第21回

 うふふ、あはは、と彼女は声を上げて笑った。聞き覚えのある声。幻聴めいた、位相の定まらない笑い声。

 目が合った。濁った硝子玉のような双眸が、自分の姿をぼんやりと映し返している――と思うと同時に、部屋の景色が消し飛んだ。四方を囲んでいるのは、ただ見上げるほどの氷壁のみ。

 風に全身を斬りつけられた。そう感じた。吹き寄せる、などといった生易しさでは到底ない。冷たさを通り越して、純粋に痛い。とても立っていられず、その場に屈みこんだ。

 氷が光を跳ね返すせいか、あるいは目の中の水分が凍りつくに伴う現象なのか、目が突き刺されるように眩しい。瞬きを繰り返しながら、膝を抱えて縮こまった。

 体勢を低くしたまま、逃げ道を求めて彷徨った。どこもかしこも氷、氷――。鼠一匹ぶんの隙間さえ見当たらないのに、風は依然として吹き荒れている。そしてどこか遠くから、笑い声だけが響きつづけている。あはは、うふふ――。

「お母さま――姉さん」

 ごめんなさい、ごめんなさい、と胸の内で反復した。助けられなくてごめんなさい。なにもかも、私のせいなのに。

 眠っているあいだに氷に閉ざされた家族は、なにも知らずに死んでいくだろうか。せめて安らかであってほしいと、凜は願った。極寒の苦しみに苛まれるのは自分だけでいい。

 手が、足が、耳が、鼻が、体の末端と呼べるあらゆる部位が、引きちぎれんばかりに痛む。背や腰、肩や脚の付け根は、骨が丸ごと鉛にでも挿げ替えられたように重い。そして頭蓋の内側だけは、業火が燃え盛るがごとく熱い。

 凍死の寸前には際限なく暑くなる、と聞いたことがある。この熱が全身へ伝播するのだとしたら納得がいく。ここに水があれば頭を浸したいほどなのだ。理性がいくら違うと叫んだところで、現実の身体的な苦痛の前では無力に等しい。

 焼けついた脳裡に、篝のもとで聞いた物語が浮かんでいた。雪山で握り合った手が離れたとき、どんなに心細かったろう。恐ろしかったろう。雪那に見つけ出された篝はまだいい。吹雪に呑み込まれて消えたという――白亜。

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