第15話

「やっぱ料理に関しては華乃は天才ですねー。こんなバターソテー食べたらもうカキフライなんて食べられないですよ。あ、でも生では食べたい」

「久ちゃんはダメだろう、この大事な時期に」

「綾恵こそそれ、ワイン一杯までにしときなよ? リコちゃんのフォロワーが増えて嬉しいのは分かるけどさ……お酒なんて全然飲み慣れてないんだから」


 蔵からメゾテラに戻ってきていた俺たち六人はダイニングで晩飯をとっていた。

 久吾の言うとおり、華乃特製の牡蠣バターは今日も絶品だ。サクサクの薄衣とバター醤油の風味が牡蠣本来の旨味をさらに引き立てている。

 あーこれが食いたかったんだよなー。最近ずっと牡蠣バターのことばっか考えてたもん。別に言ってなかったのによくわかったな。さすが妹。俺の気持ちをよく理解してくれている。


 そんな俺の最高の妹は、自身の料理に対する五人からの絶賛などには全く興味も示さず、俺の右隣で黙々と箸を進めている。

 変だな。普段の華乃は料理を褒められると、口では「そ。当たり前じゃん」的なこと言って軽くスルーしながらも、途端に明らかに機嫌良くなってルンルンで鼻歌とか歌い出したりするのに。何でそんな一点見つめて真剣な顔してんだ? 九回裏一点差でマウンドに上がった久吾みたいだぞ。


「ねぇ、お兄知ってる?」

 と、前置きを付けたときのリコは百パーでドヤ顔だ。

「牡蠣って亜鉛の含有量が全食品の中でも断トツらしいわよ。ねぇ、知らなかったでしょう? ねぇねぇ凄いでしょう、凄い博識でしょう。クイズ番組出られるかしら」

「はぁすごいすごい出れる出れる」まぁでも確かにそれは初めて知った。うまい上に亜鉛豊富って最高かよ牡蠣。めっちゃ食おう。「めっちゃ精子作ろうっと」

「そ、そういうつもりで言ったわけではないのだけれど……」


 言葉を尻すぼみにしながら俯いてしまうリコ。

 おい、ふざけんな、なに頬赤らめてんだ。やめろ、さっきまでのこと思い出しちまうだろ。


「は? なに今さらそんなことでモジモジしてんですか二人とも。キモっ、何か気持ち悪いです。お兄顔赤っ」


 怪訝な顔をする久吾。ヤエちゃんとジンジンも不思議そうに首を傾げている。


「……ばーか、ばーかっ」


 リコが左隣から照れ隠しのように肩をぶつけてきたり、テーブルの下で脇腹をつんつんしてきたり、太ももをぺしぺしてきたりする。

 おい、だからやめろって。俺この後お前に告白しなきゃなんねーんだぞ? そんなんされたら俺、迫真の演技しちまうからな、いいんだな? かなりリアルで本当の告白にしか見えないような演技しちまうからな。うん、それでいいんだった。


「みんなさー、今日晩ご飯の前なにしてたの?」


 仕返しにリコの脇腹をモミモミくすぐっていたところ、不意に華乃が声をあげる。


 は? いやみんなで蔵集まって一話の配信見てただろ……。一応カメラの前でアリバイ証明しておこうってか? うーん、別に今日は不自然にみんな一斉に外出したわけでもねぇんだし、別にわざわざ掘り返さなくてもいいと思うんだけどな……。


「オレは今日もずっと自主トレでしたよー」

「あー私は実は久ちゃんの練習を少し見学しに行っていたのだよ。遠くからこっそりとだが。何か照れ臭くてな」

「僕は単発バイトだったね。ただのティッシュ配りだから、残念ながらカメラマンさんもついて来なかったけど」

「私は図書館で雑学の勉強をしていたわ。ねぇ、お兄知ってる? カルピス発売からカルピスウォーター発売までって七十二年かかったのよ」


 久吾・ヤエちゃん・ジンジン・リコが順番にアリバイを説明していく。みんな事実と嘘を絶妙に織り交ぜているので説得力がある。

 まぁ俺は仕事行ってたの視聴者も普通にわかるだろうし、別に言わんでもいいか。え、てか時間かかりすぎじゃね、カルピスウォーター。水で薄めるだけじゃねーの?


