第30話
「悪ぃ、華乃。もう晩飯できちまったか。洗い物とかは俺とリコに任せてくれ」
いろいろとおめでたいこともあったせいか何となく余韻に浸っていたくて、リコとふたり蔵でダラダラぬくぬくしていた結果、思ったよりもメゾテラに戻ってくるのが遅くなってしまった。
ちょうどキッチンで作業を終えたところらしい華乃と、ダイニングで配膳中のヤエちゃん・ジンジン。
「あれ、久吾はどうしたのかしら?」
リコといっしょに俺も辺りを見回す。
「久吾なら右手の人差し指切って病院行ってるよ」
「「は……!?」」
まるで何でもないことかのように華乃が放った一言に俺もリコも息を呑む。
「な――何があったんだよ!?」
オープン戦も目前に控えたこんなときに利き手を怪我だなんて……っ。
「野菜切るの手伝ってもらってたら、あいつが手滑らせた。けっこーザックリいっちゃってたし、まぁ開幕には絶対間に合わないだろうね」
「嘘……でしょ……? 何で久吾にそんなことやらせるのよ!? 大事な時期だってことくらい、あなただって分かっているでしょう!?」
「あんたらが遅かったからでしょ。あんたらがなかなか戻って来なかったから、あんたらがやるべき仕事を久吾がやったの」
「そんな……っ」
サバサバとした華乃の言葉にリコが目を見開いて固まってしまう。
確かにそうかもしれない。華乃の言うとおりかもしれない。でもそれにしたって華乃が止めればいいだろ?
いやだからといって俺の責任がなくなるわけじゃない。全部俺のせいだ――って、こんなこと考えてる場合じゃねぇ。こんなときまでなに自分のことばかり――今は久吾の指のことだろ!
「久吾――っ」
俺が行ったところで何ができるわけでもねーけど、それでも勝手に足が動き出す。リコもハッとして、俺についてダイニングの扉へと駆け出し――、
「華乃ー、やっぱ近くのコンビニだと高いですよー。まぁ頼まれたものは買ってきましたけど――あれ、どうしたんですか二人とも、そんな深刻そうな顔して」
「久吾っ、指は!?」「大丈夫だったの!?」
「は? 指? 何言ってんですか? ちょ、そんなにくっつかないでください、気持ちわるっ」
レジ袋片手に部屋に入ってきた久吾に二人で駆け寄る。
俺とリコの目に飛び込んできたのは――ささくれ一つない、手入れの行き届いた、いつもの細長くて綺麗な久吾の五指だった。
「どういうことなのよ……?」
「ふっ、ふふ、あはっ――アハハハハっ!」
戸惑うリコとともに、俺もその甲高い笑い声の主を振り返る。
「うっそー♪ ばーか、そんなの嘘に決まってんじゃん。あはっ、なに信じちゃってんの。必死な顔してほんとバカみたい」
スキップするような軽やかな口調とは裏腹に、その双眸に薄暗い影が掛かっていることに、みんなが気づく。俺も久吾もヤエちゃんもジンジンも華乃のことはずっと見てきたから。
だから、誰も動けない。普段の華乃だったらするはずもない異常な行動を目の当たりにしたというのに、何も行動を起こせない。
なのに――、
「あなたねぇ!」
なのに何でそうお前は重い空気を突き破っていけるんだ、あほリコ。いやまぁ、今みたいな状況ではありがたくもあるんだが。
「なに。何か文句でもあんの?」
「ついていい嘘と悪い嘘があるでしょう! そんなことも判断出来ないような子だったかしら、あなたって!」
掴みかかるような勢いで華乃に迫っていくリコ。
華乃はそんな眼前のリコにも全く怯むことなく、
「あんたこそ普通に判断できないの? あの慎重な久吾がそんなバカみたいな怪我するわけないって」
「分からないでしょう! もしかしたらそんなことだって起こり得るかもしれないわ!」
「ないから。ありえないから。久吾のこと客観的に見てたらそんなことわかるじゃん。ああ、そっか、あんたは自分のことすら客観視できてないみたいだもんね」
「はぁ? 何よ、何が言いたいのよ!?」
「……あんたさぁ、リコ。自分にお兄と結ばれる資格があるとでも思ってるの? 自分のこと、自分の状況、自分がしたこと、自分がお兄にしたこと――ちゃんと見れてるなら、そんなこと思えるわけないはずなんだけど」
「――――」
「お兄のことあんなに傷つけて。あんたなんかの夢のためにお兄の人生めちゃくちゃにして。まともな神経してたらお兄の隣にいようなんて思えないはずだよね。お兄のこと想うんなら自分から身を引きなよ」
「――――あ……っ、あ……っ、ご、ごめんなさ」
「やめろ」
虚ろな目でか細い声を震わせるリコの肩を抱いて、その言葉の続きを封じ込める。
お前は、絶対に謝るな。
「またそうやってお兄に守ってもらうんだ。自分はお兄のこと不幸にしかしてないくせに」
「華乃、いい加減にしろよ」
マジでどうしちまったんだよ、華乃。何で今さらそんな話蒸し返すんだ。だいたい俺はリコに不幸になんかされてない。
不当にリコを責めるようなことすんなら、例えお前だろうと俺は――、
「ちょ、ちょっとちょっと、落ち着いてください、お兄。目が怖いですよ。華乃もどうしたっていうんですか。え、要するにあれですよね? オレが怪我したっていう冗談でリコっちゃんを怒らせちゃったってことですよね。もー、意地悪ですね華乃は。縁起悪いこと言わないでくださいよー、ホントに怪我してきちゃいますよー? 華乃のせいですからねー?」
そうおどけて空気を和ませようとしてくれる久吾だったが、
「そんなこと、できっこないくせに。そんなバカみたいなことする自分に価値なんてないってあんた自身が一番よくわかってるでしょ。お願いだから、投球スタイルも性格もずっと小さくまとまってなよ。できもしないことをやろうとしないで。プロ行く道なんてそれしかないんだから。一生『浦学の精密機械』らしく生きてきなよ」
「……っ! 何であなたに……っ、オレは……っ」
自分には視線すら向けずに華乃が投げ捨てた言葉に、肩を震わせ、声を詰まらせてしまう。
「まぁまぁまぁ、一旦やめよう。ご飯が冷めてしまうぞ? 華乃ちゃんも悪気があったわけではないのだろう? ほら、リコちゃんに謝って、それでこの話は終わりにしようじゃないか」
「……そうやってヤエちゃんも、ジンジン君も、みんないつだってリコにばっか優しい。もういいや、あたしは。抜ける。みんなとはたまたま置かれた環境がそうだったから仕方なくいっしょにいただけだもん。もう子どもじゃないし。交友関係くらい自分で自由に選ぶ。好きでもない人たちといつまでもわざわざいっしょにいる必要なんてない」
間に入ってくれたヤエちゃんとジンジンを振り払って、華乃が出て行ってしまう。
呆然と華乃を見送ることしかできないヤエちゃんとジンジン。テーブルで不貞腐れたように一人勝手に飯を食べ始めている久吾。俺の胸に身体を預けて項垂れているリコ。
どうしてこうなったんだ。ついさっきまであんなに幸せに包まれていたというのに、もう何もかもめちゃくちゃだ。
「……久吾、華乃のとこ行ってやれよ……」
「は? 何でオレが。嫌ですよ、あいつ意味わからないんですもん。普通にお兄が行けばいいでしょう」
俺だって追いかけてーけど、でも……。
「……大丈夫よ、お兄、わたしなら。華乃のところ、行ってあげて」
「でも……」
リコが俺から離れようとするが、そんな痛々しい微笑みで見上げられると、どうしたってまた抱き寄せてしまう。
「行ってくれ、お兄。リコちゃんのことは私に任せてくれればいい。……本当にすまない、何も出来ないお姉さんで……」
「ヤエちゃん……」
「ごめんね、お兄君。僕達には華乃ちゃんの意図も華乃ちゃんの気持ちも正しく推し量れないから」
「ジンジン……いや俺だってわかんねーんだが……」
「それでも。お兄君が行かなきゃ。だって、華乃ちゃんが何に怒ってるのかも何が問題なのかも分からないけど、誰と誰と誰の問題なのかは明白だもん。だからさ、ちゃんとしてよ、お兄君。一番ちゃんとしてない僕が言うのもなんだけど。ホント頼むよ。六人を壊すようなことしたら殺すよ、いやマジで」
「……いや、怖ーよジンジン……元ヤン出てるぞ……」
「だから元ヤンじゃないんだって! 高校デビューに失敗しただけで――って何でお兄君が昔の僕のことを知ってるのさ!?」
「あーいや、何かネットで噂になってたから」
俺が行くしかねーか。華乃のことはやっぱ心配だし……。
「……だからさ、僕が最後までちゃんとしてなかったら、そのときは君が僕を殺してね」
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