第5回

「私になにか、用があった?」

 答えない。白っぽい、存在感の希薄な娘だと感じた。俯きがちでいるので、表情はよく分からない。年齢は自分と同じくらいか、あるいは少し下だろうと想像した。

「独りで来たの?」

 やはり答えず、娘はほっそりとした指で凜を差した。頑なに顔を上げようとはしない。

「私? ああ――これ? これが欲しいの?」

 菓子を軽く持ち上げてみせたが、彼女はかぶりを振った。指先の向きが変わる。

「こっち? これはね、私の家から持ってきた火だよ。ほら、まだ道が暗いから」

 火鉢を同じ高さまで掲げながら説明すると、娘は黙ったまま、そっと白い蝋燭を差し出した。なるほど、火を分けてほしかったのだ。凜は頷き、火鉢を寄せた。

「はい。これでいい?」

 炎の灯った蝋燭を、娘はしばらく眺めていたが、やがて反対の手を背中に回した。再び正面に戻ってきたときには、小さな人形が握られていた。静かに突き出された。

「――くれるの?」

 人形は半透明で、氷を削り出して作られたかに見える。単純な造形だが、子供を象っていることは分かった。そっと触れてみると冷たい。本当に氷?

「ありがとう」

 娘が踵を返し、走り去った。その背中が雑踏に呑まれ、隠れて、すぐに見えなくなる。

 火鉢をいったん地面に下ろし、貰った人形を袋に収めて背負った。今度こそ落ち着いて菓子を食べ、楽器を探そう。露店の立ち並んだ一帯から少し離れると、ぽかんと広まった空間に出た。椅子があれば座りたかったが、贅沢は言うまい。

「――それを食うな、食うな」

 傍らから叫び声がしたかと思えば、凜の鼻先を灰色の塊が掠めた。つむじ風のような、凄まじい勢いだった。後ろざまにひっくり返りそうなほど驚いたが、一瞬のことで声も上げられなかった。

「危ういところだった、実に危ういところだった」

 怖々と視線を下ろすと、そこには獣めいたおかしな生き物がいた。仔馬ほどにも大きいが、べつだん恐ろしげではない。犬と獅子を無理やり掛け合わせたような恰好で、分厚い毛が渦巻くように全身から生えている。ぎょろついた目と口ばかりが異様に大きく、ちぐはぐな印象に拍車をかけていた。

 これも仮装か、ずいぶん凝っている――と、物言う獣にいっとき、凜は感心していた。異様な光景を目の当たりにしすぎて、感覚が麻痺しつつあったのかもしれない。

「やはり人の子だったではないか、人の子だったではないか」

 くぐもった声。ようやく片手に持っていた菓子が消え失せていると気付いた。盗られた?

 思ったとおり、菓子は獣が咥えていた。制する間もなく、一口で平らげてしまう。凜は唖然として、

「あの――それ私のだったんだけど」

「食ってはならんと言った。食ってはならんのだ」

 獣が長い舌を伸ばし、口の周りを掃除するように舐めた。その仕種がいかにも旨かった、と言っているように見え、空腹に耐えかねた凜の逆鱗に触れた。食っては駄目? 自分では平然と食べたくせに。

「泥棒! 返してよ。せっかく買ったのに」

 声を荒げると、獣の金の瞳がぐるりと回転した。この輝き。どこかで――。

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