5章4話:覚悟を決めろ

 午後になって学校が終わると、旧体育館には部員たちが集まり始める。

「チ〜ス……って、何これ」

 更衣室に入ってきた久我山はその中で半分死体になっている火野を見て首を傾げた。

「知らん。さっき来たらこうなってた」

 箸山はそう言いながら脱いだシャツをロッカーにしまう。

「久我山さん……、どうも……」

「お前何したの?」

 久我山は火野に質問しながら自分のベルトの金具に手をかけた。

「体育、バドだったんですけど、海堂にボコボコに負かされました。シャトルの勢い強すぎて怖かったっす。オレがバド部だったら絶対立ち直れなかった」

「もしかして怒らせた?」

 力無く頷いた火野を見て久我山はゲラゲラ笑う。

「ていうかバド出来るんだ」

「海堂めっちゃ運動神経良いです。基本的にスポーツ全般出来るんじゃないですかね」

「身体の使い方上手いもんな〜」

「ホントに怪我して辞めたのかって問い詰めたいくらいっすよ」

 床にあぐらをかいて不満気に言った火野の頭を、着替え終えた神嶋が軽くタオルで叩いた。

「それはやるな」

「やりませんよ」

 短いやりとりを交わして出て行った神嶋に続き、箸山も着替え終えて出て行く。

「さっさと着替えろ!俺たちも行くぞ!」

「はい!」

 久我山の言葉に、火野は元気よく返事をした。

 神嶋と箸山が体育館に入ると既にポールやネットが設置されていた。

「海堂とネットの準備やっときました。最後にボールのカゴ持って来ます」

 そう言ったのは凉だった。捻挫は中程度のもので、歩くことは出来るが走ることは出来ない。全治三週間だそうだ。その間部活はもちろん、体育の授業も見学となる。

 本人はそれを謝ったが、何はともあれ重くなくて良かったというのが部員たちの総意であった。

「……無理するなよ、怪我人」

「歩くのは平気なので大丈夫です」

 箸山の言葉にそう言って、体育館倉庫からボールの入ったカゴをがらがらと引いて来る。

 凉は、基本的に生意気だ。ツンツンしていて、しかも部内で一番のワガママ王子。同級生に文句やら注文やらをつけている姿がよく見られている。しかし、海堂に言わせればそれを止めない周りも周りだそうだ。

 完全に末っ子気質な凉だが、基本的に海堂の言うことは気持ち悪いくらい素直に聞く。

 そしてその海堂は、いつも通りの顔でパソコンを立ち上げていた。まるで土曜に自分がブチかました爆弾発言は忘れました、とでも言わんばかりの態度である。

 着替え終えた他の部員も体育館に入って来るが、チラチラと目線を海堂にやっている。しかし海堂は気にしない。と言うよりも気がついていないというほうが近い。

「ミーティングするぞ!整列!」

 神嶋が両手を叩いてそう言うと、張られたネットの前に全員が整列する。

「今日はまず初めに土曜の反省会からスタート。それが終わったらストレッチと外周、筋トレをやって基礎練習に入り、最後に紅白戦だ。反省会をやる分普段より練習時間は短くなるから、移動のときはきびきびと動くこと。それと暑いから水分補給しっかりな。自主練はいつもと同じで六時半まで。七時にはここを閉めるぞ。何か質問や連絡は?」

 テキパキといつも通りの指示を出してから神嶋は目線をぐるりと走らせる。

「無いようなら反省会からやるぞ。海堂、頼む」

 その言葉に頷いた海堂はパイプ椅子の上に置いたパソコンを操作し始めた。それを取り囲むように十二人が集まる。

 十三人がパイプ椅子の前にぎっしり集合するという若干奇妙な光景になるが、彼らにとっては日常茶飯事だ。

「映像を再生します。何かあったら止めますので言ってください」

 海堂の人さし指がカーソルを操作して、映像が再生され始めた。

 途中で止めたり指摘しあったりしながら見たために一時間以上かかり、その間暑いと文句を言いながらも全員が意見を交わし合った。

 結果のこともあっていつになく白熱した反省会になり、全員がああでもない、こうでもない、と言い合う。

 何はともあれ映像の再生が終わったことで反省会の九割方が終わり、十二人分の視線が海堂に絡み付く。反省会に限り、毎回最後を締めるのは海堂の役割なのだ。

 それを自覚しているらしい海堂は、あぐらをかいて座ったまま十二人のほうを見た。

「土曜日はお疲れ様でした。皆さんに、ミスとかそういうのを抜きにして聞きたいことがあります」

 毎回恒例の挨拶から始まり、海堂は真っ直ぐな目線を男どもに向ける。

「今回の試合の結果について、どう思いましたか?……率直な感想を教えてください」

 海堂の言葉に全員がポカンとした。こんなことを言うのは初めてだったからだ。

「悔しいな。全身の血が煮えたぎりそうなくらい。……次の機会は春高予選。そこで負けたら本当に終わりだ。どうしても逃せない。緋欧を倒して全国に行くためには、俺の力は足りなかった。どうにかしてもっと強くなりたい」

