第6回
「落ち着け、おまえのためなのだ」
「我らの誤りでもあった、まさか本当に人の子とは」
別の声。最初の獣と同じ姿をしたものが二匹、どこからか姿を現した。まさしく湧いて出てきた、と凜には受け取れた。早業で三つに分かれたのかと錯覚しかけた。
よくよく似ている。三匹が並ぶと、いよいよどれが盗人か分からなくなった。
「私のためってどういうこと? ちゃんと話して」
それはだな、と一匹が喋り出す。凜は三匹を睨み渡して待った。
「人の子がここの食い物を口にすると、引き返せなくなるのだ。たとえ菓子のひとつであってもな。危ないとはそういうわけだ。おまえは本来、ここに居てはならない存在なのだ」
残りの二匹が鼻先を上下させる。即座には納得しかねるその説明に、凜は腕組みして、
「ちょっと待ってよ。〈衾雪の市〉でものを食べては駄目なんて、聞いたことないよ」
違うぞ、違うぞ、と一匹が騒ぐ。声の調子からしてこいつが盗人だ――おそらく。
「ここは〈細雪の市〉だ。白唇の雪那が立てた〈細雪の市〉だ」
そうだ、そうだ、と合唱しながら、三匹の獣が円を描いて踊りはじめた。細雪? 衾雪ではなく?
困惑する凜をよそに、獣たちが立ち止まって相談を始めた。頭を突き合わせ、がやがやと語り合っている。
「やはりここは、白唇の雪那に知らせねばならんか」
「人の子だからな、人の子だからな」
「ともかく外へ帰してやらねば」
「しかし、あやつは怖ろしいぞ」
「やむを得まいよ」
決まりだ、と全員が叫び、再び凜にかしらを向けた。
「人の子よ、我らは今からおまえを、雪那のもとへ連れてゆく。帰り道を教えてほしいと頼め。おまえ自身で頼むのだ。それしかすべはない」
「しらくちのせつな――その人は誰?」
「我らも知らぬ。人ではない。おまえのような人の子ではない。〈細雪の市〉の主よ」
来い、と獣たちが声を揃えた。六つのぎょろりとした瞳がこちらを見据えている。
従うほかないらしい、と凜は腹を括った。なに、取って食われはしまい。この段に至ってなお少女の胸中を満たしていたのは、幼く無邪気な好奇心だった。物珍しい体験をいかに家族に語って聞かせよう、と嬉々としている。家に帰りつけぬ可能性など、露ほども認識してはいない。
「いいよ。会ってみる」
三体の霊獣に先導され、凜は〈細雪の市〉の喧騒の中をゆく。すれ違う客たちがみな、各地より集った神々、あるいは精霊であることを、いまだ彼女は知らない。
ふと顔を上げると、あの巨大な楼閣の、円形の機巧がはっきり視界に入った。等間隔にぐるりと配された、凜には読み解けない文字。単なる飾りと見做していた紋章は……なんと動いている。ゆっくりと、しかし着実に。
「なにをしている、なにをしている」
「ごめん。行くよ」
賑やかなその行進を、遠くからじっと見つめている影がある。凜と霊獣たちは無論のこと、近く居合わせた神々でさえ、まるで気に留めた様子がない。居ないはずのものが居る――ここにもまた。
娘はそっと口許を歪める。そうして、白い蝋燭に灯された火を一息に吹き消す。
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