4章18話:北雷の夏
「お帰り、川村!」
「おっせえよバカ!」
「止血出来て良かったな」
「お帰り、朱ちゃん」
口々にアレコレ言われた川村は、笑いながらそれに応える。
「何か旗色悪いよな?」
「四点差で負けてる」
それを聞いた川村は自分の膝をパシパシ叩いた。
「まあ、オレは涼しいとこで身体休めて体力ゲージは満タンです。ついでに水分補給もガッツリしたので元気です。と、言うわけで、野島尊クン!」
人差し指をピシリと向ける。
「ガンガントスちょうだいな!」
「言われなくてもガンガン上げてガンガン打たせるつもりでしたヨ!休んだ分働かせます!」
なぜか胸を反らせた野島の返事に川村は満足そうに笑う。
「おっしゃ、もっかい反撃だ!行くぞ!」
一方、ベンチに下がった火野はタオルで顔の下半分を覆って俯いていた。頭が真っ白で動かない。
(あっちい。家帰りてえ……。全身ベタベタしてて気持ち悪い。風呂入りてえ)
浅く呼吸をしていると、誰かに頭を上げられる。
「火野、ちゃんと見ろ」
静かな声は箸山のものだった。
「お前がこれまで戦った分が後に繋がれる様子を、ちゃんと見ろ」
「……ムリです」
目を伏せてそう答える。
「どうして?」
「今、なんも、見たくないからです」
火野がそう言うと同時に古湊がサーブを打ち、それを川村が拾いに行った。綺麗に弧を描いて上がったボールは野島に返球され、それを追った野島は頭上に放り上げる。既に空中で待機していた川村がスパイクを打つが、高階が上げた。
「川村さん、すげえ」
高尾のそんな声が火野の耳に入る。
「レシーブしてからすぐに助走に入ってる。動きが早い!」
うずうず、とするものが胸に生まれ、伏せた目を薄く開く。
高階が東堂に送ったボールがトスになり、柳原がスパイクを打った。神嶋がすんでのところで指にかすらせる。
「ワンタッチ!」
絶叫にも等しい声を上げ、その後ろでブロックフォローに入っていた久我山がボールを弾き上げた。トスにもなっていないそれを、飛び込んで来た川村が打つ。しかし東堂と真田がブロックで叩き落した。
笛が鳴り、サンショーは二十二点目を獲得する。点差は、五点。
「あと三点!締まって行くぞ!」
「ッシャァァァア!」
マグマのように沸き立つサンショーに対し、北雷は氷水のように冷え切る。敗色は濃厚で点差は絶望的。にも関わらず、誰の目からも戦意も光も失われていなかった。
サーバーは変わらずサンショーの古湊。全身が煮えたぎりそうな熱さの中、ジャンプサーブをお見舞いする。ほとんど床に飛び込む勢いで来た久我山が、手をボールの下に滑り込ませて繋ぐ。
「短いッ!」
野島が受け取り、トスを上げる。跳んだ能登と瑞貴を素通りし、行き着く先は川村朱臣。ゴガッ!と音をさせ真田のキルブロックを弾くが、その後ろに控えていた小平が東堂に送った。送られた東堂が上げたトスで古湊が瑞貴のブロックを打ち抜き、激しい破裂音とともに二十三点目を決める。
再度ボールがサンショーに渡り、古湊のサーブを能登が上げる。しかしその勢いを殺しきれずボールはコート外に出た。サンショーは、ついにマッチポイントの二十四点に乗り上げる。
サーブが打たれ、久我山が完璧なレシーブを披露する。トスは川村をめがけて上がった。
(向こうのブロック、アンテナとの間が少し空くクセがある。そこに上手く通せれば!)
繊細なコントロールを求められることは分かっている。自信はあまり無い。それでも、今の川村にはそれしか無かった。
打ち抜いたと思ったその瞬間、真田の腕が大きく動く。
(しまった!誘われた!)
