第22回
「淋しかったね」
唇から、吐息と一緒に言葉が洩れ出した。死に際の混濁のさなか、凜は自身を、白亜という少女に重ね合わせていた。こんなにも淋しかった。たった独りだった。私は――あなたと居たかった。
白んだ視界の中央で、少女がこちらを見つめている。輪郭は曖昧に揺らいでいるが、先ほどまでの異様な気配は鳴りを潜めているようだった。今にも泣き出しそうな瞳。
名を呼んでいる。しかし風音に紛れて、きちんと聞き取れない。私の名? それとも――。
こちら側へ手が伸びてきた。掴みかえそうと、こちらも手を伸ばした。
触れ合う寸前に引っ込んだ。少女はその手で、頭部を抑え込んだ。
身を震わせながら立ち竦んでいる。凜は訳も分からぬまま、その様子を凝視した。
やがて低い声が聞こえてきた。音程の都合なのか、こちらは存外に明瞭だった。出ていけ、出ていけ――と繰り返している。呪文のように。
なんらかの鬩ぎ合いが、彼女の内部で起こっているとしか見えなかった。精神的な葛藤? にしては肉体の痛みに苦悶しているようでもある。
なにが起きている?
吹きすさぶ風が、向きや強さを小刻みに変える。少女の内面と連動しているのではないかと、凜は想像した。私を傷つけようとする意思と、護ろうとする意思とが、決死の綱引きを演じている。
なにかが引き金となって、彼女の内なる善を呼び覚ましたのではないか?
そう思い込みたかっただけかもしれない。とはいえ実際に、吹雪はときおり弱まるのである。苦しみは少しずつ、しかし確実に緩和されている。少女が――私のために闘ってくれているから。
自分を極寒の地獄へ突き落した張本人に違いないのに、なぜ信じる気になったのかは判然としない。しかしその信念だけが、凜の命をこちら側に繋ぎとめているのもまた、事実だった。
「優しいんだよね――本当は」
辿り着いた氷の壁に、白い影が映り込んでいる。小さく薄ぼんやりとした少女と、その周囲に妖気のごとく纏わりつく、巨大で色濃い何物か。単に模様の具合でそう見えたのみかもしれないが、凜は躊躇いなく、幻影の浮かび上がった箇所へと体当たりを食らわせた。出ていけ、と念じながら。
氷が軋み、音を立てて砕けた。
飛び出した先で、薄暗い闇に包まれる。壁や天井は、剥き出しの石、あるいは土である。洞窟だ――現実の。
やはり、なんらかの幻を見せられていたのだ。この洞窟を、人の住む屋敷と錯覚していた。自宅に似ていたのもそのせいだろう。自分の記憶が、幻想の構築に利用されたに違いない。
手先足先を動かしてみた。少しずつ血が巡りはじめる感覚があった。
そう遠くないところに、篝に借り出した笠と蓑、靴が放ってあるのを見つけ出した。身に着けなおしてから、凜は光の見えるほうへと駆け出した。
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