 しばらく流れた沈黙を破ったのは、神嶋のバリトンの声。いつかと同じようにざらついたモノを感じ取らせる声音に、ひくりと能登の眉が動いた。

 海堂の目線が神嶋の目を捕らえる。

「分かりました。ありがとうございます。他の人はどうですか?」

「それをわざわざ聞くあたりにお前の性格の悪さが出てるよね」

 次に声を上げたのは凉。瑞貴と同じ目がギラリと光る。

「自分の連続ミスに焦って周りが見えなくなってそれで怪我をした。とっさに避けられたから良かったけど、下手したら川村さんまで巻き込んでた。……余裕が無かった自分が一番情けないと思ってる。プライドに、傷が付いたよ」

 悔しそうに歯を食いしばった凉の顎のラインがぐっと持ち上がった。

「次は絶対に焦らない。もっとクレバーでスマートなバレーをしたい。そのために、ボクも力が欲しい」

「言うと思ってた」

「わざと言わせたんだ?」

「まあそんなとこ。さあ、他は?どうです?主将に続いて一年生まで決意表明をしたわけですけど、他の二年生はだんまりですか?」

 煽るようなその口調に、瑞貴は弾かれたように顔を上げた。

「もっとブロックが出来るようになりたい。もちろんスパイクもサーブもだけど、特にブロック!」

「なぜです?」

 間髪を入れない問いに瑞貴は瞬時に切り返す。

「スパイクに追いつけても止められなかった。止めることが全部じゃないのは知ってる、でもどうせならちゃんと止めたい。神嶋に比べたら俺の積んで来た時間は短いよ。それでも、口先だけじゃなかったら結果は必ずついて来る!」

 食い気味に熱っぽく言ってから瑞貴は再び口を開く。

「それと、弟に負けるの、嫌だから」

 それは今の瑞貴自身にとって正直な言葉だった。

 弟にだけは負けたくない。兄としての威厳を見せたい。身長ではとっくに負けた。要領の良さでもボロ負けだ。でも、だからこそ部活では負けられない。

「俺は対戦相手にも弟にも負けたくない。もっと試合に出たい。それだけだけど、理由としては十分だろ」

 熱の籠った目線に海堂は一度頷く。

「十分すぎるくらいです。ありがとうございました。……他にはいないんですか?」

「オレは!」

 突然大きな声が上がった。全員がそちらを見る。そこにいたのは元気印の火野和樹。

「余裕が欲しい!」

 あまりに漠然とした言葉に全員が黙り込む。

「試合に勝ちたい。上に行きたい。でもオレは、同じくらいバレーを楽しみたい!」

 火野は自分でも何を言っているのか分からなかった。ただただ、言葉だけがぽろぽろと溢れていく。

「やっとバレーを楽しく思えるようになった!この感覚を忘れたくないし、オレはここが好きだから、もっと北雷のみんなで長く試合をしたい!この間の試合は辛かったし、怖かった。だからまた次にサンショーとやるときは、余裕を持って楽しめるくらいに強くなりたい!」

 海堂の唇がニヤリと吊り上がり、悪魔のような凶悪な笑みを見せる。

「強くなったら上に行ける。そうしたらたくさんバレーが出来る。オレはオレの好きな人たちと楽しく長くバレーをしたい。だからもっと強くなる!」

 火野は自分の右手を握りしめて言い放った。

「サンショーも緋欧もブッ潰して!北雷が上に行く!」

 腹の底からの声に海堂を除くその場の全員が身震いする。

「その一言を待っていた」

 静まり返った体育館に海堂の低い声が落ちた。十二人分の目が海堂を見る。

「私が指示を出さなかった理由は、壁の高さを実感してもらうためです。指示を出したところで勝てたかどうかも分からない。ですが今まで私の指示込みで勝ってきたことを考えると、指示無しで負ける方が壁の高さを実感出来ると思いました」

 あっさりと明かされた土曜の真実。あまりにあっさりしすぎていて、思わず全員があぜんとした。

「アレが県四天王です。そして、緋欧はさらに強い」

 三白眼の奥底にゆらりと何かが揺れる。

「なぜならユースのセッターがいるから。緋欧の試合動画を観ましたが、センスも発想力もレベルが違う。普通ならこうするだろう、という普通が彼には無い。体格では周囲に劣る選手ですが、それを補って余りある才能を持っている」

 海堂の言葉に、神嶋は苦々しい顔で頷いた。

「アレは完全にバケモノです。そして緋欧にはそれに引けを取らない選手がゴロゴロ転がっている。サンショーを倒して県大会に進んだとしても、さらにトーナメント戦が待っています」

