第11回
「お母さま! 大変です! 目を覚ましてください!」
辿り着いた母の寝室の扉は、すでに固く凍り付いていた。分厚い氷の層に包まれ、素手では触れることさえ叶わない。なにか道具――いや、火だ。火さえあれば。
廊下を折れ、〈消えずの囲炉裏〉のある居間へと向かった。固まりかけた戸に、肩から体当たりする。二度、三度。
どうにか打ち破れた。その勢いで部屋の中へと転がり込む。息を荒げたまま中央の囲炉裏を見下ろし、愕然となった。
「嘘」
常に揺れているはずの火が絶えていたのだ。困惑交じりに屈みこみ、積もった灰を掻きまわす。唇をすぼめて炭に風を送ったが、熾火が息を吹き返す気配はない。
「燃えてよ。お願い」
雪と氷の脅威を跳ね除けるべく〈消えずの囲炉裏〉に頼ろうとしたのだが、とんだ見当違いだった。屋敷が極寒の地獄と化したのはそもそも、護りの火が失せたせいだったのだ。
首元に冷気を感じて振り返った。景色はすでに白一色に変容し、原形を失っている。先ほどまで戸があった場所から、小さな顔が覗いていた。少女?
「目を合わせるな。殺されるぞ」
声が聞こえると同時に手を強く引かれた。転倒しかけたが、かろうじて体勢を立てなおせた。手はまだ握られたままだ。冷たい――しかし、敵意ある冷たさではなかった。肌が引き締まるような感触だった。
「来い」
その白いかんばせを、凜は一瞬、茫然として見ていた。白唇の雪那。なぜ彼女がここに――と思考が停滞しかけたが、再び強く引き寄せられて我に返った。ともかく、ここから逃げ出さなくては。
「壁を破らせてもらうぞ。身を守れ」
雪那の片腕が腰に回される。もう片方の腕がすっと前方に伸び――ぱち、と指が鳴らされた。
風が立ち、凜の頬をなぶった。交差させた両腕の隙間から、壁に稲妻のごとく巨大な亀裂が入るのを目にした。ぱらぱらと破片が注ぎ、ひび割れが縦横に広がったかと思うと、硝子が砕けるような甲高い轟音とともに、壁が崩落した。
無我夢中で外へと飛び出す。足が、雪を踏んだ。
肩越しに振り返れば、すでに穴は塞がりつつあった。壁を封じた塊はやがて、結晶の形を成した。そこを中心として枝分かれし、どこまでも伸びていく。
「ぐずぐずするな。こっちだ」
唖然としてその光景を見つめていた凜に、雪那の手が伸びる。抱えられて走りはじめても、視線を逸らすことは出来なかった。
立ち込めた白い霧が中空で凝固し、雪となって降りそそいでいる。住み慣れた屋敷が覆われていく――残りの家族全員を閉じ込めたまま。
「お母さま! お祖母さま! 姉さん! 放してください。皆がまだ――」
咽が張り裂けんばかりに叫び、振りほどこうと身を捩った。手をばたつかせ、力任せに雪那をぶつ。しかしその腕の力は、まったく緩むことはなかった。
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