第3話 3つの条件

 我慢負けしてぼそりと自分の名前を呟くと、相手は「ふーん、彰くんか」と意味深に何度も頷いている。……べつに珍しい名前でもないだろ。

 そんなことを思い白けた視線を送っていたら、相手はまた嬉しそうに口を開いた。


「ね、彰くんは何歳なの? 高校生には見えないから……もしかして小学生、とか?」


「バカっ! 誰が小学生だよ! 中二だよ中二! なんで高校生からいきなり小学生になるんだよ」


 そんなに幼く見えるのか? というショックを強気な口調で隠しながら、俺はこれでもかと言わんばかりに女の顔を睨みつけた。すると相手は肩を震わせながら両手でお腹を抱える。


「冗談だよ冗談! 君に素直に聞いても答えてくれなさそうだったから、ちょっとからかちゃった」


「…………」


 どうやらハメられたらしい。

 出会って30分も経っていない見知らぬ人間に、まるで自分の性格を見透かされたような気分になってきて、俺の苛立ちがさらに増す。


「で、彰くんはなんで『家出』しようと思ったの? やっぱり親とのケンカ?」


 ぐいっと顔も胸も寄せて尋ねてくる雨音とかいう女に、俺はバツが悪くなったのと恥ずかしくなったのとで思わず顔を逸らす。だいたい、何で見ず知らずの女に自分の家出事情なんて話さなきゃいけねーんだよ。

 今度こそ答えないからな、とフンっと強い態度で鼻を鳴らせば、どうやら今回は相手にちゃんと伝わったようで「あ、答えたくなかったら別にいいよ」と向こうはひょいと右手を小さくあげた。


「でも君、すごい大荷物だけどあんなリュック背負って行くアテなんてあるの?」

「…………」


 ない。

 いや、正確に言うと特定の場所を決めていないだけ。友達や親戚がいない俺はその手のツテは頼れないので、数日間はネットカフェや24時間のファミレスで過ごすつもりでいた。お金が底を尽きた時のことも想定してアウトドア用の寝袋も突っ込んできたので、もちろん野宿だって覚悟している。

 警察や家族の誰にも見つからないぐらい遠いところまで逃げ切れた暁には、高校生と偽って足がつきにくそうな個人経営のお店や会社でバイトして働く算段まで立てていたのだ。なのに……

 目の前の相手は、俺が全く何も考えずに家を飛び出したと勘違いしているのか、相変わらずクスクスと肩を震わせて笑っている。それを見て、またもイラっとした俺は眉間に皺を寄せた。


「べつにお前に言う必要なんてないだろ。それに、俺の家族にでもバラされたら厄介だしな」


「ひどいな! 私は君のこと裏切ったりしないよ。だからこうやって隠れ家まで提供してるのに」


「隠れ家って……」


 俺はため息をつきながらぐるりと辺りを見渡す。自分の家と同じ一軒家だが、こっちの方が広いのだろう。今座っているソファも大人三人ぐらいは余裕で座れそうだし、目の前に見えるダイニングテーブルもかなり大きいサイズだ。それでも空間自体は広々と感じられるほど家の中は広いし、高価そうな絵や装飾品が飾っているところを見ると、お金があるというのは本当のようだ。

 俺は再び視線を誘拐犯に戻すと、呆れた口調で言葉を続ける。


「家出して隣の家に隠れるバカがどこにいるんだよ。そんなのすぐに見つかるし、だいたいお前の家族が帰ってきたら一発でアウトだろーが」


 いい歳こいて何アホなこと言ってんだよと付け足してやろうかと思った時、相手は俺の言い分を予想していたのか、待っていましたと言わんばかりにニンマリと笑う。


「その心配はありませーん! まさか家出した人間が隣の家に隠れているなんて思う人はほとんどいないし、それにこの家、私しか住んでないからね」


「は?」


 何故かドヤ顔を向けてくる相手の言葉に、俺はもう一度部屋の中を見渡す。


「いやいやどう見たってこの家他にも誰か住んでるだろ! 椅子だって四つあるし、それにこんなデカい家に女一人で住んでるなんて不自然だろーが」


「お、なかなか鋭いところを突くなー君は。まるで名探偵みたいだ」


 ニヤリと笑って勝手に俺のことを評価してくる女の顔が、どう見たってからかっているようにしか見えなくて、俺の眉間の皺がさらに深くなる。

「おちょくるなよ!」と唇を尖らせて言えば、相手は笑いながら「ごめんごめん」と誠意の欠片もない謝罪。


「でも君にとっても悪い話しじゃないと思うんだけどなぁ。だって寝床はあるし、それにいざとなったらこっそり自分の家に帰ることだってできるんだよ?」


「だから俺は帰るつもりなんてねーよ! それにお前の話しだって怪しいのに、こんなところでうかうかしてられるかッ」


「なっ! 君は失礼なやつだな。私は嘘なんてついてないし、この家だって正真正銘私の持ち家なんだからね」


「はっ、どうだか。誘拐犯の言葉なんて全く信用できないけどな」


 俺はそう言うと女から顔を背けた。こうしている間にも、本来であれば電車に乗ってとっくにこの場所から離れているところだったのに。なのに、離れるどころかまだ家の真横にいるなんて滑稽な話しだ。

