第18話 今日のスケジュール

 俺は出来るだけ顔を背けながら、ぼそりとした声で呟いた。すると彼女はようやく満足したようでニコリと笑うと、今度は両手で俺の頭をわしゃわしゃとかき始めた。


「やればできるじゃん!」


「……」

 

 俺はお前のペットか。

 と、そんなことを思ってしまった俺はあからさまに不機嫌な表情を浮かべると、すぐに雨音の手を払いのけ、ついでにその身体も押しのける。

 いくら中学生相手で彼女本人にその気はないとはいえ、雨音の接し方は思春期男子の自分にとっては非常に悪影響で危険すぎる。

 胸の中で暴れまくっている鼓動を感じながらそんなことを思うと、俺は相手の顔を鋭く睨んだ。けれど、細めた視線の先ではこちらの心境などまったく知らない雨音が、相変わらず嬉しそうにニコニコと笑っている。


「やっぱり自分が帰ってきた時に『おかえり』って言ってくれる人がいるのはいいよね!」


「……まあ、無理やり言わされたけどな」

 

 動揺していることを悟られないように冷めた口調でそう言うと、雨音はわざとらしくムッと頬を膨らませてきた。それを見て何だかまた飛びかかってきそうな嫌な予感がした俺は、雨音から距離を取ろうとソファの隅へとそそくさと退避する。

 するとそんな自分を見て今度はクスリと笑った雨音が、急に話しを切り替えるようにパンと手を叩いた。


「さて、今日は彰くんと一緒にやってみたいことがあります!」


「……」

 

 何だろう。この光景、どこかで見たことあるぞ……

 まーたろくでもないことを言い出すんじゃないだろうなと全力で疑いの眼差しを向けていると、雨音は何も言わずにニコリと笑い、そしてリビングの一角を指差す。

 その示された場所をゆっくりと目で追っていけば、視界に現れたのは大きなビニール袋と、そこからはみ出しているほうきの持ち手。

 さらにうっすらと透けて見える袋の中身には、いかにも新品といわんばかりのお掃除グッズたちが押し込められている。

 

 …………何だか嫌な予感がする。

 

 ゴクリと唾を飲み込んでそんなことを思った時、再び雨音の元気な声が鼓膜を揺らした。


「今日は彰くんと一緒にこの家の大掃除をしたいと思います!」


 一人意気揚々とそんなことを高らかに宣言する雨音。

 俺はそんな彼女の姿を見て、絶望感たっぷりの表情を向ける。が、彼女の話しは止まらない。


「いやー前からやらないといけないとは思ってたんだけど、一人だとなかなか決心がつかなくてさー。だから彰くんがいる時に一緒にやっちゃおうと思って」


「何だよその最低な理由は……」

 

 俺がげんなりとした声でそんな言葉を漏らすも、雨音はキラキラと輝きの宿った瞳で上目遣いに俺のことを見つめてくる。

 この顔に騙されてはいけない。

 そう思い、俺はふんと顔を背けた。が、今度は色欲に訴える作戦に出たのか、「お願い!」とパンと手を合わせた雨音は両腕で自分の胸元をぎゅっと挟み込むと、Tシャツから覗く谷間をやたらとアピールしてくる。


「…………」

 

 騙されるな騙されるな……騙されるな、俺!

 そんな誘惑に俺は決して屈しないと強く心に誓うも、雨音は俺が首を縦に振るまで諦めるつもりはないようで、「彰くんとやりたいなぁ」と下ネタまがいの発言までしてくる始末。

 コイツが男で、俺が女なら、間違いなくセクハラで一発アウトのレベルだぞこれ。

 そんなことを思いつつも、こうなってしまった雨音がしつこいことは百も承知なので、俺は諦めてため息をつくと、鉛のように重くなった唇をそっと開く。


「……わかったよ」

 

 俺は嫌々ながらにぼそりと呟いたが、効果は相当あったようで、雨音は「ほんとに⁉︎」とあからさまに大喜びすると、その勢いで再び俺に飛びついてきた。


「さっすがーわたしの弟!」


「弟じゃねーよ! ってか離れろッ!」


 ぎゅっと押し付けられた雨音のもろもろから逃げるように、俺は慌てて彼女の身体を引き離すと今度はソファから立ち上がった。ほんとこの女……油断ならない!

 動揺して頬が熱くなっている俺を見て、雨音はクスリと微笑むと立ち上がり、掃除用具がぎっしりと詰まっている袋を取りに行く。 

 そして袋の中から新品のちりとりセットを取り出したかと思うと、何故かランサーのごとくそれを振りかざした。


「よしッ!  それじゃあ私は二階の掃除をするから、彰くんは一階をお願いね!」


「…………」


 ビシッと雨音がちりとりセットで示した先は、一階と言いながら何故か部屋の中ではなく、窓の向こうに見える『庭』の方だった。 

 しかも、草ぼーぼーでけっこうな荒れ模様。


「……なぁ。なんで俺が庭掃除までしなきゃいけないんだ? なんかセコくないか?」


「そ、そんなことないよ! ほら私あんまり力仕事はできないし……それに、その……虫とかほんのちょっとだけ苦手だし……」

 

 あはははーと棒読み感丸出しの笑い声を漏らす雨音。そんな彼女を見て、俺は盛大にため息を漏らす。

 何が力仕事だよ……虫が嫌いだからめんどくさい仕事押し付けてきただけだろテメェ。 

 そんなこと思い、人差し指をつんつんと合わせながら苦笑いを浮かべる雨音をじーっと睨んでいたが、やはり彼女はここも譲る気はないようで、「お願いします!」と今度はパンと勢いよく両手を合わせて頭を下げてきた。


「……」

 

 中学生相手に本気で頭を下げてくる23歳の女。そんな彼女の姿に俺は思わず呆れ返ってしまい、またも無意識に大きなため息をつくと、しぶしぶながら口を開いた。


「わかったよ……でもその代わり、俺は庭掃除しかしないからな」

 

 本当は庭掃除が一番したくないのだが、早くこのやり取りを終わらせたいと思ってそう言えば、雨音の顔がパッと花開いたみたいに明るくなる。


「うん、それで大丈夫! さっすが彰くん! ありがとう!」

 

 感情豊かな彼女はけらりとした声でそう言うと、「じゃあ彰くんのために軍手と帽子取ってくるね!」と言ってさっそくドダバタとリビングから出て行ってしまった。

 

 どうやら今日の俺の一日は、雑草とたわむれて終わることになりそうだ……

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