第11話
「そういえばリコちゃんは昨日いつ寝たんだい? いつの間にか見えなくなったが、女子部屋にもいなかったよな」
朝食後。
六人揃ったダイニングで、ヤエちゃんがブラックコーヒーを飲みながら問いかける。
「あー昨日男子部屋でお兄と話してて、そのまま寝ちゃったのよ」
「ほー、そうだったのか。相変わらず仲が良いな」
「そんなことないわよ。こいつの湯たんぽ代わりにされただけなんだから」
微笑ましそうに目を細めるヤエちゃんに、リコがカフェオレを啜りながら答える。
「いやお前が掛け布団独占しようとするからだろうが」
毎度のごとくリコが寝ぼけて俺から掛け布団を剥ぎ取ろうとするもんだから、俺はリコの身体で暖を取るしかなかったのだ。まぁめっちゃ温かかったからいいけど。
「ていうかお兄君とリコちゃんたまに寝言で会話成立してんの凄く怖いから、添い寝するならリビングのソファでお願いしたいんだよね」
冗談めかしてジンジンは言うが、その目は結構マジだ。怖いから従おう。
ちなみに、大窓からの陽だまりに包まれながら壁に寄りかかるように立つその様はさながらファッション誌の表紙のようだが、その手に持つヴィンテージカップのコーヒーには角砂糖四つと生クリームが入っている。味覚は割と子どもだ。
「華乃はどうしますかー」
「んー。せっかくだからあたしも生クリームー」
他四人には何も聞かずにコーヒーを淹れていた久吾だが、気分によって飲み方が変わる華乃には一言確認を入れる。ちなみに久吾自身はコーヒーが飲めない。
「置いときますよー」
「あんがと。あ、てかてかもしかして一緒に自主練してくれるチームメイトさんたちの分も作ったほうが良かったんかな。チーム内であんたのイメージ上がるっしょ」
「いやーいいっすよーそこまで。てかみんな自分なりに考えて食事とってますし」
「それもそっか。あ、シナモン。久吾あんたセンスあんね」
キッチンで俺と久吾用のお手製弁当を包んでくれている華乃。
学生四人は春休み中だから、今日外出予定があるのは俺と久吾だけだ。あー仕事行きたくねぇ。
「あーじゃあそろそろ出るわ」
微糖コーヒーのカフェインで脳に鞭打ち、華乃から弁当を受け取り、
「うむ、頑張りたまえ社会人」「いってらー」「気を付けてね、お兄君」「あ、お兄、例のバイトの件よろしくです」「頼んだよー稼いで来いよー」
あ、ダメだ何やってんだ、初めての朝食シーンが何もないまま平凡に終わっちまう。このままじゃ、番組第一話が昨日のグダグダシーンばかりになっちまう。
初回で視聴者を掴めなければ、もう後から挽回するのは難しい。シリーズごと潰れちまう。
二日目の朝ならまだ全然一話に入れられるはずだ。ここで一発リコを口説いて、第一話のメインシーンにしてもらおう。ここで視聴者たちの心を完全に掴むのだ!
と、俺と同じことをリコも思い出したのだろう、ダイニングを出ようとしかけた俺の正面に立ち、
「服装が乱れているわよ、お兄。わたしに恋をした男なのだから、しっかりしてもらわないと」
俺の襟元を整えながら、リコは突然ハッとした顔を見せたかと思えば、自嘲めいた微笑を口元に浮かべて目を伏せ、
「……ごめんなさい、こうしていると昔のことを思い出してしまって。ダメね、またこんな風に。どうせ振り向きもしない癖にこんな思わせぶりな態度をとって、悪い女だと思っているのでしょう? ……でも結局わたしは愛する人よりも夢を選んでしまうから。どこまで行っても『芸能人・海老沼紫子』にしかなれないから……もうあんな風に、馴れ合いの果て傷を付け合うだけの恋愛はしたくないの。そう、まるで二匹のハリネズミのように……」
おい、何またもや儚げな顔してんだよ、何が「そう、」なんだよ一つも意味わかんねーよ、どっから出てきたんだよハリネズミ、
「お、おまっ、くっ、フフっ、ざけんなっ、」
なに恋多き女ぶってんだよ、なに夢のために恋を諦めた的な過去のドラマチックな恋愛ちらつかせてんだよ……っ、お前恋愛経験ゼロじゃねーか……っ!
