第5話 ピザは喉を通らない

「それじゃあ彰くんが無事に家出したことを祝して、かんぱーいッ!」


「………………」


 缶ビールを一人高らかに天井へと向ける女を、湯冷めした俺は冷めた視線で見つめる。


「ちょっとー、ノリ悪いな君! こういう時は一緒に『かんぱーいッ!』ってグラスを持たないと」


「あのな……これのどこか無事に家出したって言うんだよ」


「できてるじゃん! 彰くんはこっそりと自分の家から抜け出せたし、ちゃんと住める場所だって見つかったんだよ?」


 誰も住むなんて言ってないだろ、と呆れた口調でぼそりと呟くと、俺は目の前のテーブルに並べられた晩餐へと右手を伸ばした。

 ピザ3枚にナゲット4箱。それにポテトとサラダにデザートのバニラアイスって……おいおいこの女、まさか他に誰か呼んでんじゃねーだろうな?

 俺がそんな疑いの眼差しを向けると、雨音がニコリと微笑む。


「育ち盛りの彰くんが満足できるようにたくさん頼んだから、いーっぱい食べてねッ」


「いくら何でも頼みすぎたろ……こんなに食えねーぞ」


「えー、中学生っていったら男の子は一番食べ盛りの時だよ? ちゃんと食べないと背が伸びないぞ」


「背って……」


 不意にコンプレックスを突かれてしまい、思わずピザを手に取ったばかりの右手がピタリと止まる。するとそんな俺を見て、同じようにピザに手を伸ばした相手がクスクスと笑った。


「ごめん気にしてたか」


「…………」


 ごめんと言いながらまったく詫びる様子もなく肩を震わせ続ける女を、俺は射殺すように睨みつけた。見てろよ、あと2年も経てば貴様のことを必ず見下ろしてやるからな!

 俺はそんな苛立ちを感じながらガブっと力強くピザにかぶりつく。


「そういえば彰くんは好きな子とかいないの?」


「ごふッ」


 唐突に始まった尋問タイムに、俺は思わずチーズを喉に詰まらせた。激しく咳き込む自分に、「大丈夫?」とけらけらと笑いながら雨音がグラスに入ったコーラを差し出す。


「そんなに動揺しなくてもいいのに」


「バカっ、お前が突然変なこと聞いてくるからだろ」


 何よそれー、と相手は唇を尖らせるも、すぐにまたクスリと笑う。


「彼女はできたことないって言ってたから……今は片想い中ってわけか」


「何一人で勝手に話し進めてんだよ。それに彼女ができたことないって一言も言ってないだろ」


「お、ってことは付き合ってた経験があるの?」


「…………」


 ない。

 っというより、俺はまだ中二だぞ? あるわけないだろ。

 ニヤニヤと意味深な笑みを浮かべている雨音を見て、このままだとまた余計なことを言われるかもしれないと思った俺は、相手の言葉を封じようと今度は自分から口を開く。


「俺のことばっか聞いといて、自分のことは話さないって卑怯じゃないか?」


 目を細めてそんな正論を主張すれば、相手はまたも「おっ」とわざとらしく少し驚いた表情を浮かべる。そして、「たしかにそーだね」と自分の非をすぐに認めた。


「よしッ、じゃあ出血大サービス! 今なら彰くんの質問に何でも答えちゃうよ」


「……」


 何だろう。何で俺の方が負けた気分になってしまうんだ?

 ウェルカム! と言わんばかりに両手を広げてアピールしてくる雨音に、俺は顔を伏せると小さくため息を吐き出す。守ろうが攻めようが、何をしようとどうやらこの女のペースになってしまうようだ。

 そんなことに意気消沈しながらも、それでも俺はこれ以上自分の立場が悪くならないように『攻め』を選んだ。


「じゃあ聞くけど……お前は一体何者なんだ?」


「え?」


 俺の最初の質問に一瞬きょとんとした表情を浮かべた雨音は、すぐに笑い声と一緒に言葉を返す。


「だから名前は本城雨音でピッチピチの23才って自己紹介したじゃん。それともなに? もしかしてスリーサイズを知りたいとか?」


「バカっ違うって! そーゆうことを聞きたいんじゃなくて、家族とか仕事とか普段何やってんのか教えろってことだよ!」


 再び喉にチーズを詰まらせそうになりながらも、俺はまくしたてるように早口で言った。すると相手は「そーゆうことね」とクスクスと肩を揺らす。


「そうだなー家族はお父さんとお母さんの三人で暮らしてたんだけど、二人は今海外に住んでてこっちにはいないの。それと仕事の方は、うーん今は休職中かな。あ、でも別に変な仕事はしてないよ。誘拐職とか」


「何だよ誘拐職って……」


 さっそくアルコールでも頭に回ってきたのか、雨音は自分で言った台詞に自分でウケて笑っている。うん、痛い奴だ。


「なんで親だけ海外にいてお前は日本にいるんだよ? ついて行かなかったのか?」


「うーん、どうせまたすぐにどっか行っちゃうからね。それに私、海外よりも日本の方が好きだし」


「…………」


 なんか怪しいな。腑に落ちない。

 隠しもせずにあっけらかんと話してくるせいか、俺の不信感は余計に募っていく。けれど相手は、「次は次は?」と何故か目を輝かせて催促してくる。


「じゃあこの家は、親が海外にいるからお前が貰ったってわけか?」


 少しでも怪しいところがあれば見逃すまいとじーっと目を細めながら尋ねる自分に、雨音は「そうそう」とまるで世間話しをするように相槌を打つ。


「けどたった一人の愛娘にこんなおっきな家だけ残していくとかどういうつもりなんだろうね」


「……」


 ただの金持ちの自慢かよ、と俺は思わずぼそりと呟く。すると雨音は機嫌を悪くすることもなく、「だからお金には困ってないって言ったでしょ」と逆にドヤ顔をかましてくる始末。どうやら俺は、選ぶ質問を間違ってしまったようだ。


