第29回

 私は、ただの小娘だ。怪物と闘える力など、もとより持っていない。

 雪那は、必要なものは揃ったと言った。どういう形であれ、それは私の功績ではないのか。白狼丸だって、もう充分だと慰めてくれたではないか。

 家族が戻ればいい。元の暮らしに帰れればいい。黙って待っていれば、雪那が始末をつけてくれる。そう頭では納得しているのに――涙だけが後から後から、とめどなく溢れてくる。

 横から八重の腕が伸びてきて、凜の頭を抱いた。姉や母に似た、郷愁を掻き立てる匂いと、柔らかな感触。同時に漂う、陶然となるような芳しさ。

「おとなしく、なんて言わなくていい。悔しかったね。泣いたらいいよ。誰も見ちゃいないから」

 いっとき、言葉を失くした。八重はゆっくりと、いいんだよ、と繰り返した。

 ずっと全身に漲らせていた力が抜けた。彼女の肩に縋りついて、さんざんに泣いた。

「ごめんなさい、八重さん」

「気にすることないよ。本当なら初め、おまえが店に来たときに、私がちゃんと話をしてやればよかったね。おまえが人間だって気付けなかった私は大莫迦だ。危うく、おまえをこっちの世界に閉じ込めるところだった」

 凜は八重の肩口に顔を押し付けたまま、かぶりを振った。

「雪那も少しくらい、おまえを慮ってやれればいいのにね。でもあいつは誰にも触れないし、寄り添わない。必要ないからね。数いる精霊のうちでも、あいつは特別なんだ」

 なぜですか、と咽声で問いかけた。上等な品であろう着物を濡らしてしまうのが申し訳なかったが、どうしても八重から体を引き離せなかった。相手もそれを承知しているらしく、細腕をしっかりと凜の背に回して、抱きしめてくれている。

「なぜって――簡単なことだよ。雪那は強いからだ。ここにいる、どんな神よりも強い。あいつがその気になれば、ちっぽけな山のひとつやふたつ、丸ごと氷漬けにしてしまえる。白狼丸に聞かなかったかい、雪那は恐ろしいと。あいつが恐ろしいのは、誰も想像できないほどの力を持っているからだよ」

「でも雪那さんは、むやみに人を傷つけたりしません。優しい方だと思います」

 ふふ、と八重が笑い交じりに吐息する。

「雪那が優しい、か。そんなふうに言うのは、きっとおまえだけだろうね。あれほど厳格な奴は、精霊にも珍しい。強大な力を支配しようとして、それこそ死ぬ気で自分を律したんだろう。だから、自然と他人にも厳しくなってしまう。酷薄と感じるほどにね」

 掌が、凜の肩を穏やかに叩きつづけている。赤ん坊の頃、なかなか寝付けなかった自分に母が辛抱強く物語を聞かせてくれたことなどが思い出され、懐かしく、心地よかった。出逢った誰もかれも優しい――雪那も、白狼丸も、篝も、八重も。

 あの少女も。

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