第22話 スニーカー

雨音の作ってくれたご馳走を一通り食べ終わった俺は、それだけで十分な満腹感を感じながらも、しめのケーキに差しかかろうとしていた。

 本当はこれ以上何も胃には入りそうにないのだけれど、せっかく雨音が嬉しそうに用意してくれたケーキに手をつけないのは気が引けたからだ。


「あ、ちょっと待って! 食べる前に先に写真撮りたい」


「いいってそんなの……」


 写真なんて残されてたまるかと思った俺は、フライングと言わんばかりにフォークをケーキに突き刺すと一口食べる。すると「あッ!」と雨音がわざとらしく怒った表情を浮かべた。


「もう! せっかく記念写真撮ろうと思ったのに」


「何の記念だよ……」


 俺が呆れた口調でそう言い返せば、雨音は黙ったまま俺の隣までやってきて、なぜか右手にスマホを握りしめた。

 そしてあろうことか、突然俺の右頬に自分の頬をくっつけてきたかと思うと、パシャリとまさかのシャッター音。

「おいッ!」と俺は慌てて雨音から離れると彼女のスマホを奪い取ろうとしたが、雨音はひらりと身をかわし、すぐにスマホを背中の後ろへと隠す。


「お前な、今のはなしだろ!」


「だって彰くんが素直に撮らせてくれないんだもん」


 と、まるで幼子のように唇を尖らせる雨音。

 彼女の頬に触れてしまった部分が妙に熱を帯びている気がして、俺は右手の甲でごしごしと何度もこする。


「ちょっと、そんなに嫌がらないでよ!」


「嫌に決まってんだろ! いきなり変なことすんなよなッ」


「っとか言ってほんとはちょっとドキッとしたんでしょ?」


「う、うるせーよバカ……」


 図星を突かれてしまい思わずぎこちない口調になってしまった俺は、逃げるように顔を逸らした。すると視界の隅から、「やっぱり」と雨音がクスクスと笑う声が聞こえてくる。


「……」


 何も言い返すことができない俺はちっと舌打ちだけして不機嫌な顔をするも、耳の奥から聞こえてくる心臓の音はまだドクドクとうるさい。これは落ち着くまでもう少し時間がかかりそうだ……

 そんなことを思った俺は、少しでも早く平常心を取り戻そうと思い、グラスに口をつけると一気飲みした。すると何を思い出したのか、「あッ」と声を発した雨音がパンと手を叩いた。


「そうだ彰くん! ちょっと玄関見てきてよ」


「……は?」


 突拍子もない雨音の発言に、俺は思わず口を半開きにしてしまう。 

 いきなり何言ってんのこの人? と訝しむような視線を送っていると、雨音はなぜか俺の右腕を掴んでやたらと急かしてくる。


「ちょ、やめろって! 何企んでるんだよ!」


「いーから早く見てきよ、きっと彰くんビックリするから!」


「………………」

 

 素直に怖い。というより、何の罰ゲームだよこれ……

 突然過ぎるし、胡散臭過ぎるし、怪し過ぎるので俺は意地でも椅子から動くものかと踏ん張ろうとしたが、「君がそのつもりなら……」と雨音が突然脇腹をこそばしてきたのであえなく立ち上がってしまう。

 このまま長引かせても余計めんどくさい展開になりそうだったので、俺は思いっきりため息を吐き出すとリビングの扉の方へと向かった。チラリと振り返るとどうやら雨音はついてくるつもりはないようで、笑顔で俺のことを見ているだけだ。


 ……マジで何なんだよ。


 俺は雨音に向かって一度目を細めると、そのままくるりと背を向けて、重い足取りでリビングを出る。そしてどんなトラップが仕掛けられているのかわからない未開の廊下を歩いた。


 まさか……いきなり扉が開いて俺の家族が現れるとかそんな最悪の展開はないよな?

 

 近づいてくる玄関の扉を睨みながら、俺は思わずゴクリと唾を飲み込む。いくら雨音とはいえさすがにそんなことはしないだろうと頭ではわかっているものの、心は落ち着かない。 

 いったい何企んでんだよアイツ、と思わず声に漏らしそうになった時だった。ふと視界の中に違和感を感じて俺は目を細めた。


「……あれ?」

 

 玄関までたどり着いた俺は、足元に目を向けてその違和感の正体を確かめる。視線の先、広い玄関にあるのは履き潰されてボロボロになった俺の靴と、雨音が普段履いているヒールやサンダル。そして……


「……スニーカーだ」

 

 そこにはもう一足、見たことのないスニーカーの姿があった。

 白地に有名スポーツメーカーのロゴが入ったそのスニーカーは、シンプルながらもセンスを感じさせるデザインで、まだ一度も地面に触れたことがないというのが一目でわかった。

 誰のだろう、と考えるよりも前にさっきの雨音の態度からすぐに答えは導き出されてしまう。


「アイツ……」


 俺はその場にしゃがみ込むと、スニーカーの片方をそっと持ち上げてみた。中を見てサイズを確認してみると、それは俺の足のサイズにピッタリの大きさだ。


 雨音のやつ、覚えてたのか……


 ふと俺の頭の中に、初めてこの家に来た日のことが思い浮かんだ。

 あの時雨音は俺に色々と質問をしていたけれど、それはただ単に面白半分で聞いていたわけではなく、ちゃんと覚えていることに正直驚いた。そして、そんなことを思うと、何故だか胸の奥がじわりと熱を帯びたように熱くなる。


