第26回

〈細雪の市〉の灯りが見えてきた。提灯の柔らかな色合いと、光を受けた看板や横幕の華々しさ。渦巻く無数の声が雪原にまで響いて、吸い込まれていく。

「人の子は我らの背で眠らなかった、人の子を寝かしつけられなかった」

「大丈夫だよ。赤ん坊じゃないんだから」

 出店の立ち並ぶ一帯から少し離れた広間の、石畳のうえに下ろされた。仕事を終えて安堵したのだろう、霊獣は大きな口をぱくぱくと開閉させながら、

「我らは腹が減った。なにも口にできない人の子には悪いが、我らは食事をしたい。たっぷりと腹を満たしたい」

「ええと――買ってあげたほうがいいの? お菓子?」

 霊獣の頭部が嬉しげに上下した。幸いなことに財布は手放していない。持ち金はまだずいぶんと残っている。世話になった礼を兼ねて、ひとつ奢ってやろうと決めた。

「あのお店の?」

「だとありがたい。あれが我らの好物だ」

 今では神々、あるいは精霊と分かっている客たちのあいだを抜けながら、菓子売りの店を探した。霊獣は飼い犬よろしく、従順に横をついてくる。

「あのお菓子、誰が食べても美味しいの?」

「実に旨い。しかし滅多に手には入らぬ。それこそ市にまで出張ってこねば」

「さっきの話の続きだけど、あなたが市に来た目的はそれ?」

「すべてではないが、うむ、確かにそうだ」

 しばらくそぞろ歩いてみたが、それらしい出店は見つからなかった。別のものにしようと提案すべきか。しかし好物と聞いた手前、ぜひとも食べさせてやりたくはあった。

 誰かに訊ねてみようと思い立ち、視線を巡らせる。今度こそ慎重に人を選ばなければならない。

「おまえたち。もしかして、私をお探し?」

 不意に、甘く蕩けるような調子の声が降ってきた。どきりとして見上げれば、切れ長の目をした婀娜っぽい女である。面と向かっているだけで、湯浴みした直後のような淡い香りが漂ってきた。なんらかの神には違いなかろうが、黒っぽい着物をぞろりと着流したその様子は、一見すると普通の人間のようでもある。

「どこかでお会いしましたか」

「私は覚えてるよ。おまえのことを、よくよくね」

 記憶にない。素直にそう告げようとしかけたとき、

「ああ――この面じゃあ分からないね」

 女は独りで納得したように笑い、いまだぽかんとしたままの凜を悪戯げに見返した。

「これでどうかな」

 女は片手を持ち上げて、細長い指先を伸ばした。自身の顔をすっと撫でる。

 一連の動作が終わるなり、凜はまた驚いて、思わず短い悲鳴をあげた。確かに空っぽだったと見えたその手が離れたとき、女の顔には仮面がぴったりと貼りついていたのである――白い狐の面が。

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