第14話 男子禁制の世界

「なぁ……ほんとにここに入るのか?」


 半ば拉致にも近い形で無理やり連れて来られた店の前で、俺は地蔵のごとく固まっていた。隣では、「そだよ」と雨音が相変わらず呑気な笑顔を浮かべている。


「…………」


 嫌な予感はしていた。

 どうせ雨音のことだから色んな店には連れて行かれるのだろうと覚悟はしていた。

 けれど……


「……お前、ぜったい俺のことからかってるだろ」


「え?」


 きょとんとした表情で首を傾げて俺のことを見てくる雨音。その表情があまりにも白々しかったので、俺は怒りを通り越して思わずため息を吐き出す。


「あのな……なんで俺がお前と一緒に……その……」


 モゴモゴと口ごもり、目の前の店から視線を逸らす俺に、「ん?」と雨音はわざとらしく耳に手を当てると顔を近づけてくる。

 そう、俺の反応からわかるように前方に悪魔のごとく待ち構えているお店は……


下着ショップ。


 何を血迷ったのか、雨音は真っ先にこのお店を選んできやがったのだ。

 下着、という言葉がまるで禁忌の言葉になってしまったかのように俺の口から出てこない。

 その代わり俺は、「じゃあな」とだけ小声で呟くとくるりと後ろを振り返り、この場から退避しようと試みた。が、すぐにがしっと右腕を掴まれる。


「こらこらちょい待ち! 何勝手にどっか行こうとしてるのよ」


「当たり前だろッ! だいたいこんな店に男の俺が入れるわけねーだろ」


 俺は強い口調でそう言うと、雨音の手を振り払おうとした。が、相手もなかなか強情でがっちり腕をホールドしてきて離さない。


「そんなことないよ。だってほら、男の人もちらほらいるでしょ」


「あれはだな……」


 ちょんちょんと店内を指差す雨音につられてそちらに視線を向けると、たしかに圧倒的に数は少ないけれど男性の姿も確認できる。 

 しかし、彼らに共通しているのは、仲睦まじく隣にいる女性と手を繋いでいたり楽しく会話しているということ。

 つまり、女性と一緒に入店できる条件が揃っている男たちなのだ。

 方やこちらは誘拐犯と家出中の中学生。そんなペアでこんな店に入る勇気など俺にはない。


「ムリムリムリ……」と壊れたラジオみたいに同じ言葉を呟き、何とかこの場から逃げ出そうと足に力を入れるも、雨音は「ほら行くよ!」と今度は両腕を俺の右腕に絡めてきた。

 だから何でコイツは平気でこーゆーことしてくるんだよ!


「やめろよ!」と声を上げるのも虚しく、肘が思いっきり雨音の大きな胸に当たっていることや、顔の距離がやたらと近いせいで俺はうまく身体を動かすことができず、そのままズルズルと入りたくもない店内へと連れて行かれてしまう。

 はたから見れば、今の俺はきっとかなりの不審者に違いない。

 雨音は俺が逃げ出さないようにする為か、店に入ってからもその腕を離そうとしない。そのせいでただでさえ心臓が爆発寸前なぐらい激しく暴れているのに、全方位どこを見ても刺激物か危険物しか目に映らない状況に、俺の思考は停止寸前だった。

 何なら極度の緊張のせいで無意識に息を止めていた。

 そんな自分の心境などいざ知らず、雨音は慣れた様子でぐいぐいと店の奥へと進んでいくと、「あ、これ可愛い!」と一人はしゃぎながら商品を吟味し始めた。


「ねえねえ彰くん、私だとどっちが似合うと思う?」


「………………」


 雨音は右腕で俺の腕を挟みながら、自分がピックアップした下着を俺の方へと見せつけてくる。

 鮮やかなスカイブルーも、パステルなピンクカラーも、今の俺にはどちらも毒々しい色にしか見えない。というより、そのわざとらしい質問の仕方に悪意さえ感じる。


「ほらほら想像してよ、どっちが似合う?」


「し、知るかよ……ってか普通そういうのは自分で決めるだろ普通」


 まったく普通ではない心境のせいで、俺は思わず同じ言葉を二度も使ってしまった。そんなことを言いながらも、頭の片隅では一瞬雨音ならどっちが似合うのだろうとリアルに想像してしまったことについては、口が裂けても絶対に言えない。

