第25話 隣にいる理由

「あー……死にたい」

 

 再び戻ってきた砂浜の上、広げたビニールシートに死体のように寝転がり、俺はそんな言葉を口にする。

 隣では三角座りしている雨音からクスクスと笑う声が聞こえてくるが、もちろん今の俺に、彼女の顔を見る勇気はない。いっそこのまま干からびて消えてしまいたい。

 なんてことを思っていると、雨音の優しい声が耳に届く。


「まあさすがにあの状況だったら仕方なかったし、そんなに恥ずかしがらなくても大丈夫だよ」


「…………」 

 

 何も答えず雨音の方をチラリと見ると、彼女は優しい笑みをふっと浮かべた。いつもの雨音ならここぞとばかりに俺の失態をからかってくるはずが、さすがにグロッキー状態の俺の心境を察したのか、珍しくフォローしてくれる。

 ……だからだろうか。その優しさがよけいに辛い。

 うんともすんとも何も声を発することができず、雨音と一緒にいることに恥ずかしさだけを感じていたら、「そうだ!」と彼女がいきなりポンと手を叩いた。


「私、なにか飲み物買ってくるよ。彰くんは何がいい? コーラかな?」

 

 雨音の大人らしい気遣いに、俺は素直にコクンと頷く。すると彼女は「わかった」と明るい声で言って立ち上がると、そのままサンダルを履いて砂浜の上を歩き始めた。そんな彼女の後ろ姿を、俺はただぼんやりと見つめる。


「はぁ……」


 雨音の姿が遠くなって人混みの中に消えていくと、俺は大きなため息を吐き出した。燦々さんさんと照りつける夏の太陽の真下にいても、今の俺の表情とテンションは曇っていくばかり。それなのに、胸の中では心臓がドクドクとまだうるさいので困った話しだ。

 俺はそれを少しでも落ち着かせようと深く息を吸うと目を閉じる。

 が、今度は閉じた瞼の裏側に、密着してしまった雨音の身体や温もりを思い出しそうになり慌てて首を振った。……ほんともう勘弁してくれ。

 そんなことを思いながら、俺は再び盛大にため息を吐き出すと、彼女が歩いて行ったほうをもう一度チラリと見た。

 

 ……そういえば雨音って、俺のことをどう思っているのだろう?

 

 ふとそんな疑問が心の中に浮かんだ。

 俺と雨音の関係は、普通の人間関係とは少し違う。いや、少しどころか本来なら関係でさえ築くことがない人間同士のはずだ。

 隣人とはいえ雨音と俺には歳の差があるし、それにだいたい家出した中学生を誘拐するというシチュエーション自体が既にありえない。

 これがもし凶悪な誘拐犯だったら今頃俺は拘束されているか、ミンチにされて海に沈められているかで、こんなにも良好的な関係を築くことはできなかっただろう。

 そういったことを考えても、俺と雨音の関係は単なるお隣さんとか先輩後輩、ましてや友達同士や恋人同士といった関係でもない。

 

 じゃあ俺にとって雨音はどんな存在なのだろう。

 

 再び同じような問いに立ち戻って自分の胸に聞いてみる。

 どうでもいい相手のはずなら、俺は今こうやって雨音と共に行動していなかったはずだ。

 きっとすぐにでもあの家から逃げ出して、今頃遠い街まで訪れて当初の家出計画を遂行していたと思う。

 でも俺は何故か、それを選ばなかった。その選択を選ばずに、今も雨音と一緒にいることを選んでいる……

 なぜだろう? とそんな疑問を考えていた時、どこからともなく声が聞こえてきた。


「……結構です。一緒に来てる人がいるので」


 雨音の声だ。……けど、何だか様子がおかしい。

 賑やかなビーチにいても、雨音の声をすぐに聞き分けた俺は、その声が聞こえた方へと顔を向ける。

 すると、視線が人混みの中をかき分けていく先に、両手にドリンクのカップを持った雨音の姿を見つけた。が、その左右には見知らぬ男たちの姿。


「じゃあさ! その子も連れてきて俺らと一緒に遊ぼうよ! その方がぜったいに楽しいって」

 

 いかにもチャラそうな口調で、雨音の右側にいる金髪の男が言った。直後男は馴れ馴れしい態度で雨音の腕を掴もうとする。すると雨音は、「やめて下さい!」と少し強い口調で言ってその手を払いのける。


