第32話 違和感の正体

「ヤバい……ぜんっぜんわかんねぇ」

 

 ベンチに背中を預けながら、俺は絶望感たっぷりの声を漏らした。しらみつぶしに片っ端からお店を見て回ってはいるものの、これといったものは何一つ見つからず、気付けば5階までやってきていた。

 

 7階からレストランフロアだから、あと1階だけか……


 残りわずかになっていくお店のことを考えながら、俺は大きなため息をつく。

 雨音が帰ってくるまでにはあの家に戻りたいので、ほかの場所に移動している時間なんてない。

 だから何としてでもこの建物にあるお店で何かプレゼントを見つけたいのだけれど……


 そんなことを思いながら辺りを見渡していると、ふと視線の先にあるお店に目が止まった。

 

 雑貨屋か……


 俺はゆっくりとベンチから立ち上がると、目の前に見えている、いかにも女性が好きそうなカラフルな雑貨がたくさん扱っているお店へと足を向けた。

 これまでアパレルとかアクセサリーのお店ばかりを見て回って来たが、雑貨だって立派な誕生日プレゼントになるはずだ。

 俺はそんなことを考えると、祈るような思いで店内の物色を始める。


「キッチン関係とかもいいかもな……」


 手に取ったマグカップを見つめながら俺はぼそりと呟いた。

 雨音は料理が得意だ。俺もたまには作ることもあるけれど、ほとんど毎日の飯は雨音が作ってくれている。しかも結構手の込んだものを作ることもよくあるので、料理は好きなほうだと思う。

 だったら何が良いかなと視線を動かしていくと、ふとあるものに目が止まる。エプロンだ。


「……」

 

 そういえば、雨音が料理をしているときにエプロンをつけているところは見たことがない。もしも持っていないなら、プレゼントに選ぶのも悪くないかも。

 そう思った俺はハンガーラックに並べて掛けられているエプロンを一枚一枚吟味していく。 

 鮮やかな花の絵が散りばめられたデザインや黒レースが施されたものなど、エプロンひとつといえど結構色んな種類がある。

 雨音ならどれが似合うだろうかと考えていた時、何となくこの感じが、雨音の下着を選ばされている時と似ているような気がしてきて、俺は思わず手を止めてしまう。

 しかもそんな余計なことを考えてしまったせいか、酔った雨音ならエプロンをどんな風に着るのだろうと邪念と煩悩まで顔を出してきたので慌てて首を振って追い払う。


「ま、まあもう少し色々と見てから決めるか……」

 

 無意識に手にしていたフリルのついた純白のエプロンをラックに戻すと、俺はこの場から逃げるようにそそくさと移動した。

 若干の恥ずかしさと後ろめたさを胸に抱えたまま店内奥へと進んでいくと、今度はリビングで使えそうな雑貨が目につくようになってきた。どうやら棚ごとによってジャンルが分かれているようだ。

 置き時計に花瓶やクッションカバー、それにディフューザーとかいう良い匂いがする置物など。

 どれもパッと見た感じ、ファッションよりかは好みが枝分かれしていないし、エプロンのように変な妄想に囚われることもなのでいいかもしれない。

 そんなことを思いながら棚に並べられている商品を見ていた時、一瞬奇妙な感覚が俺の心を捕らえた。

 なんだろう? と思ってその違和感を辿っていくように視線を動かしていくと、ある商品の前で足が止まる。


「……」

 

 目の前に現れたのは、どこにでもありそうなフォトフレームだった。横長の長方形で木製のそれを見た時、俺はかつて雨音の家で感じた違和感の正体がやっとわかった。


「……写真だ」

 

 思わず無意識にそんな言葉を呟いた俺は、そっと目を閉じると、頭の中で出来るだけ鮮明に雨音の家の中の光景を思い浮かべる。

 

 ……やっぱりそうだ。あの家には写真が一枚もない。

 

 俺はそう思うと、もう一度隅々まで家の中の様子をイメージした。リビングやキッチン、俺が今使っている洋室や二階にあった書斎にも、自分の記憶が正しければ、あの家には家族どころか雨音の写真でさえどこにも存在しないのだ。


「何でだろ……」

 

 俺は閉じていた瞼を上げると目の前に置かれているフォトフレームを手に取った。写真を撮られることが苦手な人間ならいざ知らず、雨音の性格を考えるとそれはないだろう。というより、旅行に行った時もコイツ一体どれだけ撮るんだよと呆れてしまうぐらい、彼女は楽しそうにスマホで写真を撮っていた。なのに……どうしてだ?

 

 ざらりとした木の質感が指先に伝わり、それが何故か心までざわつかせる。

 俺の知らない雨音の姿が、見えない写真の向こうに隠されているような気がして妙に心が落ち着かない。

 そんな不安にも似た感情から目を背けるかのように、俺はフォトフレームを元の場所に戻すとそっと背を向けた。


「……」

 

 俺が雨音にまだ話してないことがたくさんあるように、いつもオープンで明るい彼女にだって俺の知らないことがたくさんあるはずだ。あって当然だ。そしてそれはこれから時間をかけて知っていけばいい。

 たとえ俺が自分の家族との縁を切ったとしても、雨音との関係はこれからだって続けていけるはずだ。

 そう。彼女と約束したように、俺が雨音の前から勝手に消えることなどありえないのだから……

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