「……」


 もどかしいような、気恥ずかしいような感覚に慣れない俺は、しばらくの間その場でじっとしていた。

 ようやく雨音と顔を会わすことができそうなぐらいまで気持ちが落ち着いてくると、手に持っていたスニーカーをもとに戻して、一度大きく深呼吸をする。そして静かに立ち上がると、再びリビングの方へと向かって歩き出した。

 扉を開けてリビングに入ると、椅子に座っていた雨音がすぐに俺の方を見てきた。その表情はしてやったりと言わんばかりの満足そうな笑顔だ。


「私からの誕生日プレゼントはどうだった?」


 目を輝かせながら尋ねてくる雨音に、俺は思わず視線を逸らすと恥ずかしさを誤魔化すように頭をかく。

 こんな風にちゃんと誕生日プレゼントをもらったのは初めてなので、どんな顔をすればいいのかわからない。

「いやその……」と言葉を濁しながらモゴモゴと口を動かしていると、雨音の表情が一瞬曇った。


「もしかして……気に入らなかった?」


 不安げに眉尻を下げる雨音の顔がチラリと見えて、俺は慌てて言葉を返す。


「べ、べつにそんなことねーよ! あれはあれで……その……」


 気に入った、と聞こえるか聞こえないかの小さな声で呟けば、雨音は「え?」と目を丸くした後、すぐにいつもの笑顔を見せてくる。


「良かった! 実はすっごく不安だったんだ。彰くんって派手なのはあんまり好きそうじゃないし、かと言って地味過ぎるのも嫌がるだろうなって思ったから結構色んなお店回って探したんだよ」


「……」


 雨音の話しを聞きながら、俺はますます彼女の顔を見ることができなかった。自分のために一生懸命になってプレゼントを探してくれていた雨音。

 その姿は容易に想像することができる。だからこそ余計にどんな言葉を返せばいいのかわからなかったし、それに何より、雨音の気持ちが嬉しいと素直に思っている自分に正直驚いていた。

 今まで誰かと一緒にいてこんな気持ちを経験したことは初めてで、俺は雨音の持つ不思議な魅力に興味を持ち始めていた。

 

 けれど、それと同時に思ってしまう。


 どうして雨音は、隣人とはいえまったくの赤の他人である自分の為にここまでしてくれるのだろう、と。そしてそれが彼女にとって一体何のメリットになるのだろうかとも……

 

 顔を逸らしたままそんなことを考えていると、再び雨音の明るい声が鼓膜を揺らす。


「これで彰くんも新しい気持ちで出発できるね」


「なるほどな……たしかに新しい靴の方が家出をした時に歩きやすいからな」


 雨音の言葉に、俺は照れ隠しのつもりでそんな返事を口にした。すると彼女は一瞬目を細めた後、「違うよ」とすぐにふっと柔らかい笑みを見せる。そして、真っ直ぐな瞳で俺の顔を映した。


「君がこれから幸せに向かって歩き出せるように、そう思ってプレゼントしたんだよ」


「……」

 

 へへっといつもの無邪気な笑顔を浮かべる雨音。俺は彼女が口にしたそんな願いに、思わず返す言葉に困ってしまう。

 何だか、照れ隠しのつもりで捻くれたことを言ってしまった自分が今となっては恥ずかしい。

 むず痒いような沈黙の時間に耐えられなくなった俺は、とりあえずこの状況を打破しようと思いつくままに口を開いた。


「ってかわざわざあんな方法でプレゼントしなくても、直接渡してくれればいいのに……」


「こういうのは何でもサプライズ精神が大切でしょ? それに、その方がずーっと記憶に残るしね」


「記憶に残るって……」


 残してどうすんだよ、と思わず言いそうになったのを、俺はぐっとこらえる。さすがにプレゼントをもらった立場でそんなことを口にするのは気が引けた。

 言葉の代わりに何とも言えないような表情で雨音のことをじっと見ていたら、彼女が嬉しそうな声音で言う。


「楽しみだなー、彰くんがあの靴を履いて最初にどんな場所に行くのか」


「どんな場所も何も、靴変えたぐらいで行き先なんて変わんねーだろ」


「はぁ……君はほんとに夢がないなぁ。せっかく新しい靴を手に入れたんだから『この靴を履いて旅行に行く!』とか『旅に出る!』とかもっと特別感を出していかないと」


「…………」


 家出も十分特別な感じがするんですけど? 

 そんな主張を細めた視線の中に込めたが、雨音がそれに気付くはずもないのですぐにため息へと変わる。


「べつに夢なんていらねーよ。それに俺、旅行とか行ったことないし興味もないしな」

 

 さっさとこの会話を終わらす為にそんな言葉を口にした直後、なぜか雨音はニヤリと笑う。それを見て、俺は何となーく嫌な予感がした。


「そっかそっか、彰くんは旅行に行ったことないのか……」


「……」


 何やら意味深すぎる口調で一人ぶつぶつと呟く雨音。

 そんな彼女の姿を見て、ここは早いところ退散した方がいいかもしれないなと思ったその矢先、何か閃いたようにポンと手を合わせた雨音が嬉しそうな表情を向けてくる。


「だったらさ……私と一緒に旅行してみよっか!」


「…………は?」

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