第15話 やり手の女

 下着ショップでの衝撃的なやり取りの後、俺は雨音に強引に連れられるまま色んなお店を回る羽目になってしまった。

 レディースのアパレルショップはもちろんのこと、アクセサリーやバッグのお店。ちょっと小洒落た100円均一の雑貨屋に立ち寄ることもあれば、何のこだわりを持っているのか、カラフルな石ころみたいな形をした石鹸が並ぶ専門店など。

 そのどれもが普段の俺なら絶対に足を踏み入れないようなお店ばかりで、入るだけでもかなりの気疲れを強いられる上、雨音は何か気に入った商品を見つける度に「どうどう?」と聞いてくるので非常に鬱陶しかった。

 しかもその距離感がやたらと近いので、身体は疲れていても心は妙にそわそわして落ち着かず、余計疲れが蓄積されてしまう始末。

 やっとの思いで俺の目的だったメンズフロアにやってきた頃には、もはや心身ともにヘトヘトだった。


「お、なかなか似合ってるじゃん」

 

 姿見の前。雨音がチョイスした黒のベストを無理やり着せられた俺は、ただ呆然と突っ立ていた。

 目の前の鏡に映るのは、マネキンがごとくピクリとも動かない自分。その隣では、何故か一人盛り上がっている雨音の姿。

 俺はそんな彼女の姿を鏡越しに見ると、思わず小さくため息を漏らす。


「いや俺、こんな服着ないしいらないから」

 

 そう言ってベストを脱ごうとすると、「ちょっと待って」とすかさず雨音が止めに入った。


「やっぱりボタンはとめといたほうがいいかな……」


「あのさ……俺の話し聞いてる?」


 あなたはここの店員ですか? と思わず聞いてしまいそうなほど、雨音は俺のファッションチェックに余念がない。

 勝手にベストのボタンをとめていく彼女の姿を見て、なんでコイツの方が気合い入ってたんだよ、と再びため息を吐き出そうとした時、嬉しそうな雨音の声が耳に届く。


「ほら! やっぱりこっちの方がもっと似合ってる! 大人っぽいし、なんかカッコいい」


「…………」


 何言ってんだよ、と白けた声で突っ込みをしてやろうと思ったのに、不覚にも、ちょっと心をくすぐられるワードを二つも言われてしまい思わず言葉が喉の奥に詰まる。

 すると「あと必要なのは……」と難しそうな表情を浮かべて顔を近づけてきた雨音は、右手を自分の頭に乗せると、そのまま少し斜め下にスライドさせて俺の頭の上へと合わせてきた。


「……お前な」

 

 その動作の意味を一瞬で理解した俺は雨音の顔をギロリと睨んだ。すると彼女は「まだ何も言ってないのに」と面白そうにクスクスと肩を震わせる。


「心配しなくても君は男の子なんだしまだまだこれから伸びるよ」


「……」


 やっぱ言ってんじゃねーか、と俺はさらに目を細めた。けれど効果がないことはわかっているので諦めて視線を逸らすと代わりにため息を吐き出す。


「ほらほら、優しいお姉さんが何でも買ってあげるからせっかくだしこのベストも買っていこうよ」


「だからいらないって。それにお前に買ってもらう義理なんて俺にはねーだろ」

 

 俺はそう言うと、雨音の隙を突いてベストを脱いでハンガーへと戻した。すると、それを見た彼女が唇を尖らす。


「もうッ、そういうところは可愛げがないなー。こういう時はね、ちゃーんと甘えとかないとダメなんだよ」


 わかった? となぜかお説教じみた感じで言われてしまい、俺はますます顔をしかめる。恐らくこの感じだとさっきと同じで、俺がちゃんと選ぶまで解放してくれないだろう。


「わかったって……」と半ば呆れた感じで返事をすれば、雨音は腰に手を当てて満足そうにうんうんと頷く。誘拐されたはずの自分が、寝床や食事の提供も含めてここまで至れり尽くされてしまうのは、やっはり怖い。

 後で百倍返しだとか言って高額な請求書とか渡してくるつもりじゃないだろうな? なんて疑念と不安を滲ませて相手の顔を睨むと、雨音はきょとんとした表情を浮かべて小首を傾げた。


