第34話 犯した約束
思った以上にプレゼント選びに時間をかけてしまったせいで、雨音の家についた頃には正午をとっくに過ぎていた。
もしかしたら雨音はもう帰っているかもしれない……
俺はそんなことを思うとゴクリと唾を飲み込んで、ゆっくりと玄関へと近づく。
本来の計画なら彼女が帰ってくる前に家に戻り、プレゼントを隠した後、何食わぬ顔をしていつものように雨音を迎える予定だった。
「……」
こっそりと持ち出した彼女の家の合鍵をズボンのポケットからそっと取り出し、俺は泥棒がごとく音も立てずに鍵を開ける。そして慎重な動きで扉を開けると急いで家の中へと忍び込む。
「……あれ?」
足を踏み入れた玄関で雨音の靴が見当たらないことに気づき、俺は思わず声を漏らした。
どうやらありがたいことに彼女はまだ帰っていないようだ。
「間に合った……」と今度は脱力するように声を漏らすと、雨音からもらったスニーカーを脱いで玄関へと上がる。
そして疲れた足を休めようとリビングに一直線に向かうと、俺はいつものようにソファへと座った。
「どうやって渡そうかな……」
紙袋を持ったまま、俺は雨音にプレゼントを渡す方法を考えた。せっかく雨音に気づかれずにプレゼントを用意することができたのだ。できれば彼女が喜んでくれる方法で渡したいのだが……
――こういうのは何でもサプライズ精神が大切でしょ?
ぼんやりとリビングを眺めていた時、ふいに雨音が言っていた台詞を思い出した。そういえば雨音は、俺にあのスニーカーをプレゼントしてくれた時にそんなことを言っていたような気がする。
「サプライズか……」
俺はぼそりと呟くと、もう一度リビングをぐるりと見渡してみた。
雨音が普段必ず見る場所にこっそりとプレゼントを隠しておけば、彼女がそれを見つけた時、かなり驚かせることができるんじゃないか?
俺はそんな雨音の姿を想像して、思わずニヤリと笑みを浮かべる。
いつも俺のほうがからかわれたり驚かされてばっかりだけれど、たまにはこういう形で仕返しをするのもありだろう。そのほうが、雨音が言っていたように『一生の思い出』にもなりそうだしな。
だったらどこに隠そうかと天井を見上げながら考えていた時、ふと二階にある雨音の部屋のことが頭に浮かんだ。彼女の部屋なら、雨音は絶対に部屋に入るし目につくところもたくさんあるだろう。それに、面白そうな隠し方もできそうだ。
「よし」と俺は紙袋を持ったまま立ち上がりリビングを出ると、雨音の部屋に入るために階段へと向かう。そして、いつかと同じように階段下から二階を見上げた。
「……」
自分でも律儀だなとつい感心してしまうのだが、俺はあの日以降、二階に上がったことがない。
単純に二階に訪れる用事がないというのもあるのだけれど、何となく雨音に悪い気がして足を踏み入れていないのだ。
まあ今日は誕生日プレゼントを渡す為だし大丈夫だろ。
そう思い、ほんの少しだけ感じる後ろめたさを誤魔化すと、俺はゆっくりと階段を上がっていく。雨音の家で過ごすことには慣れたとはいえ、普段訪れない場所に足を踏み入れるのはやっぱり緊張してしまうようだ。
ゴクリと唾を飲み込んでから二階の廊下に右足を下ろした俺は、そこで小さく息を吸った。
と、その時。ふと視界の隅に違和感を感じた。
「……開いてる」
廊下の奥、伸ばした視線の先には、あの時鍵がかかっていたはずの奥の部屋の扉がわずかに開いているのが見えた。
「……」
胸の奥で、心臓が嫌なリズムで脈を打つ。
俺と雨音の関係の、何かが試されている。そんな気がした。
俺はそっと両足を廊下につけると、息を潜めたまま奥の扉を静かに見つめる。そして振り返ると、階段下に視線を落として玄関の方をちらりと見た。雨音はまだ帰ってくる気配はない。だとしたら……
いつの間にか握っていた拳にも、そして背中にもじわりと汗が滲み始めていた。
俺は雨音にプレゼントを渡すために二階に来たはずだ。
そう頭の中では何度も言っているのに、踏みだした足は彼女の部屋の前を通り過ぎてしまう。
早鐘を打つ心臓。得体の知れない胸騒ぎが、自分の心を急速に飲み込んでいく。
大丈夫……今の俺なら、雨音だってきっと許してくれる……
うっすらと開いた扉の前で、俺はそんな言葉で自分の心を言い聞かせると、僅かに震える指先をそっとドアノブへと伸ばした。
冷たく不気味な金属の感触が皮膚に触れる。
俺は覚悟を決めるように一瞬息を止めると、ドアノブを握っている手に力を込めた。
そして、雨音と交わしたはずの約束を、自ら破る。
「何だよ……これ」
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