第10話 初めての繋がり

 雨音の手料理は、冗談抜きで美味しかった。

 スープに海鮮パスタ、それにサラダと洋風メニューとしては定番のラインナップだったが、どれも隠し味が添えられていて、俺が今まで食べてきた中で間違いなく断トツに美味い。

 けれどそれを言葉にしてしまうと何だか負けた気がするので、俺は黙ったまま食事を進める。


「どうどう? 美味しい??」

 

 テーブルに腕を乗せて頬杖をついている雨音が興味津々に聞いてきた。くるんとした大きな瞳が上目遣いに自分の顔を覗き込んできたので、俺は恥ずかしくなって思わず視線を逸らしてしまう。


「……ま、まあぼちぼちだな」

 

 控えめな声で天邪鬼な感想を告げると、雨音はクスクスと笑い始めた。


「君はほんとに素直じゃないなー」


「……うるせーよ」

 

 ふんとそっけない口調で言葉を返すと俺は雨音から顔を背ける。けれど、お腹は減っているので食事は進める。


「けどこうやって自分が作った料理を誰かに食べてもらえるなんてやっぱり幸せだな」

 

 ふいに聞こえた雨音の言葉に俺はちらりと彼女の方を見ると、「そうなのか?」と呟く。すると雨音が嬉しそうにニコリと笑った。


「うん! 今までは食べてくれる相手なんていなかったし、それにいっつも一人ぼっちの食事だったからねー」

 

 これまでのことを振り返っているのか、雨音はぼんやりと宙を見上げながら言った。その言葉に俺は、ため息交じりに言葉を添える。


「べつに誰かと一緒に食べる必要なんてないだろ。居ても邪魔になるだけだし」

 

 そっけなく答えた俺の台詞に、「そんなことないよ」と雨音はすぐに言葉を返してきた。


「家族にしても誰にしても、こうやって一緒に食べてくれる人がいることは、普段は気づかないだけで実はすっごく幸せなことなんだよ。だからこれからは毎日彰くんに私の手料理を食べてもらおーっと」


「……なんでそうなるんだよ」

 

 一人勝手に話しを進めていく雨音に、俺は呆れた口調で呟く。この調子だと、本気でこの家に閉じ込められそうでかなり怖い。

 げんなりとした表情でそんなことを思っていると、雨音がまたもクスクスと肩を震わせた。


「冗談だよ。でも……私が彰くんともっと一緒に居たいと思ってるのはほんとだよ」


「……」

 

 そう言って雨音は俺のことを試すようにじーっと見つめてくる。こういう時だけちょっと甘えたような声を出すのは正直ずるいと思う。

 俺はそんな誘惑を振り払うように小さく首を振ると、冷静さを装いながら口を開いた。


「あのな、俺は家出した人間なんだぞ? なのに自分家の隣でいつまでも居れるわけないだろ」


「わかってるよー。だからもうちょっとだけ一緒に居てほしいってこと。それに彰くんも私と居るほうが楽しいでしょ?」


 へへ、と少女のようにあどけない笑顔を浮かべる雨音を見て、俺はますますため息しか出てこない。

 年上のくせに妙に親しみやすく近づいてくる時もあるかと思えば、時たまに大人っぽい一面も見せたりとコロコロと表情を変えてくるので距離感を掴むのが難しいのだ。


「なんでいつも勝手に決めつけるんだよ……」


「えー、じゃあ彰くんは私と一緒に居ても楽しくないの?」


「それは……」


 楽しくない、といつもの自分なら即答していただろう。でも何故か、この時の俺はそんな言葉を口にすることを躊躇ってしまった。 

 基本的に誰かと一緒に居ると居心地の悪さを覚える性格なのだが、どうしたわけか、雨音といるとそんな風には感じないのだ。昨日出会ったばかりの人間のはずなのに、自分がここまで落ち着いていることが正直不思議なぐらいだ。

 俺が返答に困って唇だけを僅かに動かしていると、雨音がクスリとまた微笑む。


「彰くんってそういうところは正直だよね。良かったー、一緒に居ても楽しくないって即答されたらどうしようかと思っちゃった」


「……」


 まだ何も答えていないのに、雨音は何故か嬉しそうな表情を浮かべると一人うんうんと何度も頷く。

 それを見てふんと鼻を鳴らした俺は、少しだけ視線を逸らすと右手で握っているフォークにパスタを絡めた。どうせ今さら反論したところで、「またまた素直じゃないんだからー」とからかわれるに決まっている。だったらここは無視して食べることに集中する方が得策だ。