 紡がれる言葉は平坦だ。

「八つのブロックに分かれ、四校が選出され、最後の決勝リーグで二位か一位にならなければ代表枠は手に入りません。しかも県大会は三日かけて行われます。疲労もプレッシャーも、今までの比では無い。本当に苦しい戦いです」

 経験者の言葉は重みが違う。海堂の表情は、当時を思い出しているのかわずかに歪んでいた。

「中学ではレベルも違いますが、私ですら」

「つまり、難しいということを言いたいんだろう?」

 海堂の言葉を神嶋が遮った。

「県大会については俺もある程度頭に入れてある。実際に試合会場に行ったこともある。試合を観たこともあるし、シビアさも分かっている。あの空間で勝ち抜くのは苦しいはずだ」

 でも、と神嶋は言葉を繋ぐ。

「俺はやるぞ。俺を含めて五人いれば試合は出来る。ちなみに、今の話に怖気付いて辞めるヤツが出ても俺は怒らない。正直、俺もそうだからな」

 意外な一言に海堂は軽く目を見開いた。

「とは言え今さら引く気は無い。だから俺は夏の間に伸びてみせる。頼むぞ、海堂」

 するりと移された目線に海堂は首を縦に振る。それから海堂は真っ直ぐ目の前の部員たちを見て言った。

「私の中学のときのコーチが言っていました。『負けは次の勝ちへのスタートライン。勝ちは、次のレベルへのスタートラインだ』と。『負けても勝っても、終わりはどこにも無い。本人が終わりだと見切ればそこまでだけど、そうしなければ道はどこまでも繋がっている』と」

 三白眼に澄んだ光が浮かぶ。割れんばかりのセミの鳴き声に負けない芯のある声が紡がれた。

「勝つには継続が必要です。そして継続には覚悟が必要です。やればやるほど嫌な面が見えてしまう。好きなことをずっと好きでい続けるのは苦しい。血を吐くような努力も、自制心も忍耐力も必要です。だけど、日本の頂点を見たいのなら、神奈川の王者を倒したいのなら、どうかその道を選んでください」

 あまりにも落ち着いた声音に誰もが沈黙する。床に座ったまま海堂は続ける。

「私は、挑むと決めた人のために尽くしましょう。そして、挑むと決めた人の努力と引き換えに勝利まで導くことを鬼才の名にかけて誓います。さあ、どうしますか?」

 そう言ってから海堂は左手で体育館の入り口を示した。

「選ばない人は体育館から出てください。残ったメンバーで、練習を続けます」

 すると野島と川村が立ち上がる。久我山が驚いたように「ええっ⁈」と言った。

「海堂、オレたち練習したいんだけど、待ってる時間がもったいないからストレッチ始めていい?」

「そんなこと言われてもおれたち二人ビビらないヨ。むしろそんなんなら最後までやりきりたいジャン?」

「そういうわけで、先にやるわ」

 許可を求めるように言ったわりには勝手に始めてしまう。てっきり二人が辞めてしまうのかと焦ったらしい久我山だったが、その場に勢い良く立ち上がった。

「神嶋!ストレッチやろうぜ!」

 そう言ってスタスタと歩き出す。それから火野がそろそろと瑞貴に近寄った。

「瑞貴さん、ストレッチやりませんか?今日は凉が怪我してるから……」

 そこに凉が割り込んで来る。

「ストレッチのサポートくらい出来るけど」

「気遣ってんだよ」

「でも兄貴はいつも箸山さんと組んでるじゃん」

 瑞貴がチラリと箸山を見ると、彼は無言で立ち上がって瑞貴の隣に行く。

「瑞貴、やろう」

「お〜し!やるか!ハッシー、めっちゃ硬いからな!ガッツリやるぞ?」

「……それは俺のセリフだ」

 そうやって気がつくと全員がストレッチを始めていた。

 海堂はその光景をポカンとしたまま見つめている。それに気がついた能登がニヤリと笑った。

「ウチにビビリはいないみたいだから、メニューの見直しとか頼むよ」

 聞こえていたらしい川村が海堂の顔を見てゲラゲラ笑う。

「ははは!すっげえアホ面!鳩が豆鉄砲食らったみてえだわ!」

「朱ちゃんて意外と語彙力あるよネ」

 ストレッチを終えた部員から体育館を出て行く。

「さっさと外周終わらせてバレーしよう」

「だな」

「っしゃ、やるからにはやるぞ!」

「半端じゃつまんねえしな」

 呆然として背中を見送っていると、凉と火野に名前を呼ばれた。

「海堂、行こう」

「早くしろよ〜」

 だって、まさか全員が。

「早く!外周終わらせたらお前の大好きなバレーの時間だぜ⁈」

 誰一人欠けることなく新たな一歩を踏み出せるなんて、思ってもいなかった。

「……うるさい」

「ええ⁈ひどくね⁈」

 火野の大声を聞きながら、海堂は体育館から飛び出した。

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