第21話 今日は特別な日

そんな俺の心配はよそに、長風呂から上がって顔を合わしても、もちろん雨音はいつも通りのままだった。それはもう、何だか恥ずかしがっていた俺の方がバカバカしく思えてくるぐらいに。

 澄ました顔をしながらもそんな羞恥心を胸の裏側で感じていた俺だったが、テーブルの上に並べられたえらく豪華な晩飯のラインナップを見た瞬間、思わず意識はそっちに向けられてしまう。


「……何だよこれ」


 呆然と立ち尽くして声を漏らす自分に、雨音はへへんッと何故か胸を反らしてドヤ顔をかましてきた。


「お姉さん、今日はちょっと頑張っちゃいましたッ」


「……」


 だから何でだよ、と呆れた口調で再び問う自分に、「いーからいーから」と雨音は俺をいつもの椅子へと座らせる。


「何たって今日は特別な日だからね!」


 そう言ってニコリと微笑む雨音を見て、俺はますます不信感を募らせる。

 庭掃除を頑張ったからにしては、わりに合わないぐらいに豪勢だ。手作りであろうローストビーフの塊や、見たことがないぐらい大きなロブスターを見つめながら俺は思った。これじゃあまるで何かのパーティーみたいだ。

 怪訝な表情を浮かべたままテーブルの上を睨みつけている俺とは裏腹に、雨音は上機嫌に鼻歌を歌いながら大皿の上に綺麗に盛り付けられた料理を手に取った小皿へと移していく。

 そして小皿の上に一通りおかずを乗せ終わると、それを俺の目の前に置いた。


「さて問題です! 今日は何の日でしょう?」


「何の日って……」

 

 わかんねーよ。ってか何でクイズ形式なんだよ。

 相変わらずテンションの高い雨音に白けた視線を送っていると、彼女は「もしかしてわからないの?」と今度は少し驚いた表情を浮かべる。それを見て俺は、「わかるわけないだろ」と少し苛立った口調で答えた。


「きみー、さすがにそれはないよ」


「……」

 

 なぜか今度は雨音の方が呆れてしまい、俺は思わず口をつぐんでしまう。

 すると雨音は「仕方ないなぁ」と声を漏らしたかと思うと、ちょっと予定とは違うんだけどと意味のわからない言葉だけ残してキッチンの方へと向かっていく。

 そんな彼女の後ろ姿をただ黙って見つめていた俺だったが、しびれを切らして「なあ」と口を開きかけた、その時だった。突然家の中が真っ暗になった。


「……は?」

 

 わけがわからず俺は思わず声を漏らすと、きょろきょろと辺りを見回す。雷も落ちてないのになんで停電なんてしてんだよと思っていたら、雨音のいるキッチンの方から光が漏れるのが見えた。

 揺らめく橙色のその光がロウソクの火だとわかった直後、今度はどこかで聞いたことのある懐かしいメロディが俺の耳へと届いてくる。


「ハーピバースデートゥーユー……」

 

 恥ずかしげもなく歌いながら現れた雨音の両手には、いつのまに準備したのか、大きなホールケーキの姿。

 まったく予想もしていなかった展開に俺が呆然としたまま固まっていると、雨音は「おめでとう彰くん!」と言って俺の目に前にケーキを置いた。見ると、ケーキの上に乗ったチョコのプレートにも同じ言葉が描かれているではないか。


「ちょ、お前これどういう……ってうわぁッ!」


 パンっ! と突然耳元で爆発音が聞こえ、俺は思わず椅子から飛び跳ねた。クラッカーだ。いきなり鳴らすなよと雨音の顔を睨み付けると、「ビックリしたー!」となぜか音を鳴らした張本人の方が驚いていた。


「ビックリしたのは俺の方だ! ってか何だよこれ? どういうことだよ?」


「どーゆことも何も、今日は彰くんの誕生日でしょ? だからそのお祝いッ!」

 

 そう言って雨音は左手に握っていたクラッカーも盛大に鳴らした。俺はその音に両手で耳を塞ぎつつ、雨音の顔をもう一度睨む。


「俺の誕生日って……なんでお前がそんなこと知ってんだよ?」


「だって彰くんがこの家に来た時に私が聞いたじゃん。ほらほら、それより早くふーってしてふーって」


「…………」

 

 雨音は俺の手元ぎりぎりまでホールケーキを寄せてくると、手拍子とともにまた歌い始めた。まるで罰ゲームかと思うほどの恥ずかしさに心身共に焼かれる中、俺は一刻も早くこの地獄のような時間を終わらせようと、ロウソクに向かって思いっきり息を吹きかける。

 が、悲しいかな。こういう時に限って一発ですべて消えてくれない。

 その後二度三度息を吹きかけてようやくすべて消し終わると、雨音が「おめでとうッ!」と拍手とともに大声で祝福の言葉を口にする。


「私、一度でいいからこうやって誰かの誕生日をちゃんとお祝いしたかったんだ」


 そう言いながら部屋の電気をつけた雨音の顔は、たしかに達成感と喜びに満ち溢れている。

 俺はそんな彼女のことを半ば呆れた表情で見つめていたが、雨音はとくに気にする様子もなく、いつものように俺の目の前へと座った。


「ちなみに私の誕生日は今度の水曜日! なんと君の一週間後だよ」


「いや別に聞いてないし……」

 

