第30回

 凜はがばりと顔をあげた。掌で目許を擦ってから、八重に向き直った。

「雪那さんは、白魔をどうするでしょうか」

「間違いなく追い詰めて、殺すだろうね。あいつは、力の使い方を間違えた者には決して容赦しない」

「駄目」

 自分でも驚くような強い声が、口から飛び出した。

「白魔は――白魔が憑依している女の子は、苦しんでいるんです。淋しくて、悲しくて、どうしようもなくて、それで人間を取り込もうとして、暴れ回るの。ただ力で消し去るだけじゃ、あの子は救われません」

「救う? おまえ――自分や家族をさんざ痛めつけた相手だよ。分かってるのか」

 困惑を露わにした八重に向け、凜は迷いなく頷き、

「分かっています。いまさら白魔として犯した罪が消えるとは、私も思っていません。ただ悲しみを癒して、帰るべき場所に帰してあげたいんです」

「なんだって、そうまでする? 白魔を救ってなんになる」

 相手の瞳をまっすぐに見返す。答えは知れていた。

「胸を張って家族のもとへ帰れます。私は、自分の信じる正しいことをしたんだと」

 八重は立ち上がり、どこからか煙管を取り出して唇に咥えた。薄紫の煙を短く吸っては吐き、それからよく響く声音で、

「白狼丸。こっちに来な」

「呼んだか。我らを呼んだか」

 駆けつけてきた霊獣を八重は見下ろし、

「私の菓子は旨かったかい? もう一遍、踏ん張れるね」

「実に旨かった。我らは腹が満たされた。気力で満ち満ちているとも」

 凜、と八重に短く促された。息を吸い上げてから、

「白狼丸、聞いて。私は今から、雪那さんと白魔のところに行く。あなたも一緒に来て。雪那さんを止めるの」

 途端、白狼丸はあんぐりと口を開いた。久方ぶりにするすると三体へ分かれると、額を突き合わせた。例によって筒抜けの相談を始める。

「人の子はおかしくなったのか、とうとうおかしくなったのか」

「雪那を止めるなど、神々の力をしても不可能だぞ」

「行かぬが吉だろう。人の子を思い留まらせよう」

 凜が何事か発する前に、八重が雷を落とした。

「おまえ、雪那のなんだい? ただ命令に従うだけの忠犬か? おまえ自身の思いはないのか? どうなんだ」

 思わず飛び退いてしまいそうな剣幕だったが、白狼丸は反駁しなかった。ただ三体で輪になって、同じ場所をぐるぐると回りつづけている。ううむ、ううむ、と呻き声を洩らしながら。

「我らは、雪那のなんだ?」

「仕えたことはない、下僕であったことはないぞ」

「我らには分からぬ、長らく傍らに居ながら」

 白狼丸、と凜。三つのかしらが同時にこちらを向いた。

「友達だよ。あなたは、雪那さんの一番の友達」

 三体が互いに互いを見つめ合った。ややあって、順々に、

「我らは、雪那の歌を好む」

「我らは、雪那に逢うことを望む」

「我らは、雪那のために正しきことを成したい」

 手品のような迅速さで再び一体に戻った。白狼丸は高らかに、

「我らは、雪那の友だ」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る