第37回

 再び雪原にまろび出たのちも、白狼丸は問いを発しなかった。ただ凜の指示どおりに走った――たくましい馬のように。

 彼の速さを以ってしても、太陽に追いつかれずに済む確証はなかった。一月に渡る夜の、最後の残滓。少し前にはあれほど明けろ、明けろと願ったはずなのに、今はただ、猶予の時を求めている。家族を奪おうとした白魔のために。自身の誇りのために。

 少女と霊獣は往く、去り際の薄闇の中を。

 朝を待ちわびた雪が、白々と輝いている。中空に満ちた、蒼く澄んだ空気。浮かび上がった木々の影。

 美しい、と白狼丸が言った。荒い呼吸の合間に、しかしはっきりとした声音で。

「我らは知らなかった。我らはなにも理解できなかった。この山を、雪那を、人間を、我ら自身のことさえ、なにひとつとして知らなかった」

 真新しく芳しい感情に胸震わせている。長らく生きつづけてきたに違いない霊獣が。

「これから、もっともっと知っていけばいいよ」

 凜が笑うと、白狼丸は初めて不安げに、

「我らに、それが出来るだろうか」

「出来るよ。あなた独りじゃないんだもん。なにも心配することないよ」

「そうか、そういうものなのか」

「大丈夫だよ、白狼丸。あなたはもう迷わない。あの子もそう。私たちが、きっと帰してあげられるから」

 その言葉に満足したのか、彼はさらに歩幅を広げた。ほとんど飛んでいるような勢いだった。

 あの廃屋に至った。凜の記憶どおりの場所に、記憶と変わらぬ形でそれは建っていた。山奥の、煤け、朽ちかけた家。白狼丸の背から飛び降り、今にも外れてしまいそうな戸を引き開ける。

 屋内には誰もいない。初めての来訪時と同じように、囲炉裏の炭を覗き込んだ。

 熾火がひとりでに赤く色づいた。凜は顔をあげた。

「見つけてくれたのね」

 耳元に生じた声に、気配に、凜は息を詰めた。やはり彼女はすべてを察していたのだという確信が、一瞬のうちに胸中を満たした。

「はい。あなたがずっと願ってきた形ではないかもしれません。それでも私は、どうしても知らせたかったんです。篝さん」

 分かってる、と篝は答えた。あどけない童女の瞳に、百年越しの決意の光が宿る。

「あなたと一緒に行く。私は待ち過ぎたの。本当は、私自身で迎えに行くべきだった」

 赤い衣の懐から、篝は金色の時計を取り出した。蓋が開かれる。硝子の内側の古ぼけた文字盤を、止まったままの針を、凜は見つめた。

「外に白狼丸を待たせています。足の速い霊獣です」

 篝は黙って頷き、壁際から蓑を取って身に纏った。お揃いだ。体格がそう変わらないから、そうして並んでみると姉妹のように見えた。

「行きましょう。時計を失くさないように気を付けて」

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