第26話 きみは王子様
「……なんでそんなに上機嫌なんだよ」
やっと戻ってきた旅館の部屋で、えらく豪勢な夕食を挟みながら、俺は目の前に座って
いる雨音に向かって言った。
海での出来事の疲れを癒そうと贅沢な露天風呂に入り、ゆうに十人くらいは入れそうな広々とした和室に泊まることができるのなら、そりゃ誰だって上機嫌にはなるだろう。
……だが、その点を踏まえたとしても雨音の機嫌の良さは異常だ。
俺は箸を握ったものの夕食には手をつけず、浴衣姿の雨音の顔を訝しむように見つめる。すると満面の笑みを浮かべている彼女が口を開いた。
「そりゃ上機嫌にもなるよ! だって……私を助けてくれる王子様に出会えたんだから」
「…………」
いやん、とわざとらしく照れたような声を漏らした雨音は、両手で自分の頬を隠した。
そんな彼女の様子を見て恥ずかしさのあまり言葉を失ってしまった俺は、つい視線を逸らしてしまう。
もしかして……雨音を助けたのは間違いだったのか?
自分の勇気ある行動を、思わず自分自身で疑ってしまう俺。……とまあそれは冗談として、俺も雨音もあの状況から無事に逃げ出すことができたのは、本当に運が良かったと思う。というより、俺自身まさかあんな行動に出たことに未だに信じられない。
そんなことを考えながら、俺は海での出来事を思い浮かべると、思わずブルッと肩を震わす。
「でもほんとにびっくりしたなー。まさか彰くんが助けに来てくれると思わなかったもん」
「……」
俺だってびっくりだ、と思わず言いそうになったのを箸で掴んだ刺身と一緒に飲み込む。いくら雨音とはいえ、まさか中学生の俺が助けに来てくれるなんて夢にも思っていなかっただろう。
どうせ俺なんて期待されない人間だからな、なんて捻くれたことを思いながら黙って箸を進めていると、再び雨音の声が鼓膜を揺らした。
「私のこと、助けてくれてありがとね」
落ち着いたその声音にチラッと顔を上げると、雨音は大人びた微笑みを浮かべて俺のことを見つめていた。
まるで自分のことを何もかも受け入れてくれそうなその優しい瞳に、俺はまたも恥ずかしくなって目を逸らす。
そのせいか、動揺のせいで咄嗟に口にしてしまった言葉が「別に当たり前だろ」と驚くほど気持ち悪いキザな台詞になってしまい、俺は余計気恥ずかしくなって顔まで逸らした。
すると、いつものようにクスクスと笑う雨音の声が聞こえてくる。
「さすが彰くん、カッコいいじゃん」
「……お前ぜったいにバカにしてるだろ」
恥ずかしさを誤魔化すように目を細めて雨音の顔を見ると、「そんなことないよ」と彼女はニコリと笑う。
「私あの時すっごく怖くてさ、どうすればいいのか全然わからなかったの。だから彰くんが助けに来てくれた時、あまりに嬉しすぎて正直泣いちゃいそうだった……情けないよね、私の方が歳上なのに」
そう言って雨音は照れ笑いを浮かべると、ピッと小さく舌を出した。
そんな彼女の言葉と仕草に、思わず胸の奥で心臓がドクンと大きく脈を打つ。勝手に早鐘を打ち始めた鼓動を落ち着かせようと、俺は慌ててコップに口をつけるとお茶を一気飲みする。
「……ま、まああの状況だったら仕方ないだろ」
コップを置いた俺は、ぎこちない口調で何とかそんな言葉だけ絞り出すと、小さく深呼吸をした。
雨音が浴衣姿というのもあるのか、さっきから妙にソワソワして落ち着かない。
俺は出来るだけ彼女の姿を見ないように顔を少し伏せながら、今度は海老の天ぷらへと箸を伸ばそうとした。すると伏せた頭の向こうから、強烈な視線を感じる。
「……何だよ」
なぜか夕食には手をつけず、黙ったまま自分のことをじーっと見つめてくる雨音。だから何だよ、と細めた目で再び問うと、柔らかに弧を描いている彼女の唇がそっと動いた。
「君がもう少し早く生まれてきてたらなぁ」
「……は?」
ぼそりと聞こえた雨音の言葉に、俺は思わず声を漏らして首を傾げる。すると彼女は「ううん」と小さく首を振ると、話題を終わらせるよにパンと手を叩いた。
「それじゃあ私も晩ご飯食べよーっと! もうお腹ペコペコで限界だよ」
いつものようにあっけらかんとした明るい声で雨音はそう言うと、伸ばした右手で箸を……ではなくなぜか徳利を掴む。そして、トクトクと音を立てながら中身をお猪口に注ぎ始めた。
「おい雨音それって……」
ものすごーく嫌な予感がした俺は、眉をひそめながら雨音に尋ねる。すると雨音は「へへッ」と笑って誤魔化す。
「ほら今日は彰くんと一緒に旅行にきた特別な日だからさ。その祝い酒ってことで」
「…………」
何の祝いだよ、と思いながら白けた視線を送る俺の目の前で、雨音はお猪口を口につけるとグビグビと飲んでいく。
……ってかコイツ、お酒苦手なくせに日本酒とか飲んで大丈夫なのかよ。
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