第7回
石段を駆け上がった先にもまだ露店がある。旨そうな匂いが鼻先を掠めたが、ずんずん進んでいく獣たちを追うのに精一杯で、立ち止まれなかった。腹は空いている。しかし鬼ごっこは嫌いではないし、なにより市の主催者だという人物に会う機会を、逃す手はなかった。
最上の楽器を売ってくれと頼む気でいた。獣たちの警告は、とうに脳裡から失せていた。
「ここだぞ、ここだぞ」
素っ気ない灰色の石壁に、なにやら複雑な紋様が彫り込まれた戸がくっ付いている。行け、と促されて取っ手を握った。凜は振り返って、
「あなたたちは来てくれないの?」
「我らはここまでだ。おまえだけで行け」
「誰か一匹でも来てくれない?」
「それは出来ぬ。出来ぬ」
すげない。諦めて独りで入ろうとすれば、戸は想像よりはるかに重かった。体重をかけて思い切り押すと、かろうじて滑り込める程度の隙間が生じた。狭い通路だ。
立ち竦んだ。仄暗いのはともかく、猛烈な冷気が堪える。この市へ至る山道でさえ、こうも寒くはなかった。凜は両腕で体を抱くようにして、震えながら歩みを進めた。
「雪那さん、白唇の雪那さん。三匹の獣に紹介されて参りました」
獣たちに名を聞いていなかったと、今さらのように気付く。顔見知りには違いなかろうから、通じるには通じるだろう。万一忘れていたとしても、犬のような獅子のような、金色の大きな目をした、と形容を重ねれば、思い出さないはずはない。
小部屋へと辿り着いた。相変わらず灰色一色で、長机や腰掛けでさえ石を切り出して拵えたかに見える。奥の壁にはまた洞穴のような、別の通路が口を開けていた。なんのための部屋なのか皆目分からない。
「あのう、お邪魔しています」
だしぬけに風が起き、凜の頬を刺した。粉雪を孕んだ冷たい風だった。瞬きを繰り返して、目に入り込んだ雪を追い出す。屋内だというのに。
「なに、これ」
いつの間にか、闇の中に人影が浮かんでいた。息を呑んで後ずさった。相手のほうから近づいてくる。
「雪那さん――ですか」
現れた長身の女が凜を一瞥し、含み笑いだけで応えた。着物のみならず、長い髪から肌に至るまでのいっさいが、あらゆる色味を抜き去ったかのように白い。
視線を吸い寄せられた。凍える手で首筋を撫で上げられる感覚。
「人間か。よくこんなところまで辿り着いたものだな」
抑揚のない、冷たい声だった。庭先から光を追いかけて、と説明を試みたが、唇が震えてうまく声が出なかった。伝わったろうか。女――雪那はさらに距離を詰めてきて、凜を見下ろした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます