第23話 家出はバカンス

 まずそもそもの大前提としてハッキリ言いたいことは、自分は家出をした人間だということだ。……なのに、なぜ俺は今こんな場所にいる?

 いくつもの電車を乗り継いで、初めて降り立った見知らぬ駅のホーム。一泊二日分という随分と軽くなったリュックを背負いながら俺はそんなことを思う。

 家出の移動手段として新幹線に乗ることも計画していたが、まさかこんな形で乗ることになるとは思わなかった。

 ちなみにさっきから隣では、海外旅行にでも行くんですか? と聞きたくなるようなデカいキャリーバッグを手にした雨音がはしゃいでいる。


「いやー、やっぱり潮の匂いはいいな! すっごく新鮮!」

 

 雨音はそう言うと、まるで空でも掴もうとするかのように両腕を思いっきり上げて伸びをした。

 惜しみなく露出された彼女の肩や胸元が陽光を浴びてさらに輝きを増す。

 と、そんな余計なことを意識してしまい、危うくガン見しそうになった俺は慌てて視線を背ける。いくら夏とはいえ、その服装は反則だと思う。マジで。

 そんなことを思っていたら、何となく雨音が自分のことをじーっと見ているような気がして、俺は背中と脇に変な汗を感じ始めた。

 もしかして自分の考えていたことがバレたのか? と思った時、ふいに雨音の明るい声が耳に届く。


「やっぱりそれ、似合ってるね!」


「え?」

 

 突然意味のわからないことを言われた俺は、「は?」というような表情を浮かべながら雨音のほうを見る。すると彼女は俺の足元を見つめながら嬉しそうに微笑んでいる。ああ、なるほど。スニーカーのことか。

 俺は雨音の視線につられるように自分の足元に目を落とした。

 真っ白でまだ汚れひとつないスニーカーは見た目も履き心地もとても良くて、履いた時に思わずテンションが上がってしまったのは事実だ。が、雨音が隣にいたのでもちろん顔には出さないように我慢したけれど。


「まあセンスの良い私が選んだから間違いないけどね!」


「なんの自信だよ……」

 

 呆れた口調でそう言えば、雨音はいつものようにへへっとあどけない笑顔を見せる。

 最近その笑顔を見てしまうと、なぜか妙に心がそわそわして落ち着かないので、俺はチラっと視線を逸らした。

 そのついでに改札の向こうに広がる景色を見ると、まっさきに視界に飛び込んでくるのは、澄み切った空の青さにも負けないほどのマリンブルー。つんと鼻腔をつく潮風の匂いは独特で、たしかに雨音が言うように新鮮な感じがする。


「とりあえず先に旅館に行って荷物を預けよっか」


 うんしょと言ってキャリーバッグの持ち手を再び握りしめた雨音は、ガラガラと音を立てながら改札の方へと歩き出す。床がでこぼこしているせいか、雨音の後ろ姿がどことなく危なっかしい。そんなことを思った俺は、小さくため息をついた後、彼女の隣に並ぶとすっと右手を差し出す。


「……俺が持つ」


「え?」

 

 恥ずかしさのせいでぼそりと呟いた自分の言葉に、雨音が不思議そうな顔を浮かべて立ち止まる。

「だから俺が持つって」とぶっきらぼうな口調で俺は再び言うと、雨音の右手からキャリーバックの取っ手を奪い、そのままガラガラと改札へと向かう。


「いいよ彰くん、これ私の荷物だし自分で運ぶよ」


 慌てて近づいてきた雨音が俺の手からキャリーバッグを取り戻そうとしたが、「いいって」と俺は断り、彼女の伸ばしてきた右手を身体で遮る。そんな自分に、「もう」と雨音は一瞬唇を尖らせたが、すぐにその口元をふっと綻ばせた。


「君はやっぱり優しい子だね」


「……べつにそんなんじゃねーよ」

 

 俺がぎこちない口調でそう言い返すと、雨音はふふっと小さく笑みをこぼした。その後、「ありがと」と彼女の声が再び耳に届いたが、俺は何も言わず、少しだけ歩調を早めて改札を抜けた。

 駅を出るとすぐ目の前にタクシー乗り場があり、都会ではあまり見ないデザインのタクシーが数台停まっていた。どれも観光客目当てのようで、扉には「ようこそ!」という不格好なステッカーが貼られている。

 俺と雨音はその内の一台に乗り込むと、昨夜彼女が急遽予約したという旅館まで向かった。タクシーの運転手いわく、駅から十分くらいで着くらしい。


「ええっと、おねーちゃんたちは……」

 

 ぽっちゃりとした人懐っこそうな運転手のおじさんはそう話し始めると、ルームミラー越しに後ろに座っている俺たちの顔を何度も見比べた。そして、俺と目が合った瞬間少し悩んだような表情を見せる。


「どういう関係だい?」


「…………」

 

 いや俺に聞くなよ。

 

 心の中ですぐに即答した俺は、自分たちの関係の説明についてチラリと雨音を見て目線で訴える。するとなぜか楽しそうに微笑んだ彼女が、ぐっと前のめりになって口を開いた。


「私たち、どういう関係に見えます?」


「は?」

 