 そう思って口元にパスタを運ぼうとした時、雨音の声が再び聞こえた。


「よしよしじゃあ可愛い彰くんのために、今日もおねーさんが一緒に添い寝してあげよう」


「それだけは本当にやめろ」


 フォークを持ち上げていた右手をピタリと止めて、俺は雨音の顔を睨みながら今度は即答した。けれど一瞬動揺してしまった心は隠しきれないようで、急速に頬が熱くなっていく。

 それは表情にも出てしまっているのか、睨んでいる俺とは裏腹に、雨音は楽しそうに喉を鳴らしているではないか。


「ひどいな、そこは即答なんだ」


「当たり前だろ……お前がいるとまともに寝れない」


 そう言った直後、俺は昨夜のことを思い出しそうになり、慌ててそれを押さえ込もうとグラスを手に取る。そしてお茶と一緒に喉の奥へと流し込む。その間も何が楽しいのか、雨音はずっと肩を震わせていた。


「彰くんはほんとに面白いなー、君みたいな弟がいたらきっと毎日が楽しいんだろうなぁ」


「は? 兄妹なんていても面倒くさいだけだろ。うるさいし、邪魔なだけだし」


 先ほどの動揺を誤魔化すように、俺は雨音の言葉にすぐに食いつくと早口で反論した。 

 実際、突然兄妹なんてものができてしまった俺からすればその存在の煩わしさが一番よくわかる。出来ることなら雨音のような一人っ子に戻って、何なら親も誰もいない環境で過ごしたいのが本音だ。

 そんなことを思っていると、雨音の声が再び鼓膜を揺らす。


「そういうのが良いんだよ。家に帰ったら誰かが居てくれて、ご飯を食べる時もソファに寝転がってテレビを見てる時も家族の存在を感じられる。それもやっぱり幸せなことじゃない?」


「はぁ……それはお前が一人で住んでるからそう思うだけだろ? そんなに一人でいるのが嫌なんだったら友達とか呼んで一緒に住めばいいだろ」


「それができないんだよなー。仲が良かった子はだいたい遠くの方に住んでるし、それに私は最近この家に戻ってきたばっかりだからこっちにはもう知り合いがいないんだよ」


「ふーん」と俺は興味ないと言わんばかりに口も開けずに返事をする。それでも雨音は気にせず話しを続けてくる。


「そういえば彰くんは普段友達とよく遊んだりするの?」


「しねーよ。それに俺もあの家に引っ越してきたばっかりだから、遊びに行くような友達なんていないしな」


 俺はつんとした態度で雨音の質問に答えた。家族を捨てて家出を決意したぐらいだ。もう煩わしい人間関係なんてこれ以上作るつもりなんてない。

 俺の言葉を聞いた雨音は少し目を伏せると、「なるほど」と何がなるほどなのかまったくわからないが、そんなことをぼそりと呟いた。そしてくりっとした人懐っこい瞳を上げると、真っ直ぐに俺の顔を見つめてくる。


「ってことは私が初めてになるわけか」


「は?」


 何がだよ? と細めた視線だけで訴えかければ、雨音は嬉しそうにその口元を綻ばせる。


「彰くんが家族以外で初めて繋がりを持った人のことだよ。そう考えると何だか嬉しい」


 そう言って雨音は白い歯を見せてニッと笑った。そのあまりに素直な表情と声に嘘偽りを感じることができず、俺は思わず返す言葉を飲み込んでしまう。


 やっぱコイツ……変なやつだな。


 俺みたいな人間と関わりを持ったところで何も良いことなんてないのに。

俺はチラリと視線を逸らすと、思ったことをそのまま言葉にしようと唇を開いた。

 けれど真っ直ぐに自分のことを見つめて喜んでいる雨音の姿を見ていると、なぜか言葉とは違う感情が胸の奥から沸き起こってくるのを感じてしまい、俺は結局声にすることができなかった。

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