「フ、フハ、」
ダメだ、もう無理だ、笑っちま――
――その瞬間。
爆笑を始めようとした俺の口が、唇が。柔らかなものに押さえ込まれた。
てかリコにキスされた。
思いっきり背伸びをしているリコ。両腕を首に回されて、無理矢理屈めさせられた俺の顔が、その小さな顔へと吸い込まれていた。
唇と唇を合わせて、十数秒。長い。いやマジで長い。
思わず顔をしかめる。
突然の出来事にダイニングにも無言の時が流れる。
ヤエちゃんとジンジンが呆れたような目で眺めてくる。
勝手にやってろ感丸出しの華乃は不機嫌そうに洗い物を始める。
自宅で知らない人間の死体見つけたような顔していた久吾は突然口を押さえ、部屋を飛び出していった。あ、あいつ吐きに行きやがった! いくら何でも失礼だろ人の口付け見て!
いやマジでどういうことなん? リコお前何がしたいのマジで。――と、目で問いかけようとしたところで気づく。リコの双眸が、自信溢るる不敵な光を放っていることに。
――――あ……っ! そういうことか……っ!
「その通りよ」
やっとリコが唇から離れ、今度は左耳に口を付けてくる。そしてコソコソと、
「これで笑いを封じ込められるわ」
こいつ……本物の天才だっ!
ドヤ顔がムカつくし、耳にキスとか普通に気持ち悪いから今すぐ離れてほしいが、リコが編み出したこれは紛れもなく賞賛に値する作戦だ。
物理的に口が押さえつけられるというだけでなく、リコにキスをされることで心理的にもクールダウンできる。なんか「何やってんだこれ」感に包まれる。テンションが下がる。なんか真顔になる。夕飯のこととか考え出す。
結果、絶対に笑わなくなる。
それに加え、何と言ってもキスシーンを生み出せるのである。視聴者が最も求めている絵であろう、あのキスシーンである。
通常ならワンシーズン一年間でキスシーンなんて七、八回もあればいい方だ。それを二日目の朝にしてぶち込むことができた。
しかもキスをするということは顔と顔を近づけているというわけだから、こうやって自然と耳打ちもできるのである。
なんかガキのころ俺の耳たぶ弄るのにハマったリコに耳たぶ甘噛みされまくったのを思い出して心底気持ち悪いが、耳キス作戦会議が有用なのは間違いない。
つまりこの「笑い無効化キス」は一石三鳥・リスクゼロという、信じられないような最高の戦法なのである。
そして当然。これさえあれば、リコのいい女演技に対して俺が爆笑を回避できるだけではなく、
「サンキュな、リコ」
俺は精一杯のキメ顔をしてリコの頭を撫で、
「将来も毎日いってらっしゃいのキスをしてほしいぜ。俺の嫁さんとして、な」
「――っ、は、ふっ、あなたっ、な、なはは――」
笑い始めた瞬間のリコを抱き寄せ、その薄桃色の唇にキスをした。
その後もこんな感じのやり取りを数日続けた俺たち。
俺がリコを口説き、笑い出しそうになったリコをキスで封じ込め、リコが恋多きクール美女を気取りながら俺をフり、それに笑い出しそうになった俺をキスで封じ込め、――それを続けていくうちに自然と互いの演技に対する笑いの免疫は――全くつかなかった。
その間たぶん百回はキスをした。めっちゃ耳噛まれた。キモ。
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