第14話

「「あーあ」」


 声を合わせて二人で背中からパタンと倒れる。

 炬燵に入って隣同士、しばらくリコと二人きり。


「……わたし、悪女になっちゃったわよ。お兄の恋心を弄んで、付き合いもしないのにエロいことしたりキスしまくったりする小悪魔になっちゃったわよ」

「そうだな。せっかく番組が成功しそうなのに、お前あんま人気出ないかもな。特に男のファンは付かねぇんじゃねーか、このままだと」


 まぁ別にいいんじゃねーのそれで。お前がそんな人気者になっても――って、あれ?

 何で俺、リコが芸能活動失敗しそうになってホッとしてんだ……? 何でリコの夢が叶わないことに安心してんだ? 何でリコのフォロワーが増えたのを見て、あんなにモヤモヤしたんだ?


 俺、まさか……リコの才能を――妬んでんのか……?

 リコが夢を叶えることが許せねぇのか? 自分が置いて行かれることに耐えられねぇのか?


 そんなはずねぇ。俺はそんなクソ野郎じゃねぇ。

 俺は世界中の誰よりも、リコの夢を応援しているはずだろ!


「確かにこのままお兄と中途半端な関係の演技を続けていたら、評判は悪くなる一方よね……」


 壁にぶち当たって心細そうにしているこいつがいたなら、自分の体を差し出せよ。自分の骸を踏み台にさせてでも、こいつに壁を乗り越えさせろ。


「そうだな……じゃあやっぱ俺たち付き合っちまったほうがいいんじゃねーか。恋人同士の演技してれば、いくらキスしようが同じベッドで寝てようがイメージ悪くなりようがない、どころか、番組ファンからしたらめっちゃ評判上がるだろう。視聴者はみんなカップル成立が見たいんだからな。うん、いいな。付き合っちまおうぜ」


 リコが目をぱちくりとさせて俺の顔を見つめてくる。

 あ? 何だよ?


「…………付き合う演技って、あなたそれがどういうことか分かって言っているのよね……?」

「そりゃな。俺だってお前と恋人のふりとかキツいけどよ」


 こんなにいろんなことやらせといて、今さら付き合うことぐらいに何か問題でもあんのか?

 まぁでも結局これでも熱狂的な男性ファンは取り逃がすことになんのかな……でもこの番組から生まれたカップルはめちゃくちゃ人気出るぞ。それこそガチ恋ファンの取りこぼしなんか気にならないくらいに。


「うん……でもやっぱり……」

 リコは寝返りを打って俺に背を向け、

「付き合うってなったら、ずっと……ずっと追いかけられてしまうわけで……その……あなたにだって迷惑を掛けることになるし……」


 ガチ恋ファンに俺が叩かれるって? いやもう既にそんな具体的な想像してんのかよ。


 何か、なんか……、


 俺はリコの肩と腰に腕を回す。はんてんがはだけてしまうのもお構いなしに、抱き寄せるようにその身体ごとリコを振り向かせ、


「お前な……嫌だわ、俺、お前がそんなこと気にしてんの。らしくねーよ、何かムカつくわ。もういいから俺と付き合え。命令だ。俺の彼女役を演じろ。リコは今日から俺の彼女だ」

「……っ、んっ……、うん……っ。わかっ……た…………わたしも、覚悟を決めたわ……」

「おう」

「本当にハリネズミのように傷つけ合ってしまうとしても、あなたとならずっと一緒にいられると思うから」

「ふっ、お、おまっ、ハリネズミはやめろって……っ、くっ、クク――」

「ん」


 笑い始めた俺の口を、リコがその柔らかい唇で塞いでくる。


「……ここにカメラなんてねーぞ」

「あ、間違えたわ」


 数秒見つめ合った後、二人同時に噴き出してしまう。


「はーぁ……ま、つーわけで、帰って晩飯食べた後にでも、カメラの前で告白シーンやるからな」

「どんな風に告白してくれるつもりなのかしら? それなりにロマンティックにしてもらわなければ困るわよ」

「わーってるよ。そうだな。せっかくだからバルコニーで夜景でも眺めながら……『お前の大きな瞳に夢中になっちまったんだ。何度断られようが、どこへ逃げられようが、ぜってぇ捕まえに、」

「ふっ、ふふ、ちょ待ってっお兄あなたっ、ふっ、なはっ」


 豪快に開き出したその唇を、強引に奪ってやる。


「……すまん、間違えた」

「ふふっ、重ー」


 勢い余って、リコを押し倒したような形になってしまった。すっかりはんてんも脱げて薄着になった仰向けのリコの上に、寝そべるように密着する。


「ふふふ……何か思い出すわね」

「だな」


 子どもの頃もこの蔵で、この炬燵に潜って、二人で秘密の悪戯作戦会議をして、途中で飽きてきて、じゃれ合いが始まって、何のルールもなく押し倒したり押し倒されたりして、何の意味もなく爆笑したりしてたもんな。


「……………………」

「……………………」


 そういや十歳のときだったか、分校の校庭に勝手に野球場作る計画したときもここで作戦会議して毎夜二人で学校に忍び込んで作業して、いつの間にか久吾もノリノリでついてくるようになって、華乃が「バカなことやめな」と不機嫌そうにしながら毎日見に来るようになって、ジンジンが言葉巧みに大人を騙して計画の隠蔽工作をしてくれて、そんな五人のことをヤエちゃんが呆れながらも「監視役」を名乗って手伝ってくれるようになったっけ。