 で、あとは華乃自身が何やってたのかだが――


「あたしはね、お兄とエッチしてた。セックス。宇都宮のあたしのアパートで、お兄と何回もラブラブエッチした」


「「「「「……………………………………はぁ!?」」」」」


 衝撃のカミングアウトに、五人ともが数秒固まった後、同時に驚愕の声を発する。

 こんなときでも息ぴったり。さすが幼なじみだね! うん、そんなこと言っている場合ではない。


 マジか……マジかよ、華乃。

 お前のアパートって俺のアパートでもあんだぞ。勝手に男連れ込んでやがったのかよ。別にセックスするのは構わねぇけど、ちゃんとした相手なんだろうな。誰なんだよそのお兄って奴は。俺か。俺だな。

 いや俺じゃねーよ! 俺そんなことしてねーよ! するわけねーだろ華乃とそんなこと!

 いったいいきなり何を言い出してんだお前は!? 何が目的なんだよおい!?


 そんな俺たちの反応など意にも介さず、華乃は軽やかに立ち上がり、


「ごちそさまー。じゃ食器は洗っといてねー。あたしお風呂入ってくるー。めっちゃ汗かいちゃったかんね。お兄が何度も求めてくるからシャワー浴びてる時間なかったんだもん♪ ごめんねみんな、牡蠣のウイルスはいないけど、お兄成分は料理に入っちゃってるかも♪」

「えーっ。いやいやおいおい待て待て待て」

「どったのお兄。いっしょに入りたいの? やだよ、どうせお風呂でまた抱かれちゃうんだもん。ベッドまで待って♪」


 いや何をだよ、何をベッドで待てばいいんだよ、おい。おい、なにルンルンで鼻歌とか歌い出してんだよ。

 ちゃんと説明してくれ、俺の最高の妹よ。





「おう、来たかリコ。悪ぃな、こんな寒空の中」


 吐き出した息が真っ白に染まり、宙に消えていく。


 晩飯の後、俺はこの広々としたバルコニーにリコを呼び出していた。

 もちろん告白をするためだ。そしてオーケーをもらって、リコと疑似の恋人関係になるためだ。


 先ほどの華乃の衝撃発言の件は一旦棚上げしておくことにした。

 決して現実逃避しているわけではない。華乃が長風呂中だからどうしようもないというだけだ。今は予定通り計画を押し進めるしかないのだ。不測の事態にも狼狽えることなく冷静に対処するこのフレキシビリティ、さすが社会人。さすが俺。決して現実逃避しているわけではないのだ。


「…………」


 俺の正面に立つリコは身を縮こませるように顔を伏せている。


 まぁそりゃそうだ。今から俺に告られるとこいつは知っているわけだしな。

 つい数時間前に蔵であんなことがあって、バイクでここに戻ってくるときも後ろから妙にギュッと俺の腰に抱きついてきていて、メゾテラに着いてからもずっと何か変な、今まで俺たちの間ではあり得なかったような、フワフワとした空気に包まれて、そりゃ意識しちまうよな。


 でも、これはあくまでも演技だ。生まれたから二十年間ずっと一緒にいた俺たちの関係はそのままだ。何も変わりはしないのだ。

 でも、もしかしたら。もしかしたらこれをきっかけにして本当に、何かが変わってしまうのかもしれない。

 少しだけ、怖い。

 でも止まるわけにはいかない。俺は今からリコに告り、リコはそれを受け入れ、俺たちは恋人同士になる。これは、俺たち自身が作り上げたシナリオなんだ。


 いくぞ、リコ! お前も最高の演技を頼むぞ!


「お前の大きな瞳に夢中になっちまったんだ。何度断られようが、どこへ逃げられようが、ぜってぇ捕まえに行くぜ。リコ、俺と付き合ってくべぶっっ!!」


 頬に叩き込まれた鋭い痛みと共に、俺の言葉が飛ぶ。視界がぶっ飛ぶ。


「付き合えるわけないでしょうが!! この変態二股ヤリチンお兄っ!!」


 さすがガキのころからバッティングピッチャーとして俺の打撃練習に付き合ってくれてきただけのことはある。素晴らしい腕の振りだった。


 あーあ、これ全世界に配信されるんだよなぁ。


 那須高原の澄んだ星空に、リコの怒声と乾いたビンタ音が、悲しく美しく響き渡った。

 えー……。

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