「……」


 俺はそんな雨音の姿を見て再び小さくため息を吐き出すと、ヤル気のない足取りで店内の物色を始める。後々の万が一のリスクも考えて、出来る限り安いものばかり選んでいると、突然雨音が横から口出ししてきた。


「それ、何のデザインも入ってないよ? そんなのでいいの?」


 超特価500円! と値札が貼られたどこにでもありそうな無地の白Tシャツを手に取ると、雨音はえーっとなぜか不満げな表情を浮かべて言った。俺はそんな雨音に向かってさらに不満たっぷりな顔を向ける。


「べつに何だっていいだろ。それに俺、ファッションなんて興味ないし」


「ダメダメダメ! そんなの勿体ないって。君は磨けば光る原石なんだから、もっと色んな服装にチャレンジしてみないと」


 雨音はそう言うと、「よしッ」と気合いを入れて店内に並んでいる衣服をチェックし始めた。そして気になる商品を見つける度に、俺に無理やり試着させようとしてくる。


「だからいらないって! って、おいちょっと離れ……」


「いーからいーから! こういうのは何でも試してみるのが大事なの」


 鮮やかな青が目立つマリンテイストなシャツを握りしめながら雨音は隣にピッタリとくっついてくると、強引にシャツの袖を俺の腕に通してこようとする。

 そのせいで雨音の柔らかな指先はやたらと腕に触れてくるし、大きく開かれた胸元はその豊満さをアピールするかのように間近で揺れていて、正直目のやり場に困ってしまう。

 かと言ってそんな状況から逃げ出すことができるわけもなく、俺は雨音になされるがままに一人ファッションショーみたいな地獄の時間を迎えることになった。

 が、意外にも雨音の選ぶ服はセンスが良く、最初こそ乗り気ではなかった俺だったが、鏡に映る新しい自分を見るたびに心を動かされてしまい、最終的には彼女が選ぶ服にノーとは言えない状況になっていた。

 

 この女……やっぱりかなりやり手だ。


 そんな自分の心境はいとも簡単に見抜かれていたようで、雨音は嬉しそうに両手いっぱいに俺に試着させた服を持つと、「じゃあ全部買ってくるね!」とニコリと衝撃的な言葉を口にして、本当にレジに向かおうとした。 

 さすがに焦った俺は、「そんなにいらないって!」と慌てて彼女の持っている服を奪おうとしたが、雨音はひょいと身体を捻ってそれをかわす。


「心配しなくてもお金は持ってるから大丈夫だって! それにうちの家って男の子の服とか全然ないし、これぐらいあった方が彰くんも住みやすいでしょ?」


「……なんでお前の家に住む前提で話しが進んでんだよ」


 そう言って呆れた視線を送ると、雨音は誤魔化すようにてへっと笑って小さく舌を出す。そして今度は少し悩ましげな口調で言った。


「んーでもこの服ほとんど私が選んじゃったやつだしなー。彰くんは気になる服とかなかったの?」

 

 そんな言葉が聞こえた直後、くるんとした綺麗な瞳が突然目の前に迫ってきて、俺は慌てて顔を逸らした。


「べ、べつにそんなの無いって」


「ほんとに? こんなチャンスなかなか無いんだよ? 私としては彰くんに喜んでほしいから、何か一つくらいリクエストしてくれたら嬉しいんだけどなぁ」


 ほんとにないのかなぁ? とわざとらしく何度も同じ言葉を呟く雨音に、俺は視線を逸らしたまま黙っていた。

 その言葉に一瞬頭に浮かんだものはあったのだけれど、なんだか雨音の好みに合わせていると思われるのが嫌で、恥ずかしくて言いづらい。

 けれど彼女は何か勘付いたのか、「彰くんの好みが知りたいなぁ」と今度は甘い声を出して追い詰めてくると、俺の顔をじーっと見つめてくる。

 一向に拉致があかない気配に俺は思わずため息を吐き出すと、諦めてそっと唇を開いた。


「じゃあ…………ベストで」

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