第42話 エピローグ

 まず、おかしいことが二つある。

 今までこの国でどれくらいの中学生が家出をしてきたのか知らないが、家出をした直後に誘拐されて、その後に脱出できたはずなのに、また誘拐犯のところに戻ってくるバカな奴がいるということ。

 そしてもう一つは、誘拐犯の方もそれを快く受け入れるどころか、喜びのあまりーー


「それじゃあ彰くんが無事に帰ってきてくれたことを祝して、かんぱーいッ!」


「…………」


 意気揚々にそう言って、缶ビールを高らかに天井へと向けているのは、俺の誘拐犯こと雨音だ。ちなみに、ただ今第二回目の歓迎会が開催中。


「何だよこれ……」


 深夜零時をとうに過ぎているにも関わらず、目の前にずらりと並べられているのは雨音の豪勢な手料理。しかも、俺の好きな食べ物ばっかりだ。

 ぐぅぅ、と育ち盛りの食欲には勝つことはできず、俺は呆れた顔をしながらも、雨音の作ってくれた料理にさっそく手を伸ばす。……うん、やっぱり美味い。

 そんな俺の姿を、開けたばかりの缶ビールに口も付けずに、雨音は嬉しそうにただじーっと見つめてくる。

「何だよ」と恥ずかしくなってぶっきらぼうにそう言うと、「べっつにー」とやたらと上機嫌な声が返ってくる。そして雨音はクスリと笑うと、缶を右手で持ち上げて口を付けた。


「うー、やっぱりビールは苦手だ」


「じゃあ何で飲んでんだよ」

 

 天邪鬼な彼女の台詞に、俺はますます顔をしかめる。こんないつものやり取りも、つい最近までは当たり前だと思っていたけれど、今は何だか新鮮な気がする。

 それは雨音も同じなのか、いつもより5割増しぐらいの笑顔を見せてきたかと思うと、なぜか今度はドヤ顔を浮かべる。


「だって、ビールが飲める女性って何だか大人みたいじゃない?」


「何言ってんだよ……年齢的にもう十分大人だろ」


 べつにそこに悪意があったわけではないのだが、どうやら俺の言葉に地雷が含まれていたようで、「何だとー!」と急にわざとらしく怒って立ち上がった雨音は、ドタドタと俺のところまでやってくると、その細い両腕でぎゅっと首を絞めてきた。


「ちょっ、やめろって! やっぱお前は子供だ、子供!」

 

 どこかで見たことのある光景だと思いつつ、俺は力の入っていない雨音の腕から急いで逃げ出そうとした。

 が、不意に雨音の方からその腕を離してきたかと思うと、今度は優しくそっと俺の頭を抱きしめてきた。


「……ありがとう、戻ってきてくれて」


「……」


 さっきまでとはまったく違う、落ち着いた穏やかな声で雨音が言った。まるで歌うような優しいその声音に、思わず俺の心は震えてしまう。

 ただ……俺の顔が思いっきり雨音の胸元にうずめられているのは耐えられないので、俺は無言のまま彼女からそっと頭を離した。そして言い訳じみた感じで口を開く。


「ま、まあ……渡し忘れたものもあるしな……」


 ぼそぼそとそんな言葉を呟いて椅子から立ち上がる俺を、雨音は「え?」と不思議そうな表情で見つめてくる。

 俺はそのまま何も言わず、雨音に背を向けるとリビングの入り口近くに置いてあるリュックへと近づく。そしてチャックを開けて中から小さな紙袋を取り出すと、そこで一度小さく深呼吸をした。

 あれだけ探し回って、あれだけ隠す場所を模索していたはずなのに、結局俺は最もシンプルかつ王道の方法で、雨音にそれを渡した。


「そ、その……誕生日、おめでと」

 

 これほどまでに人は恥ずかしくなることがあるのだろうかと思うほど、俺は顔どころか全身も熱くさせて、ぎこちない口調で祝福の言葉を伝えた。ちなみに、やっぱり噛んでしまった。


「…………」

 

 雨音は見えない雷にでも撃たれてしまったのか、両手で持った紙袋を見つめながらフリーズしていた。

 喜んでいるのか、戸惑っているのか、まったくわからないそのリアクションに、俺の背中にじわりと嫌な汗が滲む。

 が、直後。ぼそりと口を開いた雨音の言葉を聞いて、俺は自分の作戦が成功したことを知る。


「覚えてて……くれたの?」

 

