第6話 恐怖の夜這い

「ここが君の部屋だよ!」


 夕食後、雨音に元気よく紹介された部屋は、リビングを出てすぐ目の前にある洋室だった。

 昔は来客用で使っていたというその部屋は、中に入ってみるとダブルサイズぐらいのベッドが置かれていて、その足元にはデスクや小さな棚が置かれていた。全体的にシックなブラウンで統一されていることもあってか、家というよりかは、どこかの高級ホテルみたいな内装だった。


「自分の部屋だと思って遠慮なく寛いでね!」


「…………」


 どうやって寛ぐんだよ、こんな堅っ苦しい部屋で。

 呆れた俺が無言のまま呆然と立ち尽くしていると、そんな自分の様子を見て雨音が「あれ?」と声を漏らす。


「もしかして私と一緒の部屋の方が良かったかな?」


「んなわけねーだろッ! だいたい自分の部屋には入るなってお前が言ったんじゃねーか!」


「そだったね」とまだ酔いが残っているのか雨音がへらっとした笑みを浮かべる。


「まあ君がどーしてもってお願いしてくるなら、その条件だけもう一度考え直してもいいけど?」


「は? 頼むわけねーだろそんなこと。こっちから願い下げだ」


 捨て台詞のようにそう言って部屋の中へと足を踏み入れると、今度は背中から拗ねたような声が聞こえてくる。


「そんなこと言って、私が寝てる時に襲ってきたらダメだからね」


「ば、バカっ! そんなことするわけないだろ!」


 着火したように一瞬で熱くなった顔で相手を鋭く睨めば、雨音は指先を口元に当ててクスクスと笑っていた。ほんと、この女と喋っていたらマジで調子が狂う……


「じゃあ私もお風呂に入って寝るから、彰くんも今日はゆっくり休んでね」


 おやすみ! と雨音は上機嫌にウインクを飛ばしてきたので、俺はふんっと顔を背けてそれを受け流す。そしてバタンと勢いよく部屋の扉を閉めた。それでも扉の向こうにいる相手は相変わらず一人楽しんでいるようで、クスクスと笑いながら風呂場の方へと向かっていく足音がする。


「……」


 やっと束の間の自由を手に入れることができた俺は、脱力するようにベッドへと座ると、そのまま背中から倒れ込んだ。そして瞼を閉じた瞬間、ふとある考えが浮かぶ。


 待てよ……あいつが風呂に入るってことは今が逃げ出すチャンスじゃないか?

 

 そんなことを思い、俺は再び目を開けた。耳を澄ましてみると、閉め切った扉の向こうからは微かにシャワーの音が聞こえてくる。

 よしッ!

 俺は思わず心の中でガッツポーズを取る。……が、そんな考えとは裏腹に、ベッドの上で仰向けになった身体はピクリとも動かない。

 一歩も出歩いていないのに雨音のせいで身も心もクタクタだったし、いくら見ず知らずの相手とはいえ、夕食をご馳走になった直後でこっそり逃げ出すというのも少し気が引ける。


「まあ、明日逃げ出せばいいか……」


 ふぅわと無防備なほどの大きな欠伸を一つして、俺はそんな言葉をぼそりと呟いた。パンパンに満たされた胃袋の影響もあってか、徐々に瞼が重くなっていく。そこにやたらと寝心地の良いマットレスを背中に感じてしまうともうアウト。

 煌々とシーリングライトが部屋を照らす中でも、俺の意識は水に溶けていくようにぼやけていき、やがて完全にシャットダウンした。


  ※ ※ ※


奇妙な気配を感じて、俺はまどろみの中でゆっくりと瞼を開けた。けれど瞼の向こうに広がっているのも、闇だった。


 あれ……おかしいな。たしか電気を消したつもりは……


 ぼんやりとする思考で、意識を失う直前の記憶を思い出そうと頭をひねっていると、視界の隅で何かが動いたような気がした。その瞬間、背筋に悪寒めいたものが走る。


 まさか…………幽霊か?