 確か元々あの作戦も――、


「んっ」

「……いや何でだよ」


 せっかくの楽しい回想を、リコのキスで遮られてしまった。


「お兄、笑いそうな顔していたから」

「あー、なら仕方ねぇな」


 俺が笑いそうな顔してたのが悪い。


「ねぇ、お兄」

「んー」

「笑いそう、あなたの顔が面白くて」


 じゃあキスするしかねーじゃねぇか。


 仕方なく俺はリコにキスをする。


「ん……ねぇ、また笑いそう」


 仕方ねぇ。


「ん……っ、ん……今度は長く笑っちゃうかも」


 仕方ねぇから、ついばむように何度も連続で唇を合わせた後、舌をリコの柔らかいそれと絡ませ合って、

 ――いやお前が舌入れ返してくるなよ、今笑いそうになってるのはお前のほうなんだから。ルールがブレるだろうが。言い訳が、なくなっちまうだろ。


「ん、ぷはっ……はぁ……ふぅ。ねぇ、お兄ってメゾンでシコっているの?」

「『ねぇ、』じゃねーんだわ。シコってねーよ。お前がシコんなって言ったんだろ」

「じゃあ溜まっているわよね、うわーキモー。しかもわたしのせいにされているじゃない……ねぇ、向こうでシコられるの嫌だから、ここで全部出し切っていきなさいよ」


 毎度なに言ってんだこいつ。


「あんま勘違いさせるようなこと言うなアホ。今も演技中なのか? 俺の心を弄ぶ小悪魔さんの」

「さぁ、どうでしょうね。でも、世界一わたしのことを知ってくれている人を騙せる程、わたしに演技力なんてないはずだけれど。だってわたし実力派女優じゃないもの。清純派のイメージだけで売っていくタイプのタレントだもの」

「なぁ清純派って言葉の意味、俺が中卒だから知らないだけなのか? 『派』に打ち消しの意味でもあんの? 非や不と同じなの? 高校で習うの?」

「どうだったかしら? あまり高校生活の記憶はないの。覚えている価値が一ミリもないんだもの。誰かさんがいなかったせいで、とてもとてもとても退屈でクソつまらない三年間だったから」

「それはそれは」


 こんなときに気の利いた台詞の一つも返せねぇことが不甲斐なくて、心底自分が嫌になる。

 もっと器用で頭のいい男だったなら、お前にそんな思いをさせずに済んだのだろうか。お前のことをもっとちゃんと、守ってやれたのだろうか。


「でもここで過ごした時間は全て覚えているわよ。高校から帰ってきてここに来れば皆がいた。あなたがいたもの。ふふ……お兄、わたしね。今とても長く長く長く長く、深く深く深く深く、笑ってしまいそうなの。だってなんか凄く幸せ過ぎて、わたしがこんなに幸せになんてなってはいけないはずなのに、あり得ないことが起こっているから、信じられなくて、バカバカしくて、笑うしかないの」


 バカはお前だろ、何でお前が幸せになっちゃいけねーんだよ、お前がこの世で一番幸せになってくれなきゃ、俺が困るだろうが。


「ん……っ、お兄……っ」


 あのころの俺たちがそこに寝転がって、十年後の自分たちを眺めていたらどう思うのだろう。

 身体だけが大人になった自分たちが動物みたいに絡まり合って、まさぐり合って――きっとプロレスコントを見てるぐらいのノリで爆笑してんだろうな。

 ああホント、昔からずっとバカだったよな俺たちって。


「んん……っ、お兄……っ、好――」


 なんとなくその先を聞きたくなくて、唇を離す度に漏れ出す艶めかしい吐息に脳を侵されてしまいそうで、俺はリコの口内の空間を全て奪い尽くすように舌を動かさざるをえない。


 なぁ、リコ。そんなに顔を紅潮させるなよ、耳まで真っ赤にさせるなよ、蕩けた目で見つめてくるなよ、必死でしがみついてくるなよ、俺の手を握ってくるなよ、手汗をかくなよ、脚を絡ませてくるなよ、身体をくねらせるなよ、呼吸を乱すなよ、服を乱れさせるなよ、心臓をバクバクさせるなよ。


 それが演技じゃねーって言うなら、お前やっぱ本物の小悪魔なんじゃねーかよ。


 んだよ、ふざけんな。あほ。どうしてくれんだこれ。あほ。ホント、どうしてくれんだ。仕方ねぇじゃ済まなくなっちまうだろうが。


「あっ、ん……っ……ねぇ……もしわたしが痛そうな顔をしていたとしても、それは笑いを堪えているだけだから、勘違いしないでね。笑わないように、ずっとキスしていてね」


 どうせもう、世界中の人が俺とリコを「そういう」関係だと思い込んでんだよな。それなら、嘘が本当になるだけの話なのかもしれない。


「バカ。痛かったら我慢なんてすんな、ちゃんと言――」


 リコの滑らかな頬を撫でる俺の指が、間抜けな電子音に急停止させられた。


「……華乃ね」


 リコに目で促されて、炬燵の上で震えていた電話に出る。

『まだ蔵いるっしょ。アホやってないで早く出ろ。遅れたら晩ご飯抜き』

 という矢継ぎ早の三言だけで、返事をする暇もなく切られてしまう。


 ああ、そっか。たとえ七十億人が俺らのことを誤解していたとしても、こいつら四人だけは俺とリコの関係を「正しく」認識してくれるんだった。


「ふふっ、華乃らしいわね」

「……だな」


そうやってまた二人で笑い合いそうになって、仕方ないからキスをして――乱れた着衣を整えて、防寒着を着て、俺たちのガキのころからの秘密基地を後にする。


 まぁ何も焦る必要なんてねーしな。

 どうせこの後、告白して付き合うことになるんだもんな俺たちは。仕方ない、番組を成り立たせるための演技なんだから仕方ない。


 ――その扉を閉める際、誰かに見られている気がして俺はふと振り返ってしまった。


 おい笑ってんじゃねーよ、このクソガキあほあほコンビ。

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