第28話 俺がいる理由

「……何だよこれ」

 

 いよいよ本日のメインイベント……ではなく、人間として当たり前の行為である『就寝』を目前にして、俺は思わず声を漏らした。

 足下にはぴったりと隙間なく並べられた二枚の敷布団。そのうちの一枚にすでに寝転がっている雨音が、「ほえ?」ととぼけたような声を漏らす。


「いや、『ほえ?』じゃなくて……なんで布団が隣同士で並んでんだよ」


「なんでって、旅館だと普通こうだよ?」

 

 いやいや、絶対おかしいだろ。同性とか友達同士ならそうかもしれないけど、俺たちの場合、その『普通』は当てはまらないだろ。

 なんてことをグルグルと頭の中で考えるも、動揺と緊張のせいか何一つ声にはならない。

 そんな自分をよそに、雨音は一人悠々と気持ち良さそうに伸びをしている。相変わらず浴衣は乱れたままで、胸元はやたらとはだけているし、視線を下げると際どいところまでふとももがチラリと見えている。

 ここは何もかも忘れて早く寝てしまおうと天井の電気を消して間接照明だけにしたものの、それが余計に雨音の色っぽさを強調してしまい、彼女の姿が気になって仕方がない。 中学生でありながら、『なまめかしい』という言葉の意味が今なら誰よりもわかる気がする。


「ほら、彰くんも早く一緒に寝ようよぉ」

 

 まだかなり酔っているのか、雨音はやたらと甘い声でそう言ってくると、なぜか自分がかぶっている布団をガバっとあげてきた。いやいや、誰がお前と一緒の布団で寝るって言ったんだよ。

 俺は雨音の言葉を無視すると、もう一枚の空いている敷布団の隅を両手で握った。そして雨音の布団から引き離そうと引っ張る……

が、なぜか動かない。よく見ると、ちゃっかり雨音が俺の布団を掴んでいるではないか。


「……」

 

 こうなった雨音がしつこいのは重々承知なので、俺は諦めて大きくため息をつくと、今度は枕を素早く端に寄せ、そして布団に潜り込み、彼女に背を向ける。するとすぐに雨音の拗ねた声が聞こえてくる。


「ねえ、こっち向いてよぉ」


「……」 

 

 嫌だよ、と俺はぼそりと答えると、急いで目を閉じて寝たふりを始める。

 が、布団にくるまっていても鼻腔をこそばせてくる雨音の良い匂いや、背後でガサゴソと動く音のせいでまったく寝れる状態ではない。

 なんか嫌な予感がするなと思った時にはもう手遅れで、「早く寝ろよ」と雨音に伝えようとした瞬間、突然彼女が背中から抱きついてきた。


「おいバカっ! やめろよ離れろって!」


「やだよーだぁ。だって彰くんこっち向いてくれないんだもん」


「何バカなこと言ってんだよ……って、わかった! わかったからそんなとこ触んな!!」

 

 身の危険を感じた俺は慌てて雨音の腕から抜け出すと、乱れた呼吸を落ち着かせようと大きく息を吸う。

 ダメだ、まったく寝れる気がしない……

 浴衣の薄い布越しということもあるのか、雨音に触れていた部分がやけに熱く感じてしまう。これは彼女の言う通りにしておかないと、本当に一歩間違えたことが起こりそうで怖い。

 俺は何度か大きく深呼吸して覚悟を決めると、ゆっくりと雨音のほうへと身体を向ける。

 至近距離で重なる二つの視線。

 その瞬間、俺は思わず呼吸を止めてしまう。

 薄暗闇の中、わずかな光に撫でられた雨音の顔は、息を飲むほど綺麗だったからだ。

 不覚にもそんな彼女の顔に見惚れていると、雨音がクスリと笑う。


「なんだか彰くんが初めて私の家に来た時のこと思い出すね」

 

 雨音はそう言うと、あの日俺が初めて訪れてきた時のことを思い浮かべるかのように、そっと目を瞑った。

 そして、静かに右腕を動かしたかと思うと、熱のこもった指先を、俺の右手に優しく絡めてきた。

 突然の出来事に、俺は思わず声を詰まらせてしまう。


「……」

 

 ドクドクと、耳の奥でうるさく鳴り響く心音。雨音に触れている手のひらからも、同じように彼女の鼓動が聞こえてくるような気がする。

 俺は息を止めたままどうすることもできず、チラリと雨音の顔を見た。すると彼女も、少し潤んだ瞳で俺のことをそっと見つめてくる。そして、その唇がゆっくりと動いた。


「……彰くんは、私の前から消えたりしないでね」


 囁くような、そしてどこか祈るような声だった。

 直後、自分たちの世界を静寂が包む。

 虫の鳴き声だけが微かに聞こえる中で、俺は雨音の言葉の意味を考える。そしてその気持ちに応えようと胸の奥で言葉を探す。

 

 もうこの時には、はっきりとわかっていた。

 どうして自分が雨音と一緒にいるのか、その本当の理由を。

 

 胸の奥で早鐘を打つ鼓動に背中を押されながら、俺が自分の気持ちを正直に伝えようと口を開いた時、うつらうつらとしていた雨音が瞼をそっと閉じた。そして、静かに寝息を立てる。


「……」

 

 何考えてんだ、俺……

 

 思わず口を突いて出そうになった言葉に恥ずかしくなった俺は、もう一度喉の奥に自分の気持ちを押し込めると、何もかも忘れようと無理やり瞼を閉じる。

 けれど、繋いだままの手のひらからは、今もはっきりと雨音の温もりが伝わっていた。

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