 俺は暴走し続ける邪念と煩悩を少しでも落ち着かせようと雨音の顔から視線を逸らした。

 が、どこを向いてもやはり無意味なのようで、今度は視線の先にレースのデザインがやたらと際どい真っ赤な下着が目に飛び込んでくる。


「なるほど……彰くんは赤が良いのか。けっこう派手好きだね」


「ば、バカっ! 違うに決まってるだろ! だいたい俺は……」


 白の方がいい。なんてことを危うく勢いのせいで口走りそうになり、俺は慌てて口を噤んだ。すると動揺している俺の姿がよっぽど面白いのか、雨音は肩を震わせて笑い始めた。


「彰くんはほんとに純粋だなー! お姉さん、もっとからかいたくなっちゃった」


「やっぱからかってたのかよ……」


 俺はせめてもの抵抗と言わんばかりに、目に涙をためて笑っている雨音の顔をギロリと睨む。

 しかし雨音はそんなことお構いなしで、次から次へと目についた下着を取っては「これはどう?」と俺に向かって見せつけてくる。 

 どうやらこの拷問じみた行為は俺がちゃんと答えるまで続けるつもりらしく、俺は悩んで悩んで悩んだ末に、恥もプライドも羞恥心も捨てると雨音に似合いそうなものをちろっと小さく指差した。そして彼女は、大爆笑。


「あははッ! たしかにこれは彰くんなら好きそうッ」


「………………」


 俺なら好きそうってどういうことだよ……なんでお前にそんなことわかるんだよ!


 かつてない屈辱感と敗北感がきりきりと胃と胸を締め付ける状況の中で、雨音は上機嫌に俺が選んだ下着といくつか自分で選んだものを持ってレジの方へと向かっていく。

 やっと解放された俺は一目散に出口へと向かい店を出ると、通路の中央に設置されているベンチに倒れこむように座った。たかだか20分にも満たない時間だったはずが、まるでフルマラソンを走らされたぐらいの疲労感と汗が全身にぐっしょりと広がっていた。ダメだ……本気でもう帰りたい。

 疲れ切った表情でベンチに背中を預けていると、目の前から小さな紙袋を右手に持った雨音がとことことやってきた。


「お待たせ! ……って、なんでもうそんなに疲れてるの?」

 

 きょとんとした表情を浮かべて尋ねてくる雨音に、俺は呆れ過ぎてしまい大きなため息を漏らす。


「……疲れるに決まってるだろ。もう二度とお前と一緒に店なんて入らないからな」


「えー、そんな寂しいこと言わないでよ。それにほら、彰くんのおかげでお気に入りの下着も見つけることができたし、帰ったら特別サービスで見せてあげるからさ」


「いらねーよそんなサービス……」


 笑顔で堂々と衝撃的なことを言ってくる雨音に、俺はふんと鼻を鳴らして顔を背けた。もちろん、恥ずかしくなったのを誤魔化すために。


「照れるな照れるな、ほんとは私の下着姿に興味あるくせにー」


 雨音はじゃれるような口調でそんなことを言ってくると隣に座り、人差し指でつんつんと俺の頬を突いてくる。

「やめろよッ」と俺はその指を咄嗟に払いのけると慌てて立ち上がった。


「お、やっと立ち上がったね。それじゃあ次のお店に行こっか」


 雨音はそう言うとすぐに立ち上がり俺の隣へと並ぶ。その顔は、まるで悪戯に成功した女の子みたいに楽しそうだ。


「……」


 認めたくはないけれど、俺はこの女に完全にもてあそばれていると思う。

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