 苛立ちも焦りも我慢できなくなって「じゃあな」と俺が立ち上がろうとすると、相手は「待って」と右手を伸ばしてきた。


「じゃあこうしよう! 君が本当に逃げ出したくなった時は出て行っていいから、それまではこの家にいる。それならどう?」

「いやもうすでに本当に逃げ出したいんですけど?」


 何言ってんのこの人? といった表情を浮かべてキツい口調で言えば、相手の方がなぜか「はぁ」と呆れたように小さくため息をつく。


「この家にいる間、君の身の安全は私が保証するんだよ? 食事だってちゃんと出すし、生活できる部屋だって提供する。今から家出をしようとしている君にとっては願ってもない話しだと思うんだけどなぁ」


「…………」


 何を言われても疑ってやろうと心に決めていたはずが、俺はいつの間にか黙ったまま女の話しに耳を傾けていた。

 たしかに、食事と寝床を確保できることはかなりありがたい。いくら野宿を覚悟しているとはいっても外では何が起こるかわからないし、それに、食事だってリュックに詰め込んできた分と手持ちの軍資金が無くなればそれで最後だ。

 せっかく家族の元から逃げ出すことができたのに、遠く離れた場所で誰にも見つからず餓死なんてことだけは絶対に避けたい。

 そんなことを黙って考えていると、俺が話しを吟味していると勘付いたのか、女はここぞとばかりに話しを続けてきた。


「それに君が生活で必要なものは私がちゃんと買い揃えるし、野宿と違ってお風呂にも入れるから身体はいつもスッキリで清潔。しかも今なら私と一緒に入れちゃう特典付き! どう? けっこう魅力的じゃない??」


「ば、バカかお前ッ! そんな特典誰がいるか!」


 俺は思わず顔を真っ赤にして叫んだ。……が、そう言いながらもちょっと一瞬心が揺れてしまった自分に恥ずかしくなり余計顔が熱くなる。

 するとよっぽど俺のリアクションが面白かったのか、相手はケラケラと腹立たしいほど楽しそうに笑っている。


「いやー、さすがに中学生の男の子を誘惑しちゃったらダメだよね。ごめんごめん! でも、私はいつでもウェルカムだからその時は遠慮なく言ってきてね」


「……」


 誰が言うかよ、と俺は俯きながらぼそりと呟く。そんなことを頼む機会なんて絶対にない…………と、思う。

 俺は早くこんな話題を終わらせたいと思い、わざとらしく咳払いをすると語気を強めて逆に尋ねた。


「それで、そっちの『条件』は何なんだよ?」


 俺の唐突な問いかけに、女は「条件?」と目をパチクリとさせる。そんなとぼけたフリをしたって無駄だ。俺だってバカじゃない。

 隣人とはいえ見ず知らずの中学生を誘拐してここまで至れり尽くせりの環境を提供してくれるということは、それ相応の『何か』が必要なはずだ。それが金でも臓器でも命でも無いとしたら一体……


 まさか……俺の『身体』目当てか?


 一瞬そんなことを想像してしまった俺は、ゴクリと唾を飲み込むと、チラッと相手の大きく膨らんだ胸元を見てしまう。そして、慌ててすぐに顔を背けた。


「あ、君今スケベなこと考えたでしょ?」


「か、考えてねーよ!  勝手に決めつけんなッ」


「ほんとかなー?」と相手はニヤニヤとしながら俺よりもいやらしい目つきで見てくる。


 ……こいつ、やっぱり俺の身体が目当てなのかもしれない。


 俺は変態オヤジに襲われそうな女の子さながら、自分の身を守るようにソファの端っこへとささっと避難する。すると相手は「条件か……」とぼそりと声を漏らすと、意味深にウンウンと何度も頷いた。


「条件は……もろちんあります!」


「…………何だよ?」


 俺は警戒して思いっきり目を細めると相手の顔を睨んだ。するとニヤリと笑った女は、右手を突き出し、その指をピンと三本立てる。


「条件は3つです! まず最初の条件は、君は私の家にいる限り遠慮してはいけないということ」


「……は?」


 またもチンプンカンプンな話しに、俺は思わず声を漏らした。


「だからそのままの意味だよ。君がこの家にいる間は、自分の家だと思って思いっきりくつろいでほしいってこと。わかった?」


「…………」


 大丈夫か、こいつ? 変な薬でもやってて頭イカれてるんじゃないだろーな?