「へー、怒った顔も可愛いじゃん。君、名前なんて言うの?」


今度はもう一人の男が口を開いた。坊主頭で日焼けしたその男は、雨音の一歩前に出ると彼女の行く手を無理やり塞ぐ。


「ちょっとだけでいーからついてきてよ。ジェットスキーにも乗せてあげるからさ!」


 しつこい金髪の男はそう言って、今度はがっちりと雨音の左腕を掴んだ。

「離してください!」と雨音も声を上げてすぐに抵抗を試みるも、その拍子に手に持っていたコーラを落としてしまう。


「あーあ、ジュースがこぼれちゃった」

 

 砂浜の上に無残にぶちまけられたコーラを見つめながら、坊主頭の男がわざとらしい嫌な言い方で言う。そして金髪の男は、「優しい俺らが弁償してあげるからさ」となおも雨音の腕を離そうとはしない。


「……」


 そんな光景を黙って見ていた俺は、恐怖よりも先に、胸の奥底からふつふつとこみ上げてくる怒りを感じていた。そして次の瞬間には立ち上がり、サンダルも履かずに裸足のまま雨音の方へと向かっていく。


「ほら、俺らが飲み物弁償するって」


 嫌がる雨音に、強引に別の場所へと連れて行こうとする金髪の男がそう言った瞬間、3人に近づいた俺は無意識に口を開いた。


「……やめろよ」


 震える唇で絞り出した言葉に、一瞬金髪の男と坊主頭の男が動きを止める。そしてすぐに俺の方へと視線を向けてきた。


「彰くん?」

 

 俺の存在に気づいた雨音が驚いた表情を浮かべる。すると金髪の男は、俺と雨音の顔を何度か見比べてきたかと思うと、今度はお腹を押さえて笑い始めた。


「え? もしかして一緒に来てるやつってこのガキのこと?」

 

 そう言って金髪の男が俺に指をさしてくると、隣にいる坊主頭の男もバカ笑いをする。

 俺は恐怖と怒りで震える手にぎゅっと力を込めると、二人の顔を睨む。


「おいガキ、なんだよその顔。俺らとヤル気か?」


 急に声色を低めてきた金髪の男は、雨音から手を離すと自分の前へとやってきて、ギロッと俺の顔を見下す。

 雨音に話しかけていた時とはあきらかに違うその冷酷な表情に、俺は思わずゴクリと唾を飲み込んでしまう。一瞬の沈黙。直後、視界の中で金髪の男が右腕を構えるのが見えた。


 ヤバいッ!

 

 俺は咄嗟に目を瞑ると、殴られる痛みに耐えようとぐっと歯を食いしばった。

 と、その時。「ピピー!」と突然笛の音が辺りに響く。


「君たち! そこで何してる!」


 その声にハッと目を開けると、監視員と思わしき二人組がこちらに向かって走ってくるのが見えた。


「ちっ、面倒くせーな……」


 金髪の男は舌打ちを鳴らすと、今度は駆けつけてきた監視員に何やら絡み始める。それを見ていた坊主頭の男も、不機嫌そうな顔をしながら彼に便乗する。


「……」

 

 今しかない。

 

 そんなことを思った俺は覚悟を決めるように大きく息を吸うと、拳にぎゅっと力を入れた。そしてすぐに指先を開くと、隣にいる雨音の左手を力強く掴んだ。


「え?」

 

 俺の突然の行動に、驚いた表情を浮かべる雨音。けれどそんな彼女の様子を気にする暇

もなく、俺は砂浜の上を、元来た道に向かって駆け出す。


「ちょっと待ちなさい!」

 

 すぐさま監視員の声が背中に届いた。が、もちろん立ち止まるはずもなく、俺は雨音を

連れたまま全力で走った。

 吐き出しそうなほど激しく脈打つ心臓に、何度ももつれそうになる両足。

 それでも俺は、握りしめた雨音の手だけは絶対に離すものかと力を込める。

 こんなにも誰かの為に必死になったのは、生まれて初めてだった。

 

 そしてこの時、俺は何となく気づいたような気がした。

 

 どうして自分がまだこうやって雨音と一緒にいるのか、その理由に、ほんの少しだけ触

れたような気がしたのだ。

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