「お前、ほんとに一人で住んでるんだよな?」


「うん、そうだよ。だからすーっごく寂しいの」


「……」


 胡散くさ。だいたいこんな広い家に住んでるなら友達呼ぶなり誰か呼ぶなりして、いつだって遊べるだろ。それこそ彼氏とか呼んで一緒に住めばいいものの……

 そこまで考えて、俺ははたと気がつく。そういやコイツ、恋人とかいるのか? いるとやっかいだな。

 突然彼氏がやってきてわけもわからず怒鳴られる展開だけは勘弁してほしいと思った俺は、念のために聞いてみた。


「お前は彼氏いるのかよ?」


「え? 私?」


 他に誰がいるんだよ、と言いたくなるのをぐっと堪える。相手は俺の質問に、「ふふふ……」と変な笑い声を漏らす。


「どっちだと思う?」


「いない」


 即答で答えた瞬間、ピザのおまけで付いてきたキーホルダーが飛んできた。「危なッ」と言って俺は慌てて避ける。


「もうッ! 君は失礼な奴だなー。そんなにハッキリと断言しなくてもいいでしょ」


「だってお前みたいな奴と付き合ったら大変そうじゃん」


 何おー! と年甲斐もなく声を上げて急に椅子から立ち上がった雨音は、そのまま俺のところまでやってくると、ほっそりとしたその白い腕で首を締めてくる。


「おいッ! ちょ、やめろって! 危ない!」


 全然力が入っていないのでもちろん冗談だということはわかるが、頬に雨音の胸が思いっきり当たっていることや、女性らしい甘い匂いに刺激されて平常心が保てない。

 俺はその腕を掴むと、すぐに雨音のもとから逃げ出して椅子から離れた。


「大人気ないことすんなよなッ」


「君が失礼なこと言うから悪いんですよーだ。って、ほんとはそんなこと言って喜んでたくせに」


「なっ、別に喜んでねーよ……」


 俺は熱くなっている頬をとっさに右腕で隠すと雨音から目を逸らした。ちなみに心臓は爆発しそうなぐらいうるさい。


「照れるな照れるな少年! 夜はまだまだこれからだぞ」


「……」


 絶対コイツ酔ってるだろ、と俺は一人意気揚々と自分の椅子へと戻る雨音の背中を見て思った。……この調子だと、マジで俺の身が危ない。

 雨音はそんな俺の心配と不安をよそに、再び椅子に座りなおすと缶ビールを一気飲み干す。


「ぷはーッ! 私お酒すっごく苦手なんだけど、たまにはこういうのもいいよね!」


「おいちょっと待てよ! お前今すっごい問題発言してるぞ」


 俺は思わずぎょっとした目で雨音を見た。心なしか、その瞳はすでに明後日の方向を向いている。


「大丈夫だいじょーぶッ! こう見えて私、酔ったからってヘマしたことにゃいから!」


「……」


 すでに思いっきりヘマってますけど?

 俺はそんなことを思いながら冷たい視線を送る。


「そういや彰くんのご家族さんはいつ帰ってくる予定なの?」


 少しトロンとした目で上目遣いに見てくる雨音が聞いてきた。これ以上心が惑わされないように俺は咄嗟に視線を外す。


「し、知らねーよ。ただ、旅行の帰りに実家のほうに泊まるって言ってたから当分の間は帰ってこないんじゃないか」


 俺は雨音から視線を逸らしたまま、ぶっきらぼうに話した。

 昼間雨音に根掘り葉掘り聞かれたせいで、俺の家族が今は旅行中で家にいないことは伝えている。だからこそ、そのチャンスを利用しようと随分と前から色々と準備をして家出を試みたはずなのに、なぜ今俺はこんな酔っ払いと一緒にいるんだ?


「ふーん……そうなんだ」


 呟くような雨音の返事が聞こえた後、プシュッとまさかの二缶目が開く音がした。「おいッ!」と俺がキリッとした目で睨みつけるも、「大丈夫だって」と雨音は右手をひらひらと振ってへらりと笑う。


「ほらほら君も食べないとピザが冷めちゃうよ!」


 美味しいのか苦いのかどちらかわからないような表情をしながらビールを飲んでいる雨音が、俺を席に座らせようと手招きをする。 

 また突然飛びついてきたりしないよな? とまるで猫のように警戒心を丸出しにしながら、俺はおそるそおる椅子へと近づき腰を下ろした。


「せっかくだったら君のご家族さんも呼んでみんなでホームパーティすれば良かったね」


「バカか。それだったら俺が家出する意味なくなるだろ。ってかお前、俺の家族に連絡とかしてないだろーな?」


 ほえ? ととぼけた顔をしてきた相手を、俺は鋭い目つきで睨み返す。すると相手は缶ビールに口をつけてからクスリと笑う。


「心配しなくてもそんなことしないよ。それに私も最近こっちの家に戻ってきたばっかりだから君の家族とも会ったことないし顔もわからないしね」


「……」


 どこまで信用していいのかわからない話しに、俺は無言でピザを頬張りながら相手の表情を観察する。けれど残念ながら、感情豊かに変化する雨音の顔から彼女の本意を探れるほど、俺の観察力は磨かれてはいないようだ。

 

 結局いつの間にか俺の質問タイムは終わってしまい、気づけばまた雨音に根掘り葉掘り聞かれている状態になってしまった。そのせいか、ピザは好きなはずなのになかなか喉を通ってくれる気配はなかった。

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