 目を輝かせながら衝撃的な質問を繰り出す雨音に、俺は思わず声を漏らした。

「バカっ! 何言ってんだよ」とすぐさま口を挟むも、何故かノリノリの二人は止められない。


「んー、カップル……にしては男の子の方が若すぎるしなぁ。兄妹か……それとも、もしかしておねーちゃんが誘拐しちゃったとか?」


 はははッ、と運転手は自分自身で言った冗談に大爆笑していた。それにつられるように雨音も笑いながら、「実はそうなんですよ!」と堂々と罪を暴露する始末。もちろん俺だけ笑えない。


「良かったなー君、こんなキレイなおねーちゃんに誘拐されて! おじさん羨ましいよ」


「…………」

 

 こいつ絶対信じてないだろ、と俺は目を細めてミラー越しに映る運転手の顔を睨んだ。が、隣からは「そうですよねー!」と嬉しそうな声を漏らす雨音。

 本当に誘拐犯のくせに、そのあまりにあっけらかんとした態度に俺は思わずため息をついてしまう。

 そんなやり取りがあった後、タクシーはすぐに目的地について、俺と雨音は狭い車内から解放された。タクシーから降りる時、「おねーちゃんに食べられないように気をつけなよ!」と運転手がよくわからない冗談を言ってきたが、なぜか言われた俺ではなく雨音のほうが、「はーい、気をつけます!」と元気に返事をしていた。

 直後、雨音は俺の方を見てニヤリと怪しい笑みを浮かべてきたので、俺は思わず視線を逸らす。……もしかして、ほんとにそのつもりじゃないだろうな?

 そんな胸騒ぎを感じたのは一瞬のことで、タクシーに背を向けた俺は、今度は目の前の光景を見て絶句した。


「な、なんだよ……ここ」

 

 思わずそんな声を漏らした俺の視線の先には、小さな橋の向こうに立派にそびえ立つ巨大な建物。

 旅館と聞いていたし、しかも雨音が昨日慌てて予約したようなところだから、てっきり民宿のような建物をイメージしていた。……が、何一つ自分の想像とは一致しない。

 地上5階建てぐらいあるレトロな木製の外観は、ただ古いというわけではなく、それもデザインの一部だと一目でわかるぐらいオシャレだ。雰囲気としては、何だかジブリの映画とかに出てきそうな気もする。

 そして間違いなく言えることは、本来なら俺みたいな人間が泊まれるような場所ではないということだ。


「……マジでここに泊まるのかよ?」


「そうだよ」


 呆然と突っ立ったまま尋ねる自分に、雨音はいつものようにけろりとした笑顔で答える。旅費は私が払うからと雨音は昨日張り切って言っていたが、こんな立派な旅館を前にすると、一体いくらだったのかを聞くのも怖い。

 そんなことを思いながら微動だにせず固まっていると、雨音は「ほら行くよ」と言って赤い手摺りが印象的な橋の上を歩き始めた。俺も金魚のフンのように黙ったままその後に続く。

 橋を越えるとこれまた立派な門が出迎えてくれて、その門を抜けると今度は見事な日本庭園が広がっていた。心身共に庶民の俺は、そんな光景を見るだけで思わず震え上がってしまう。


「うわー! すっごく広いね!」


 建物に足を踏み入れた瞬間、雨音が頭上を見上げながら感嘆の声を漏らした。

 エントランスのこの場所はどうやら最上階まで吹き抜けになっているようで、建物の中にいるとは思えないほどの開放感に満ち溢れている。

 天窓のステンドグラスからは木漏れ日のように色鮮やかな光が降り注いでいて、まるで別世界に足を踏み入れたような錯覚さえ覚えるほどだ。

 そんなことを思いながらますます心が萎縮していく自分とは反対に、雨音は意気揚々とした足取りで受付のカウンターへと向かい、何やら手続きを始めていた。

 こういう場面、本来なら男の方が「全部出すから」みたいなことを言うのがカッコいいのかもしれないけれど、今の俺はどれだけ血迷ったとしてもそんな台詞を口にする勇気はない……ってか俺、誘拐されてるしな。

 なんてことを考えながら雨音の様子を見ていたら、突然彼女が振り返り手招きをしてきた。

 まさか……ここにきて突然割り勘だとか言い出さないだろうな? と内心ビクビクしながら近寄れば、どうやら荷物を預かってくれるという話しだったようで、俺はほっと胸を撫で下ろしてリュックを預けた。

 身体の負担も心の不安も無くなって安堵した俺は受付近くにあるソファへと座ると、そのまま少し休もうと目を閉じる。

 雨音の家にあるソファも座り心地は良いが、さすが高級旅館ということもあってこちらもなかなかだ。チェックインするまでまだ時間はあるし、それまでこのソファで……


「ほら彰くん、出発するよ!」


「……は?」


 閉じた瞼の向こうから、突然号令のような雨音の声が聞こえてきて、俺は思わず声を漏らした。

 怪訝な顔をして目の前を見れば、そこにはニッコリと満面の笑みを浮かべる雨音の姿。ちなみにいつの間に用意したのか、彼女の肩には大きなビニールバッグがかけられている。


「……」


 なぜか一人ノリノリな雨音の雰囲気に、嫌な予感と不安を感じ始めた俺はおずおずとした口調で「どこにだよ?」と尋ねた。

 すると彼女の唇がニヤリと動く。


「そりゃあもちろん……」

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