出課題はまっさらのままだ。
「あ〜……、嘘だ」
ズルズルと椅子から滑り落ちて母に知られたら怒られそうな姿勢のまま呻く。同時にいきなり身体が重くなったような気がしてため息をつく。
(まあ、あと二日あるし。学校でやれば間に合うかな)
目蓋が落ちかけている。今すぐにでも眠れそうだった。
(うん、寝よう)
こんな状態で勉強したところで結果は見えている。それよりも眠ることのほうが先だ。
電気スタンドのコンセントを抜き、ワークとノートをスポーツバッグに入れる。布団を敷いてその上に横になったところで、海堂の記憶は途切れた。
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