 震える声でそう言って、俺の顔と紙袋を交互に見る雨音。どうやら今日の彼女の瞳は、雨雲よりも降水確率が高いようで、またも小さな滴がぽつりと頬を伝う。

 そしてそれを誤魔化すように右手で顔を拭った雨音は、「へへッ」といつものように無邪気な笑みを浮かべた。


「どうしよ、すっごく嬉しい」


「……」


 自分と違って素直にそんな言葉を口にする雨音に、俺は恥ずかしくなってしまい思わず顔を逸らした。すると、再び彼女の無邪気な声が聞こえる。


「ね、開けてみていい?」


「え? 今開けんのかよ」


 やめろよ、と言わんばかりに怪訝な顔をして相手を睨めば、雨音は「今でしょ!」と言ってクスクスと笑う。なら勝手にすれば、と投げやりな感じでそう言うと、雨音は本当にすぐさま紙袋を開けて中から小さな箱を取り出した。


「……」


 緊張の一瞬。まるでツーアウト満塁で勝負に挑むバッターのような心境で、俺はゆっくりと箱の蓋を開けていく雨音の様子を横目で見ていた。

 すると、ホームランを打った時のような喜びの声が耳に届く。


「うわぁッ、すっごく可愛い!」


 少女のように目を輝かせて、箱の中からネックレスを取り出した雨音は、まるで宝石でも見つめるかのように、うっとりとした表情でそれを見つめる。


「これ、彰くんが自分で選んでくれたの?」


「当たり前だろ、ほかに誰が選ぶんだよ」


 強気な態度でそう答えるも、俺は恥ずかしさと雨音が喜んでくれた嬉しさで、彼女に対して完全に背中を向けた。ダメだ……今この顔を見られるわけには……


「さっすが彰くん! センスあるー!」

 

 ドン! と背中に衝撃が走ったと同時に、俺の耳元で雨音の明るい声がした。直後、俺は自分の身体が再び抱きしめられていることに気づく。


「ちょッ、だからやめろって!」と今度は慌てて雨音の両腕から抜け出すと、俺は顔を真っ赤にしたまま彼女のことを睨みつけた。が、相手は俺が渡したプレゼントにどうやら夢中のようで、それどころではない。


「どうどう? 似合う??」


 さっそくネックレスを首に付けた雨音は、嬉しそうな口調でそう尋ねてくると、まるでバレリーナみたいに俺の前でくるりと回った。……って、そこ回る必要あるのか?

 

 そんなことを思いつつも、自分が初めてあげたプレゼントでここまで喜んで貰えるのはやっぱり嬉しいもので、俺は緩みそうになった口元を誤魔化すように小さく咳払いをした。

 そしてその時、俺はふと思ったことを口にしてみた。

 たぶん、普段の自分なら絶対に言わないようなことを。


「なあ雨音……明日、一緒について行っていいか?」


「え?」


 一人はしゃいでいた雨音は、何のこと? と言わんばかりにきょとんとした表情を浮かべて首を傾げる。そんな彼女に俺は口ごもりながらも、どうしても伝えたいことがあった。

 雨音がこれから先、もうたった一人で抱え込まなくてもいいように。


「その……俺もちゃんとお参りしとこうと思って」

 

 ぎこちない口調でそんな言葉を口にすると、雨音の目がふっと柔らかく細められた。そしてじわりと涙の膜が張ったその瞳に俺の顔を映しながら、彼女は「うん」と小さく頷く。


 今の俺が雨音に対してできることがあるとすれば、彼女の背負った傷を、ほんの少しでも分かち合うことだろう。

 今はその全てを受け止めることはできないけれど、いずれ自分が彼女の隣を一緒に歩ける時がくれば、その時はきっと……


 満たされた沈黙の中で、お互い見つめ合っていたことに気付いた俺は、ハッと魔法が解けたように我に戻ると慌てて顔を逸らした。 

 そしてチラッと彼女の様子を見てみると、意外なことに、雨音も少し照れた表情を浮かべているではないか。……って、その顔は反則だろ。


「そうだ! 私ケーキも買ってたんだ! 彰くんと一緒に食べようと思って」

 

 照れ隠しのつもりなのか、雨音はパンと手を叩いてそう言うと、軽快な足取りでキッチンの方へと向かっていく。

 そんな雨音の後ろ姿を見ていた俺は、そのまま視線を、彼女がかつて家族で過ごしていたであろうリビングの方へと向けた。

 と、その時。ふとあるものに目が止まった。


 リビングの入り口横に置かれた小さなチェストの上、そこに一枚の写真が入ったフォトフレームが飾られていたのだ。


 おや? と思い、俺は雨音が背を向けているのを確認すると、こっそりそのフォトフレームまで近づく。

 そして中に入っている写真を見て思わず苦笑した。

 たぶん俺が風呂に入っている時に、こっそり飾ったのだろう。

 

 幸せを願うように四つ葉のクローバーのデザインが散りばめられたそのフォトフレームには、俺の誕生日の時に雨音が勝手に撮った写真が飾られていた。

 そこに写っている二人が、あまりに楽しそうなもんだから、俺はついつい呆れた顔を浮かべてしまう。

 

 どうやらこの奇妙な家出生活は、まだまだ続きそうだ。

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家出2秒後に隣人のお姉さんに誘拐されて もちお @isshi

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