第24話 もちろんここは……
「海だぁーッ!!」
ざぶーん、といかにもと言わんばかりの波の音が何度も鼓膜を揺さぶる中、俺はかつてないほど絶望感丸出しの顔をして、人が溢れる砂浜の上に立っていた。
右腕に抱えているのは、自分の身長ぐらいの大きさはありそうなシャチの形をした浮き輪。
そして下を見ると、足元には雨音が勝手に用意したビーチサンダルと、粘りに粘られて嫌々ながら履くことになってしまった真新しい海水パンツ。……というよりコイツ、なんで俺の海パンのサイズ知ってんだよ。
そんな疑問と恐怖を感じて目を細めるも、俺はいつものように雨音の顔を見ることができなかった。いや、顔だけじゃない。彼女の姿を見ることができないのだ。なぜなら……
「どうどうこの水着? すっごく可愛くない??」
「………………」
突然目の前にやってきてはしゃぐ雨音から俺は慌てて目を逸らした。それでも、視界の隅で揺れている白いヒラヒラがやたらと気になる。
「ちょっと、女の子が水着の感想聞いてきた時はちゃんと答えないとダメだよ」
「んなこと言われても……」
砂浜に突き刺さる日差しよりも、俺の頬のほうが熱い。
そんなことを感じながら俺は覚悟を決めるように唾を飲み込むと、チラリと彼女の方を見る。
そこには、夏の陽光をスポットライト代わりにして純白の水着に身を包む雨音の姿。
スタイルの良さをさらに強調させるような細いくびれに、すらりと伸びた腕と両足。そんな細身な身体をしているくせに、ふっくらと膨らんだ胸元のラインだけは周りにいる女性たちよりも遥かに大きい。
それを包む真っ白な水着には花びらのようなフリルが施されていて彼女の明るい性格とイメージがピッタリと合っているような……
って、何真剣に考えてんだよ俺。というか、水着と下着の違いがよくわからないので正直目のやり場に困る。
そんなことを思い徐々に視線を自分の足元へと逸らしていくも、逃がさないといわんばかりに雨音が少し前屈みになって俺の顔を覗き込んできた。そのせいで、豊満なバストが視界の中でさらに強調されてしまう。
こんなポーズしてくるとか……コイツぜったいわざとだろ。
そう思うも逃げ場を失った俺は諦めてため息をつくと、出来るだけ雨音の姿を視界から追い払い、おずおずとした動きで口を開く。
「いやその……い、良いと……思いましゅ」
噛んだ。思いっきり噛んでしまった。しかも何故か敬語で。
あまりの恥ずかしさに俺が黙り込むと、雨音はいつものようにクスクスと肩を震わせ始めた。
そんな彼女をギロリと睨んでやりたいところなのだが、まだ直視できるような心境ではないので俺は代わりに舌打ちをする。すると再び雨音の陽気な声が耳に届いた。
「照れるな照れるな少年! こんな素敵なおねーさんの水着姿なんて滅多に見れないんだから、しっかり目に焼き付けておいてね」
「…………」
何バカなこと言ってんだよ! と思わず心の中で突っ込むものの声にはできず、ついでに雨音のことをちょっとチラリと見てしまう。……って、思いっきり誘惑に負けてんじゃねーか俺。
そんな自分についつい呆れてしまうが、極度の緊張と恥ずかしさのせいでため息一つ漏らすことができない。そのまま不自然なほど微動だにせず固まっていると、「ほら早く海に入ろうよ!」と雨音が突然俺の左手を掴んできた。
「いや、あの俺は……」
いつもの強気な態度は微塵も出せず、俺は無抵抗のまま雨音に連れられて波打ち際へと向かっていく。
人混みを通り抜けて行く度に、「あの子超可愛くない?」とか「隣にいる奴何だよ」とか聞こえてくるので非常に耳が痛いし心臓に悪い。できれば一秒でも早くこんな場所から逃げ出したいところなのだが……
そんなことを考えていた時、パシャン! と勢いよく右足が海水へと浸かった。
その瞬間、俺は一切の思考を断ち切り、慌てて雨音の手を振り払うと両足をピタリと止める。突然カカシのように棒立ちになった俺を見て、雨音が「どうしたの?」と首を傾げて不思議そうな表情を浮かべる。
「…………」
俺は雨音の言葉には何も答えず、右腕にシャチの浮き輪を抱えたまま、足元で揺らめく海面をじっと見つめる。そしてこれから自分の身体がこの中に飲み込まれようとしていることを想像して、思わずゴクリと唾を飲み込む。