その腕が、ボールを弾いた。
笛が長く鳴り、真田が吠える。
「おおおおおおお!」
「ナイスブロック!」
「真田〜〜〜〜!よくやった!」
「勝ったぞ〜〜〜〜〜〜!」
ネット越しの川村と目が合う。呆然としている川村に、真田は言い放った。
「サンショー、ナメてんじゃねえぞ」
審判の指示で、全員がエンドラインに整列し一礼する。
北雷高校は、インターハイ予選ブロック決勝敗退となった。
コートから荷物置き場まで戻る間に呆然とした顔で立ち尽くす火野を見つけた川村は、腕を引いてやる。
「ほら、行くぞ」
返事は無く、まだコートを見続けていた。
「火野、聞こえてんのか?」
「……た」
「ん?何?」
ともすれば聞き逃しそうな声の欠片を拾い、川村は聞き返す。
「すいません、でした」
「……もういいよ。終わったことだ。な?」
軽く背中を叩いてやる。お調子者の後輩の目がじわじわと滲んでいくのに気がつき、肩を抱いて軽く揺すった。
「だって、オレ、いるだけで」
「火野」
「何の役にも、立ってなかった……!」
ついに決壊したらしい両目を見て、火野の手にあったマフラータオルを頭から被せてやる。
「オレが、もっと、出来たら」
「ほら、早く来い。神嶋に怒られる」
体育館の入り口の方に向かって引きずりながら、声を揺らす火野に話しかける。
「確かに負けたよ。だけどさ、お前一人のせいじゃない。お前一人でやってるんじゃないだろ、バレーは。な?だからこの負けは、お前だけのせいじゃない」
「でも、レシーブもさせてもらえなくて、だから久我山さんも、神嶋さんも大変で。オレが、もっと上手かったら、困らせなかった、かも」
だんだん火野の歩みが遅くなってきた。それを変わらず引っ張りながら話し続ける。
「そんなん言ったらオレだってダメだよ」
「でも、一点しか」
「一点でもお前はよくやった。一点しか、じゃない。サンショー相手に、バレーを始めて三ヶ月の一年坊主が一点も、獲ったんだ。胸張れ」
「あ〜〜〜〜……」
ついに火野は膝から崩れ落ちて、渡り廊下に両膝と両手をついた。白い渡り廊下に、ぱたぱたと涙が落ちる。
「怖かった、んですよ」
「怖かった?」
隣にしゃがみ込んでそのまま繰り返すと、火野は小さく頷いた。
「バレー、怖かった。何も出来なくて、何もさせてもらえなかった」
そう言ってから、火野はぐずぐずと声を上げた。
「くっそ〜〜……、オレの下手くそ〜〜〜〜……」
胸の奥から、色んなモノが混ざって込み上げて来た。泡立て器でかき混ぜられた卵みたいにごちゃごちゃになった言葉には出来ないモノが、熱い塊になって身体の奥からずんずん迫って来る。それが全部涙に変わって溢れ出てきているような気がした。喉も目も熱くて、苦しくて、声を出さずにいられない。
「……お前よ」
川村が落ち着いた声で言うと、火野の濡れた目が川村を見る。
「まず立てや」
「う、あ、はい」
火野を立たせ、川村はその背中を強く叩いた。
「今日は負けた。そうだな?」
「……はい」
「お前は何も出来なかった。そうだな?」
「ッス」
「じゃあどうすんの。ここでずっと立ち止まって、一人でぐずぐず泣いてんのか?」
腕を組んだ川村の鋭い言葉に火野はいい淀む。
「……それ、は」
「違う?」
「違い、ます」
「よし。なら後は簡単だ。お前はとりあえずこの後自分の足で家に帰る。そんで、風呂入って飯食って昼寝しろ」
「……え?」
唐突な言葉に火野はフリーズする。
「話はまだある。先輩のありがた〜いお言葉だから、心して聞け」
「え、あ、はい」
