第2回
「なあんだ」
それでも身支度だけはきっちりと整えて、凜は囲炉裏端に座り込んだ。かしらを巡らせて壁やら天井やらを眺める。すぐさま寝床に逆戻りすべきと理解していたが、実行には移せなかった。目が冴えて寝付けそうになかったし、だからといって布団の中でただじっと待つなんて御免だ。あとどれくらいで朝が訪れる? このまま起きていれば、そのうち皆がやってくるのではないか。
かたり、という物音を聞きつけた。ほら、思ったとおり。凜は弾かれたように立ち上がって、お母さま、とまた声を張った。扉が開く。
「お母さま、じゃないよ。こんなに早く起き出して」
立っていたのは寝間着姿の澪だった。まだ眠り足りないのか、しきりに目を瞬かせている。いかにも不機嫌そうに吐息すると、凜に向き直って、
「寝てなさい。いま戻れば、お母さまには言わないでおいてあげるから」
「もう眠くないもの。姉さんこそ珍しい。本当は〈衾雪の市〉が楽しみなの?」
再び吐息。
「私はもう、そんな歳じゃないよ。音が聞こえたから、様子を見に来ただけ。家におかしなものが入り込んでいたら困るでしょう?」
「おかしなものって? 白魔? 雪鬼?」
幼い頃に読んだ物語を思い返して問うと、澪は小さく笑った。
「まさか。盗人なんかのほうがよほど心配だよ。ともかく凜だって分かって安心したから、私はもう寝るね」
引き返しかけた澪の腕を掴んだ。ねえ、と呼びかけ、
「私、もう十二かな。それともまだ十一?」
「さあ。〈備えの時間〉に生まれた子って、たぶん凜だけだろうからね。正確なことは、お母さまに訊いてみないと分からない。あの人もさすがに、眠りながら生んだわけではないでしょうからね」
「私はもう十二だと思うな。姉さん、お祝いしてよ」
「あのね、凜。私の話、聞いてた?」
「私だって眠りながら生まれてきたわけじゃないもの。ちょうど今頃だったような気がする。きっとそう」
澪は呆れたように頷き、凜の手を振りほどいた。寝崩れた衣を整えながら、ふと思いついたように、
「どうしても退屈なら、灯籠に火を入れてみたら。毎年お母さまがやっているでしょう? 朝が来る前に点けてみるのも、悪くはないんじゃない?」
思いがけない提案に胸が高鳴った。頷く。
屋敷の庭に立つ六つの灯籠。〈衾雪の市〉の朝に灯され、春まで一帯を照らし続ける。遠い先祖が作ったものと聞いた。おそらくは道標のためだろう、と母が解説してくれたことがある。かつて夜の雪山に迷い、命を落とした者がいたのだそうだ。
手順は、母に教わってよく知っている。〈消えずの囲炉裏〉の火を取り、あとは順番に灯していくだけ。凜はすぐに火鉢を携えて、庭へと駆け出した。
もう雪が積もっている。足裏に伝わるさくさくとした感触が心地よく、ひとつ、またひとつと灯りが増えていくにつれて景色がよく見えてくるのも、堪らなく嬉しかった。こんなにも真っ白な季節に、私は生まれたのだ。
歌い出したい気分だった。空想の楽器を手許で掻き鳴らす仕種。
「姉さん、できたよ。ちゃんと全部が灯ってるか、確かめて」
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