 誘拐犯のくせにあまりにも寛容すぎる相手の態度に、ますます俺の不信感が募っていく。それでも女は俺の様子など一切気にする様子もなく話しを続ける。


「じゃあ続いては2つ目の条件。この家の二階にある私の部屋と、その奥の部屋には絶対に入ってはいけないこと。それ以外だったらトイレでもお風呂でも和室でも、自由に使ってくれたらいいから」


「なんでその部屋はダメなんだよ?」


 急に怪しくなってきた話しに、俺は怪訝に思い眉をひそめる。


「そりゃあ年頃のおねーさんの部屋だよ? 君にとっては興味の塊かもしれないけれど、私は恥ずかしいからそれはダメ」


「バカっ! そんなのわかってるって。お前の部屋のことじゃなくて、どうして奥の部屋に入ったらダメなんだってことだよ」


 俺はまた頬に熱が集まるのを感じたが、無理やり気にしないふりをして相手に尋ねた。すると女は、ニヤッと怪しい笑みを浮かべると、両手を顔の真横まで上げてだらりと垂らす。


「ちょっとその部屋だけ訳があってね……こんな怖―いやつが出てくるの」


「…………」


 何だよその子供騙しみたいな言い方は。俺が幽霊にビビるとでも思ってるのか?

 やっぱこの女ムカつく、と冷たい視線を送っていると、相手はクスリと笑って話しを続けた。


「そーいうことだから、その2つの部屋には入らないようにね。あとは好きに使ってくれたらいいから」


 ね、と首を傾げて笑顔を見せてくる相手に、俺はムスッとした態度で視線を逸らした。というより、なんか既に俺がこの家に居ることが前提になってないか?

 このままだとマズいと思った俺は、「あのな……」と相手の話しを遮ろうとした。が、先に向こうに口を開かれてしまい、自分の方が遮られてしまう。


「それじゃあ最後の条件! これが一番大切だからよーく聞いてね」


そう言って相手は、念を押すようにぐいっと顔を寄せてくる。そして、その潤んだ唇をそっと開くと、急に大人びた声色で言う。


「君は私の前から勝手に消えたりしないこと」


「……」


 じっと自分のことを見つめてくる瞳には、これまでとは違う、何か切実めいた気迫があった。

 あまりにも真っ直ぐに問いかけてくるその視線に、俺は気まずくなって顔を伏せる。相手が女性で、しかも年上ということもあるのか、俺は言葉の逃げ道を失ってしまい無言になってしまう。すると相手は、「約束できる?」とさらに言葉を続けてきた。


「…………」


 何だよ。何でこんなことになってんだよ俺……。誰にも見つからないように遠くまで家出するつもりだったのに、何でこんなやつに……

 心の天秤が揺れるのを感じながら、俺はいつの間にか逸らしていた瞳を、再び女の方へと向ける。相手は笑うことも、さっきのようにからかうこともなく、真面目な表情でただじっと自分のことを見つめている。


 どうやらこれは簡単に逃げれそうにないな……


 直感的にそんなことを思ってしまった俺は、今日一番の大きなため息を漏らしてしまう。そして、話す気が失せて重くなっていた唇を無理やり開いた。


「……わかったよ」


「え?」


 ぼそりと呟いた自分の言葉に、突然女の声のトーンが上がる。俺はまた大きなため息を一つ挟むと、投げやりになった口調で言う。


「わかったって言ってんだろ。二度も言わせんなよ」


 ちっ、と小さく舌打ちを付け足した瞬間、突然俺の視界に女の胸元が飛び込んできた。直後、バフッと柔らかいものが顔面に当たる。


「やったー! ってことはここに居てくれるんだね!」


「ちょっ、やめろ! 離れろって!!」


 俺は自分に飛びついてきた女の身体を慌てて引き離すと逃げるようにソファの上で立ち上がった。


「あはは、ごめんごめん! つい嬉しくなっちゃって飛びついちゃった」


「…………」


 やっぱりここにいるのは危険だ。

 バクバクと口から飛び出そうなほど脈打つ心臓と急激に熱くなってしまった顔を誤魔化すように、俺は相手の顔をギロリと睨んだ。

そんな自分のことを見てクスクスと呑気に笑っていた女は、「あっ」と何か思い出したかのような声を発した。


「ちなみに『遠慮してはいけない』とは言ったけど、中学生とはいえ君は男の子だから暴力的なことはなしだからね。あ、でもエッチなことがしたくなった時は要相談で」


「は⁉︎ 何バカなこと言ってんだよ! するわけねーだろッ!」


 思わず目を見開いて怒鳴る自分に、相手は「冗談だって」とまたもプッと吹き出して笑い出す。


「君はからかい甲斐があってほんとに面白いなー! おねーさん面白くなってきたぞ」


「…………」


 マジで調子が狂うなコイツ……

 そんなことを思い、隙を見つけて絶対に逃げ出してやると心の中で誓った時、ふいに女が右手を伸ばしてきた。


「それじゃあ今日からよろしくね、彰くん」


「……」


 俺のことを誘拐したくせに、何一つ屈託のない笑顔で自分のことを見つめてくる女。ふんっと鼻を鳴らして視線を逸らした俺は、そっと右手を伸ばすと、挨拶がわりにその手を軽くはたいた。


こうして、家出を試みた直後に誘拐された俺と、その誘拐犯である雨音とかいう女との、望んでもいない奇妙な共同生活が幕を開けてしまったのだ。

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