「彰くんって……もしかして泳げないの?」
怪しむような声で尋ねてくる雨音に、俺は慌てて顔を上げると相手を睨んだ。
「そ、そんなわけねーだろ! バカにすんなよ!」
先ほどまでの態度とは違い、いきなり強い口調で反論する俺に、雨音は「ふーん」とますます目を細めてきた。
そして突然両手を伸ばしてきたかと思うと、俺が持っているシャチの浮き輪を奪おうとしてきた。なので、俺は咄嗟にそれをかわす。
「ちょっと、それ私の浮き輪なんですけど?」
「……」
あきらかに面白がっているような口調で所有権を主張してくる相手に、「これは俺が膨らませた」とこちらも苦し紛れの言い訳で応戦。
するとニヤリと笑った雨音がまた浮き輪を奪ってこようとしたので、俺は全力でそれを阻止する。
自分でも何をやっているんだと我ながら情けなく思いながらも、俺はシャチに飛びつこうとしてくる雨音を、中学生男子の持てる限りの力を出してかわし続けた。
が、結局……
「無理無理無理! マジでやめろってこのバカっ!」
砂浜から少し離れた海の上、俺はまるで転覆した船の遭難者のごとくシャチの浮き輪の背中に必死にしがみついていた。足元では、けらけらと楽しそうに笑う雨音が浮き輪の動力となって俺をさらに沖の方へと進めていく。
「やっぱ彰くん泳げないんだ!」
「…………」
その言葉にカチンときた俺は、雨音の顔を思いっきり睨みつけてやろうかと思ったが、浮き輪にしがみつくことに必死で身動きがとれない。そう。彼女の言う通り、俺は極度のカナヅチ人間なのだ。
「ほれほれー!」
「ちょ、バカやめろ揺らすなって! 本気で怒るぞ! マジでしばくぞ!!」
俺は相手が歳上の女性ということも忘れて暴言の数々を連発する。が、雨音は笑うばっかりで悪ふざけをやめる様子はない。
「そんな悪いことを言うのは誰かなー? 今のうち早く謝らないと……」
「わ、わかった! わかったって!! だからそれ以上傾け……」
ザパァっ! と突然耳の奥に炸裂音が響いた。直後、周囲からは一切の音が消えて、一瞬天地の向きがわからなくなる。
ヤバいッ!
海に落ちたとわかった瞬間、俺は慌てて息を止めた。ぎゅっと目を閉じて手足をバタつかせるも、つま先が地面に触れる気配はない。
このままだと溺れる! と瞬時に頭の中で警報が鳴った瞬間、俺は無我夢中で水面を目指して腕を伸ばす。と、その時。限界まで伸ばした指先が何かに触れた。
浮き輪だ!
俺は決死の覚悟でそれを掴むと、絶対に離すまいと両腕で必死にしがみく。そしてその勢いのまま、水面の向こうへと顔を突き出した。
「ブハァっ!」
再び額に風を感じ、肺一杯に空気が満たされた瞬間、俺は目を瞑りながら思わず声を漏らした。助かった! その喜びが酸素と一緒に血液に乗って全身を駆け巡る。
が、すぐに両腕に違和感を感じた。……浮き輪だ。浮き輪がやけに細いのだ。
何でだ? と疑問を感じながらゆっくりと瞼をあげると、真っ先に視界に飛び込んできたのは、鼻先に触れている大きな胸だった。
……胸?
まったく状況が理解できず、海に落ちた時のように俺の思考が再び止まる。しかしその直後。耳に聞こえてきた言葉に、俺は今この世で最も考えたくもない状況に陥っていることに気づいてしまう。
「君もなかなな強引な男の子だね」
「……」
その言葉を聞いた瞬間、さーっと血の気が引いていく……はずが、逆に全身から火が噴き出そうなほどカッと熱くなった。
両腕で強く挟み込んでいるのは柔らかくて細い身体。そう、俺が必死にしがみついたのは浮き輪ではなく……雨音だったのだ。
「………………」
犯してしまった過ちの重大さに気づき、一瞬で頭の中が真っ白になる。
視界の隅では、表情こそわからないものの、チラリと見えている雨音の潤んだ唇がニヤリと動く。
それを見て、俺は何も声を発することができずにそのままそっと両腕を離すと、この世界から消え去るように静かに海の中へと沈んでいった。
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