「昼寝して晩飯前くらいまで寝ろ。したらその後はまた飯食え。それで明日は練習ねえから〜、とにかくお前の好きなことして気が済んだら寝ろ。それから明日はまた好きなことして、夜は早く寝ろ。んで、明後日は元気に学校に来い」
「……マジで言ってます?」
気がつくと涙は止まっていた。視界がクリアになって、ニカっと笑った川村が見える。
「めっちゃマジだよ。よしよし、泣き止んだな。さっさと着替えて帰るぞ」
スタスタ歩く川村の背を追って火野は歩く。途中で疑問を投げかけた。
「さっきのは、何だったんですか?」
張りのない声に振り向いた川村は首を傾げる。
「だから、飯食って寝ろ〜とか」
「ああ、それ?単純に切り替えろってこと。終わったことは終わったことだ。いくら泣いてもそれは変わんねえ。残念だし、とにかく悔しいし、すんげえ腹立つ。でも切り替えないといけないから。お前の切り替えを手伝えればいいなと思った。それだけ」
「タオルは?」
その疑問をぶつけられ、川村は目を閉じたり開いたりを繰り返してから口を開いた。
「それはお前……、泣いてるとこ、人に見られたくないかな〜と思ってさ」
「……」
「もういいか?」
「え、あ、はい」
「っしゃ、横須賀に帰んぞ」
二人分の後ろ姿が、暑さで揺らめく渡り廊下に消えた。
試合が終了した頃、凉はまだ病院にいた。土曜の緊急外来は思いの外混んでいたのである。
(試合どうなったかな……)
時計を見てそう思い、手に持ったスマートフォンのディスプレイを見てため息をつく。勝ち負けが分かれば、誰かしらが連絡を寄越すはずだ。それがまだ来ない。第三セットまで持ち込んだのだろうか。
半分祈るような気持ちのまま、スポーツバッグを抱えて目を閉じる。隣の間宮は腕を組んで黙ったままだ。
普段二年生の物理を担当している間宮とは一年生の凉は縁が無い。学校ではよくある話だが、顧問ではあるが競技経験は無いらしい。なので部活にも指導のために顔を出すことは無い。提出しなければいけない承諾書の類は全て神嶋を経由しているので、本当に話したことが無かった。
すると、間宮のスマートフォンが音をさせた。凉は弾かれたように顔を上げる。試合が終われば連絡をしろと、間宮が神嶋に伝えていたのを覚えていたからだ。
間宮は椅子から立ち上がり、外来の入り口の方へ歩いて行く。針金のように細いシルエットが外に消えて行った後、凉のスマートフォンからピコンと音がした。手帳型のスマートフォンケースを開いてディスプレイを見ると、火野から連絡が来ている。通知のバナーをタップしてアプリを開くと
「ごめん。負けた」
の二文が目に入る。
一瞬理解が追いつかず、呆然としてから一度ケースを閉じた。そのタイミングで間宮が戻って来る。
「凉君、負けたそうです」
二度目の宣告に口の中が乾く。それから目の前がじわりと滲んだ。
「そう、らしいですね」
何とか押し出した声は情け無い。ああ、今日は最悪だ。
「瑞貴君が帰る前に一度こちらに寄ってくれるそうですよ」
「分かりました」
それ以上は話せなかった。喉の奥から熱い塊が押し上げて来ていて、それを押さえるのに精一杯だったのだ。
(くっそ……!)
着たままのユニフォームの裾を握り締める。黒地に黄色で背番号と校名の書かれた、襟の無いシンプルなユニフォーム。この夏、練習試合を組まない限りこれを着る機会はもう無いだろう。
そのとき名前が呼ばれ、間宮に促されて椅子から立ち上がる。自分がひどい顔をしている自覚はあったので、本当に最悪だとしか思えなかった。
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