第38回

 篝は時計を布袋に収め、腰に下げてから、凜のあとをついてきた。身を起こした白狼丸に跨らせ、自分は彼女を後方から支えるような姿勢を取る。動物に乗るのは初めてなのか、少しそわついた様子を見せた。

「怖がらないで。白狼丸はいい子だから」

「うん――分かってる。どうか落とさないように、私を掴まえていてくれる?」

 それで安心するならばと思い、片腕を篝の腰に回した。想像したより遥かに華奢な体だった。ひょいと抱え上げられるのではないかとすら思った。

 合図と同時に白狼丸が走りはじめる。篝のあばら家が背後へと飛び去っていく。

「あんな襤褸屋敷でも、私には大事な家だった」

「誰だってそうでしょう。自分の家ですから」

 返答に間が開いた。後方からでも、篝の表情に翳りを見出せた。

「信じてもらえないでしょうけど、住みはじめたばかりの頃は、もう少し立派な家だったの。小さいけれど素敵な。それでも長い長い時間が過ぎて――私は決して歳を取らないのに、家だけが朽ちていった。私だけが、あの冬の夜に閉ざされているんだって気付いた」

「篝さんだけじゃありません」

 やっとのことで凜は言い、空いたほうの掌で目許を拭った。それだけで伝わったらしく、篝はこくりと首を上下させて、

「そうね」

 小雪がちらつきはじめた。篝が身を震わせたので、寒いのだと思って引き寄せた。そう体温が下がっている様子はない。冷たくも熱くもない、平坦な感触だった。凍えがちなのは、むしろ自分の体のほうだ。状況はおそらく、これからもっと厳しくなる――。

 予感は当たった。やがて上体を起こしているのが困難になるほどの、横殴りの猛吹雪となった。視界は完全に白一色に占拠され、向かうべき方角も判然としない。身を捻じ切られるような痛みと、恐怖。何度となく対峙し、乗り越えてきたはずの障壁なのに、不安と苦痛は鮮烈である。今まで生きていられたのは、ただ奇蹟だったと思うほかない。

 突如として、腹部を突き上げるような衝撃に見舞われた。ふわり、時間が引き延ばされる。空中に放り出されながら、かろうじて篝を抱き留めた。ふたりで塊になって、雪の中へと落下する。鈍い衝撃。

「篝さん、無事?」

「ええ。どうにか。でも霊獣が――」

 起き上がり、視界を巡らせると、少し離れたところで蹲っている輪郭を見出せた。じりじりと、こちらに這ってこようとしている。凜は篝を抱いたまま、その影に向けて、

「白狼丸! 怪我したの?」

 ううむ――と鈍い唸り声がした。立ち上がるに立ち上がれない様子で、数歩前進しては崩れ落ち、匍匐し、といった動作を繰り返している。呼吸も、走っていたときの比ではないほどに速い。

「我らは失態を犯した。走るよりほかに能のない我らが――脚を折ってしまった」

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