 何言ってんのお前、といつものように冷めた視線を送ろうとするも、誕生日を祝われた恥ずかしさのせいか、なかなか雨音の顔を見ることができない。代わりに俺はふいっと顔を逸らしてそっぽを向く。


「お、喜んでる喜んでる!」


「あのな……これのどこを見てそう思えるんだ?」


「だって彰くん、恥ずかしがってる時とか喜んでる時はぜったい目を合わせてくれないもん」


「…………」


 その言葉にチラリと雨音の様子を伺うと、彼女は「図星だろぉ」と言わんばかりのニヤニヤとした笑みを浮かべていた。……嫌な女だ。

 そんなことを思い、俺は恥ずかしさを誤魔化すようにちっと小さく舌打ちをするものの、やっぱり雨音と目を合わすことができなかった。

 誕生日なんてまともに祝われたことなんてないので、どんな態度をしていいのかわからないというのもある。


「さてさて、彰くんは今日で何歳になったのかなぁ?」


「その子供に話しかけるような言い方はやめろ」


 ムッとした表情で俺が言うと、雨音は「だって君はまだ子供でしょ?」と言葉を被せてくる。だから俺はすぐさま反論した。


「15歳は子供じゃねえ」


「じゃあ大人?」


「……」


 どこまでも透き通るような真っ直ぐな瞳で尋ねられてしまい、俺は思わず言葉を喉に詰まらせる。

 自分は家にいるあの小学生たちのようなガキではない。かといって大人かと真面目に聞かれてしまうと、それはそれで困ってしまう。

 だいたい、そんな明確に大人と子供の境目なんてあるのか?


「……ガキじゃねえ」と俺は言い訳じみた感じで苦し紛れにそれだけ答えた。すると雨音は顎を右手でさすりながら、何か思い出すかのような表情を浮かべる。


「うーん、たしかに身体のほうは大人に近かったかな……」


「なッ⁉︎」


 ふいに雨音が漏らした言葉に、俺は思わず両手をテーブルについて立ち上がった。動揺する自分を見て雨音は面白そうに喉を鳴らすと、「冗談だよ冗談!」と言ってお腹を押さえて笑い始める。


「…………」


 この女……マジでいつか訴えてやる! と握りしめた拳にそんな決意を込めていると、雨音は俺の表情を見て何を思ったのか、急に色気たっぷりな声色で言う。


「でも君が子供じゃないってことは……私が誘惑しても罪にはならないでしょ?」


 そう言って雨音は、持っているグラスでからんと氷の音を立てると、わざとらしく両腕で胸元を寄せてきた。

 コイツまたからかってきやがったな、と俺はさらに目を細めたが……不覚にも、視線はTシャツから覗く柔らかそうな素肌へと向けられてしまう。

 その視線に気づいた雨音は一瞬目を細めると、「えっちな奴め」とニヤリと不敵な笑みを浮かべてきた。


「ば、バカ!  俺は何も……」


「あははッ、彰くんはやっぱり面白いよ」


 雨音はいつものようにあどけない笑顔を見せるとクスクスと肩を震わせた。そして俺はふるふると拳を震わせる。

 最近やっと雨音の扱いには慣れてきたと思っていたが、やっぱりこの手の話しは苦手だ。

 苦虫を噛んだような顔を浮かべて突っ立っていると、「まあまあ座りなよ」と雨音が言ってきたので、俺は仕方なくそれに従う。するとそんな自分を見て、雨音がニコリと微笑む。


「彰くんの家では誕生日の時どんなお祝いをしてたの?」


 純粋に俺のことに興味があるからこそ聞いてきたその質問に、胸の奥が一瞬チクリと痛んだ。けれど俺はその痛みに気づかなかったフリをするかのようにすぐさま言葉を返す。


「そんなことしたことねーよ」


「え? 誕生日なのに?」

 

 そう言って雨音は驚いたように目をパチクリとさせる。その様子に俺は小さくため息をつくと、呆れた口調で言葉を続けた。


「そうだよ。それに俺の家はもともと父親だけだったから、だいたいいつも一人だったしな」


「そうだったんだ……」


 雨音は急にしゅんとした表情を浮かべると少し顔を伏せた。


「ごめんね、変なこと聞いちゃって」


「……」


 彼女らしからぬ覇気のない声に、俺はどんな風に返事をすればいいのかわからず頬をかく。


「……べつに気にしたことねーから謝る必要なんてないだろ」


 何だか自分が変な話しをしてしまったせいで気まずくなった俺は、場の空気を元に戻そうとそんな言葉を絞り出した。すると雨音は「そっか」と呟いたあと、顔をあげるといつものようにニコリと笑う。


「それじゃあ彰くんの誕生日をお祝いしたのは、私が初めてってことだね」


「……まあ、そうだな」


 今度はやけに嬉しそうに話す雨音に、俺は何故だか恥ずかしくなってしまい思わず顔を逸らす。これじゃあまた雨音にバカにされるなと思った時、ふふっと優しく笑った彼女が話しを続けた。


「なんだかそれって嬉しいな。それに彰くんの誕生日なら、私だったら毎年お祝いしたいなって思うよ」


 だから……、と今度は呟き程度に聞こえてきた彼女の声に俺が黙って耳を傾けていると、雨音はそっと目を閉じて小さく首を振る。そして、用意していた言葉を飲み込むようにグラスに口をつけた。

 俺は最初そんな彼女の様子を不思議に思ったが、それが雨音なりの気遣いだったのだろうと何となく気づき、あえてその続きは何も聞かなかった。

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