 ビクリと肩を震わせた俺は、上半身を起こして暗闇の中でぎゅっと目を細めた。が、暗さに適応できていない両目は、そこに何があるのか認識することができない。


「…………」


 身の危険を感じた俺は、慌ててポケットからスマホを取り出すと急いでライトをつける。そして、さっと扉の方へと向けた瞬間……


「うわぁッ!」


 暗闇の中、光に照らされた一角に突然何かが映り込み、俺は思わず叫び声を上げた。

 よく見ると、視界の中に女が立っている。幽霊じゃない。雨音だ。


「…………何やってんだよ」


 完全に拍子抜けしてしまった俺は、部屋の電気をつけると、怖がっていたことを誤魔化すように冷め切った声で言った。すると胸元でぎゅっと枕を抱きしめている雨音が、「へへッ」と笑う。


「へへ、じゃねーよ! なんで枕持ってそんなとこで立ってんだよ」


 俺の問いかけに「そりゃあ……」と口を開いた雨音は、何故かてくてくと近寄ってくると、ベッドに腰掛けた。そして、今日一番の笑顔を浮かべて言う。


「君と一緒に寝るためだよ」


「…………」


 は? と思わず目をパチクリとさせる自分の前で、雨音は勝手に枕を並べると、「うんしょ」と呟きながらベッドの中へと潜り込もうとする。それを見て、俺は慌てて彼女の右腕を掴んだ。


「おいちょっと待てって! なに勝手なことしてんだよ」


「まあまあせっかくの機会だし! それに一人よりも二人で寝たほうが楽しいでしょ?」


「楽しいって……」


 別に睡眠に楽しさなんて求めてませんけど? ってか何なのコイツ、いくら歳上とはいえ男に対して無防備過ぎるだろ!

 そんな俺の心配などよそに、いつの間にか枕に頭を乗せている雨音は「ほらほら彰くんも」と俺の枕をポンポンと叩く。


「バカっ! こんな状況で寝れるわけねーだろ!」


「え? どうして?」


「どうしてって……」


 きょとんとした表情を浮かべる雨音に、俺は恥ずかしいのと呆れたのとで思わず顔を背ける。すると、今度はクスリと笑い声が聞こえた。


「あれれ? もしかして私と一緒に寝るの照れてる?」


「…………」


 んなわけねーだろ、と強気な口調で言い返すつもりが、動揺のせいか思わず小声になってしまった。すると雨音が悪戯な笑みをニヤリと浮かべる。そのあまりに腹立たしい表情に、俺の頭の中ではカチンと音が鳴る。


「心配しなくても私は君のこと襲ったりしないからだいじょーぶだよ。あ、それとももしかして君の方が……」


「そんなことあるわけないだろッ」とやっと強い口調で言い返すことができた俺は、横並びしている自分の枕をベッドの端まで逃がすと、出来るだけ雨音と距離を取って布団の中へと入る。そしてもちろん彼女に対して背を向ける。


「ねえちょっと、何でそんなに離れるのさ?」


「当たり前だろ。狭くて寝れない」


 俺はそう言うと、無理やり目を瞑って早いとこ眠りの世界に入ろうとする。するとピッという機械音が聞こえた後、閉じた瞼の闇が一層深くなった。どうやら雨音が電気を消したようだ。


「…………」


 視界が閉ざされた世界で、ガサゴソと雨音が動いている音だけがやけに大きく聞こえてくる。

 頼むからさっさと寝てくれよ、と心の中でそんなことを愚痴った時だった。突然背中に得体の知れない柔らかいものが押し付けられた。


「……何してんだよ」


 急に後ろから抱きついてきた雨音に、俺は精一杯冷静さを装った口調で呟く。すると暗闇の中、彼女が妙に甘ったるい声で言う。


「こんなことすると、君も興奮したりするのかな?」


「するわけねーだろ!」


 今度は声を荒らげそう言うと、雨音はまたも面白そうにクスクスと笑い、さらに腕の力を強めてきた。おい、俺は抱き枕じゃねーぞッ!

 心臓が極度の緊張と恥ずかしさのせいで、今にも口から飛び出そうなほど暴れまくっている。けれど反対に身体は石のように固まってしまい、おまけに何故か声も出ない。

 暗闇の中で背中に感じる雨音の体温や、鼻腔をくすぐる彼女の甘い匂いだけが、やけに強烈なほど意識に訴えかけてくる。

マジで色々とやばい! と心の中で盛大に叫ぶもやっぱり声にはできず、ピクリとも動かないまま黙っていると、再び耳元で雨音の声が聞こえてきた。


「それにこうしてれば、君が夜中にこっそり逃げ出すこともできないでしょ?」


「……」


 用心のためなのか、それともただ単に俺をおちょくっているのかはわからないが、雨音はそう言った後、すぐに「すーすー」とわざとらしく寝息を立て始めた。あまりの身勝手ぶりに呆れてしまった俺は、やっと唇だけでも動かせるようになると小さくため息をつく。

 人を抱き枕がわりにして呑気に寝息を立てている雨音とは反対に、背中に生々しいほどの柔らかい人の温もりを感じている俺の意識はますます研ぎ澄まされていく一方だ。

 おかげで、ふと余計なことに気づいてしまう。

 

 この女……下着ぐらいつけろよッ!

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