第2話 名前
まず、おかしいことが二つある。
一つは、これまでこの国でどれだけの中学生が家出してきたかは知らないけれど、家出を試みた2秒後に誘拐される奴が存在するということ。
そしてもう一つは、誘拐してきた相手の住処が実はご近所さん、まさかの『隣人』だったということ。
「……何でだよ」
俺は知らないリビングのソファに座りながら思わず呟く。視線の先では、先程俺のことを誘拐してきた犯人が、呑気に鼻歌を歌いながらキッチンに立っていた。
「いやー私も『誘拐』なんてするの初めてだったからさ、すっごいヒヤヒヤしちゃったよ!」
「…………」
ヒヤヒヤって言いながらなんでそんなにウキウキしてんだよ。ってかお前誰だよ。
そんなことを思いながら黙って相手の背中をじーっと睨んでいると、向こうがグラスを持ったままくるりと振り返ってきた。
「君はアイスコーヒーとか飲めるのかな? それとも紅茶の方がいい?」
「……」
どうやらこのフレンドリーな対応を見る限り、俺を誘拐したからといって今すぐ取って食おうというわけではないらしい。だとすれば金か? 身代金か? それだったら先に先手を打っておこう。
「あのさ……」
俺は威嚇するように警戒心丸出しの声で、相手の顔を睨みながら口を開いた。
「先に言っとくけど、俺みたいな人間を誘拐したところで誰も身代金なんて払わないし、払える金も家にはねーぞ」
「…………」
痛いところを突かれたのか、女は急に黙り込んだかと思うと顔を伏せ、今度はプルプルと肩を震わせ始めた。たぶん自分の目的が達成できないと知って悔しがり、怒っているに違いない。
これはおそらく自分の身に危険が及ぶのも時間の問題だ、と俺は冷静にそんなことを思った。
が、予想に反して相手は突然お腹を押さえて大笑いし始める。
「…………」
今度は俺の方が無言になってしまう。今の話しにバカ笑いする要素なんてあったか?
呆れて呆然としたまま相手のことを睨んでいると、向こうは「ごめんごめん」と目に溜まった涙を指先で拭う。
「いやー君があまりにも面白いことを言うもんだからつい笑っちゃったよ。心配しなくても、私には使い切れないほどのお金があるから大丈夫!」
「……」
何が大丈夫なんだよ、と俺はすぐさま心の中で突っ込む。だいたい、お金に困ってない人間がなぜ中学生を誘拐する必要がある? それとも、俺みたいな人間を誘拐してほかにメリットなんてあるのか?
まさか……臓器提供? なんて考えたくもない恐ろしいことが頭にチラついたが、それが表情に出てしまっていたのか、女がまたクスクスと笑い始める。
「ちなみに君のことを捕まえて臓器を売り捌いたりもしないから怖がらないでね。あと、命を奪うようなこともしないから安心して」
「……だったら何が目的なんだよ?」
思わず口をついて出た言葉に、相手は「うーん」と悩ましげな声を漏らしながら右手で顎をさする。
え? コイツもしかして無計画で俺のこと誘拐してきたの?
ますます訳がわからず俺が頭を抱えてため息をついた時、「強いて言えば……」と女が再びぼそりと口を開いた。
「『家出少年』に住む場所の提供、かな?」
「…………は?」
不意に核心を突くような言葉が耳に飛び込んできて、俺は思わず身構えた。なんでコイツ、俺が家出しようとしてたこと知ってんだよ。
やっぱりこの女、危険だ。と俺がぎゅっと目を細めて睨みつけると、向こうはけらりとした明るい態度で話しを続ける。
「出掛けるにしてはあまりにもパンパンに膨らんだリュックに、顔が見えないぐらい深く被った帽子。おまけに家を出た直後にキョロキョロと辺りの様子なんて伺ってたら、そりゃあ『この子家出だな』って誰だって気づくでしょ」
「…………」
どうやら自分の慎重すぎる行動が裏目に出てしまっていたらしい。しかも黙り込んでしまったせいで、「やっぱり当たりだったか!」と相手はまたケラケラと愉快そうに笑う。
「う、うるせーなッ! だいたい俺が家出しようとお前には関係ないだろッ! なのに何で誘拐した上に住む場所の提供だなんてわけわかんねーこといきなり言いだすんだよ!」
図星を突かれてバカにされた俺は、ムキになって声色を強めた。それでも中学生の主張なんて痛くも痒くもないようで、「それが関係あるんだよなー」と笑顔で意味不明なことを呟く相手は、両手にグラスを持って近づいてくる。そして紅茶の入ったグラスを俺の目の前にあるローテーブルに置くと、隣にどかっと座ってきた。
「知りたい?」
女はふっと真面目な表情を作ったかと思うと、少し上目遣いに俺の顔を覗き込んできた。アーモンドの形にも似た二つの瞳に、戸惑う自分の姿がチラリと映る。
よく見ると、顔はけっこう綺麗で可愛いんだなって今更になって気付いた。……って、こんな時に何考えてんだよ、俺。
そんな余計なことを意識してしまったせいか、一瞬言葉に詰まった俺は返事を返すのに出遅れてしまう。するとニヤリと笑った相手の声が先に耳に届く。
「まあそれはおいおい話すよ」
「……」
おいおいって……この女、マジで俺のことをここに置くつもりかよ。
今度は呆れて声を出せなくなった自分に、相手は相変わらずマイペースに質問をぶつけてくる。
「そういえば君、名前は何て言うの?」
「……言わねーよ」
これ以上自分のことに首を突っ込まれたくないと思った俺は、ふんと視線を逸らしてぶっきらぼうに答えた。が、腹立たしいことに相手はまたもクスクスと笑う。
「言わねーよ、って名前隠したところで家の表札見たらわかるじゃん」
「………………」
だったら聞くなよ。
完全におちょくられていると感じた俺はイラっとして再び女の顔を睨んだ。
「それで、『宮本』くんの下の名前は何て言うの?」
「……」
この女、すでに表札見てやがったのかよ……マジで腹立つッ!
俺はムスッとした表情を作ると、今度は反撃だと言わんばかりに強気な口調で正論を叩きつける。
「なんで誘拐された俺が先に名乗らなきゃいけないんだよ。名前を言うなら、お前の方が先だろ」
鋭い口調と視線を相手に向けると、女はウンウンと頷き「確かにそーだよね」と一人納得する。
ちっ、もしも「表札でも見てくれば?」なんてことを言ってきたらそのまま逃げてやろうかと思ったのに、どうやらそうはいかないみたいだ。
そんなことを考えていると、再び耳障りなほどの元気な声が鼓膜を揺らす。
「私の名前は
「……誰が呼ぶかよ」
嬉しそうに自己紹介する相手とは反対に、俺はつっけんどんな態度で即答した。すると向こうは「もうッ」とわざとらしく頬を膨らませるも、すぐにその口元をニコッと緩める。
「ほら、私は年齢まで教えちゃったんだから次は君の番だよ!」
「……」
何なんだよこれ。何で家出するつもりで外に出たのに、隣の家でこんなことになってんだよ。
俺がそんなことを自問しながら黙っていると、相手も黙ったままじーっと見つめてくる。どうやら俺が名乗るまで逃す気はないらしい。
誘拐犯のくせにあまりにも人懐っこい目で見てくるものだから、俺は諦めたように大きくため息をついた。
「……彰だよ」
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