第40話 雨音の決意

 雨の音は嫌いだ。

 

 その音を聞くだけで、もう二度と戻ることはできないあの日に、自分の心はいつも縛りつけられてしまう。


 泣き出しそうになる。そのまま崩れ落ちてしまいそうになる。

 誰かに助けてほしくて、この痛みに気付いてほしくて、耳を塞いで叫び出しそうになる。

 

 だから私は、自分の名前が大嫌いだ。

 

 あの日から、ずっと。

 

 たった一人の大切な弟の命でさえ、この手で握りしめて繋ぎとめることができなかったあの日から。

 

 誰もいなくなった家の玄関で、私はただ呆然としたまま扉の前でしゃがみ込んでいた。まるで、心が壊れてしまったかのように。

 

 ……あの日と同じだ。

 

 無意識にそんなことを思った時、頬に大粒の涙が伝っていく。

 とめどなく溢れてくるそれは、まるで今日まであの子と築いてきた思い出みたいに、途切れることがない。

 

 こうなることはわかっていた。気付いていた。

 だからそれが怖くて、ずっと本当のことを言えなかった。

 あの子に、彰くんに私は取り返しがつかないようなとてもヒドイことをしてしまった。

 

 自分の心の弱さのせいで、わがままのせいで、あの子の気持ちを、今日まで一緒に作り上げてきた時間を、その何もかもを台無しにしてしまったのだ……

 

 後を追わないと、と焦る気持ちとは裏原に、両足はまるで鉛になったみたいに動かない。

 こうしている間にも、きっと彰くんは遠くに行ってしまう。私の手が届かないようなところに、あの子は……

 

 そんなことを考えた時、ふと脳裏に、私に背を向けてこの家から出て行く真樹の後ろ姿が浮かんだ。その直後、恐ろしいほどの寒気が背筋に走った。


「……いやだ」

 

 震える声で呟くと、私は無意識に自分の身体をぎゅっと抱きしめる。

 あの日私が失ってしまったもの……お母さんやお父さんとの繋がり……可愛がっていたはずの弟との繋がり……そして、また私は……

 

 そんなことを思った時、ふと滲んだ視界の中に、私が彰くんにプレゼントしたスニーカーの姿が映った。

 あの子に喜んでほしくて、幸せになってほしくて、何日も何日も一生懸命に探してやっとみつけた贈り物。

 

 そうだ私は……あの子に幸せになってほしくてこれをプレゼントしたんだ。

 私と同じで一人ぼっちの彰くんが、この先誰かと大切な繋がりを見つけることができるようにと、そう願いながら。

 

 私は残された力を振り絞って、ふらつきながらも立ち上がると、靴を履いて玄関の扉へと向かった。

 

 もうどんな言葉もあの子には届かないかもしれない。二度と会うことはできないかもしれない。

 それでも私は、見捨ててはいけないんだ。あの子のことを、彰くんの幸せを……

 

 ドアノブを握りしめて扉を開ければ、いつの間にか随分と時間が経っていたようで、雨はさらに激しさを増していた。おそらく彼は、もうこの街にはいないだろう。

 

 そうとはわかっていながらも、降りしきる雨の中、私は傘もささずに飛び出した。

 

 たとえこの手が届かなくても、私は最後まで諦めてはいけない。あの日の後悔を繰り返してはいけない。

 

 だってあの子は……私のことを唯一暗闇から救ってくれた、大切な人だから。

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