第16回

「〈衾雪の市〉で買ったんですか」

 篝は黙ってかぶりを振った。推理を促されているのだと思い、凜は半信半疑で、

「では〈細雪〉?」

「ご明察。知っているだろうけど、〈衾雪〉に行けるのは十二になってから。山の掟は、当時からあった。でも私は――私たちは、行ってみたくて堪らなかった。だから夜のうちに起き出して、ふたりで市に向かったの。私と白亜は」

 思いがけないその告白に驚き、凜は篝を見返した。自分と同じ行動を起こした者が、こんなところにも――。

「白亜さんというのは。姉妹? それともお友達ですか」

「友達、そうね。でも単なる友達というよりはずっと、親しかった。なにしろふたりで、掟を破ったくらいだから。ふたりきりでの夜の冒険と思ったら、とてもわくわくしたのを覚えてる。私たちはこっそり家を抜け出して、合流した。手を繋いで、雪景色の中をどこまでも歩いていった」

「それで辿り着いたのが、〈細雪〉だったんですか。なんの案内も抜きで?」

「不思議よね。思い返してみれば、白亜には不思議な力があったの。引き寄せられやすいというか、もとより向こう側に近い存在だったのかもしれない。あの子は決して迷わなかった。本当にこっちなの、と不安になった私が何度訊いても、大丈夫、間違いないって、自信満々だった。そうやって私たちは、本当に市に行き着いた。〈細雪の市〉にね」

 遠い過去を懐かしむように、篝が目を閉じた。いつの出来事なのかと問いたかったが、ひとまず思いとどまる。

「私はなにが目当てだったわけでもなくて、ただ白亜と一緒に行きたかった。本当にそれだけだった。適当に見物して、すぐに帰ってきてしまえばよかったのにね。でもやっぱりなにもかもが物珍しくて、記念の品が欲しくなった。私たちは相談して、揃いの時計を買うことにしたの。ふたりが同じ時間を過ごしてきたお祝いに――そしてこれからも過ごしていけるよう、願いを込めてね。あれが私たちの最高の瞬間だった。市の掟なんて、もちろん知らなかった」

 雪那の言葉が脳裡に甦る。人間は〈細雪の市〉の品に触れてはならない。

「帰り道は猛吹雪だった。本当に恐ろしい吹雪でね。風に煽られて、私たちはずっと握り合っていた手を離してしまったの。一瞬のことだった。白亜の姿がすうっと雪に呑まれて、そのまま消えてしまった」

「どうなったんですか」

「大声で名前を呼びながら、山じゅうを駆けずり回った。どうしても見つからなくて、でも諦められなくて――そんなとき、雪那が私たちを追いかけてきた。時計を取り戻して、私たちを人間の世に帰そうとしたのね。その場には、もう私しか居なかったわけだけれど」

「雪那さんにお願いしたんですか。白亜さんを見つけてほしいって」

「もちろん、泣きながら頼み込んだ。雪那も懸命に探してくれたけど、けっきょく白亜は行方知れずのままだった。神様の癖にって、さんざん雪那を詰ったよ。自分たちの間違いなのにね。それでも最後の最後に、雪那は私に言ってくれた。時計を返せば、おまえだけでも元の世界に戻してやれるって」

 篝は時計を掌で包み込むと、自らの胸元に当てた。それからかぶりを振った。

「私は断った。白亜抜きで帰っても仕方がないって。今でも昨日のことのように思い出すよ。そう答えた瞬間に、この時計は止まってしまったの。それ以来ずっと、私は当時の姿のまま、この山に住み着いてる。私たちを知る人間は、もう誰ひとり、生きてはいない。それでも私だけは、まだこうして生き永らえて、待っているの。いつか白亜に、もう一度会えるのを」

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