第32話
「来た、久ちゃんだよ」
「うむ、オープン戦とはいえ第一戦の先発を任されるとは相当信用されているんだな」
俺の後ろに並んで座るジンジンとヤエちゃんが誇らしげに言う。
暗い空気を少しでも晴らそうとしてくれているのだろう。
第三話を視聴したあの夜から約一週間後の昼下がり。
俺たち五人は、県内にある久吾のチームの本拠地球場に来ていた。無論、今日から始まったオープン戦を観戦するためである。
「ね、早く来て席取っといてよかったっしょ?」
右隣から華乃が声をかけてきた。
俺の右手にそのスベスベな左手を置いて、頭を俺の肩にもたれ掛けるように密着してくる。やめろって、めっちゃ見られてんだぞ。
今にも雨が降り出しそうな曇天にもかかわらず、客席数一万強の球場は満員だった。
俺たち五人がまとまって一塁側内野席の前方、選手達の表情まで確認できるような場所を確保できたのは、確かに午前中から並んだおかげだと言える。
入場は無料・完全自由席。集客に苦労している独立リーグの、しかも練習試合とあって、本来ならこんなに客が入ることなど想定されていなかったのだ。
それがなぜこんなことになっているのかと言えば、
「傍から見るとあいつって実はめっちゃイケメンなんだねー。あたしは一度もそんなこと思ったことないけど」
華乃の言うとおり、もちろん完全に久吾効果である。メゾテラ効果である。メゾテラで久吾のことを知ったたくさんの人が、主に女性が、球場に詰めかけているのだ。
試合開始数分前、久吾がマウンドに上がると、四方八方から黄色い声援が飛ぶ。
これでやっと俺たちも観客の視線から逃れることができた。当然、同じくメゾテラ出演者の俺たちにも注目が集まっていたのである。まぁ撮影スタッフの存在が悪目立ちしてるせいでもあるんだが。
「おい、リコ。見てみろよ、あれNPB球団のスカウトだろ」
バックネット裏の関係者席でスピードガンを構える男性達。
もちろん久吾だけをチェックしに来ているわけではないのだろうが、それでもこの人気ぶりを見せつけられたのはいいアピールになったことだろう。
「お兄、嬉しそうね」
「お前もな」
左隣で微笑むリコ。一週間ぶりに自然な笑顔を見せてくれた。
あの日以来、リコはずっと落ち込んでいた。口や態度に出していたわけではないが、俺たちにはわかる。無理して明るく振る舞ってくれるのが、痛々しくてリコらしくなくて、そんなこいつに何もしてやることができない自分が心底ふがいなかった。
俺はもうリコと付き合うことができない。リコもそのことを何となく理解している。それ以前に、リコ自身がもう俺の告白なんて受け入れてくれないだろう。
そんな状況を作った張本人である華乃は、この一週間、俺にくっついてくることが多くなった。ボディタッチが増えたり、甘い声で囁いてきたり。
かと言って、「セックス発言」のときのような過激なアプローチを仕掛けてくるわけでも、直接的に俺への好意を示すような言葉をかけてくるわけでもなく――そのことが却って不安を煽ってくる。
華乃が本気で俺との破滅的な将来を望んでいるんじゃないかと、そんな馬鹿げた考えが日に日に現実味を帯びてきているような気がしてしまうのだ。
いや、そんなわけねー。そんなわけがねーんだ。華乃は俺の妹なんだから。
結局また今日もそうやって、都合の悪いことから目を背けることしか俺にはできない。
「相変わらず綺麗なピッチングフォームね。今シーズンも安心して見られそう」
準備投球を始めた久吾を眺めながらリコが満足げに頷く。
そうだ、今は久吾の応援に集中しよう。それがリコにとってもいい気分転換になるはずだ。
「でも……なんか固い。あのバカ童貞、まさか女子にキャーキャー言われて舞い上がってんの?」
眉間にしわを寄せて華乃が呟く。
そうか? いつも通りの久吾だと思うが……。
久吾はマウンド上では常に無表情だ。ピンチであろうがなかろうがいつも冷静沈着、打者に自分の感情を読ませるようなことは絶対しない。
そんな姿勢は、投球スタイル自体にも表れている。ランナーなしでも常時セットポジション。コントロール重視で、コンパクトなモーションからストライクゾーンの四隅を丁寧に突いていく。
この投球練習でもそれができていると思うが……華乃には何か感じるものがあるのか?
「おーいピッチャー、落ち着いてけよーっ! いつも通りいつも通りっ、背伸びしないで打たせてけよーっ!」
華乃が両手をメガホン代わりにマウンドへ声を飛ばすと、久吾がこちらにチラと視線を寄こしてきた。
「あいつ……っ」
今度ばかりは俺も、いや俺たち五人とも、久吾の異変に気づく。
華乃のことを見た瞬間、久吾が口元に薄ら笑いを浮かべたのだ。マウンド上で、あの久吾が。
やっぱ緊張してんのか?
まぁいくら久吾とはいえ、今シーズン初めての実戦だ。こんな大観衆に囲まれるのも高校野球の県予選決勝以来だろうし。浮ついてしまうのも無理ないか。
準備投球が終わり、球審がプレイボールをかける。
頑張れ久吾。華乃がいつも言っているとおりだ。普段通りやれば、お前は絶対大崩れはしないんだ。最低でも試合は作れるはずなんだ。
お前はずっと努力をしてきた。ドラフト指名は叶わなかったが、去年一年でチームの信用を掴んで、エースを任せられるまでになったんだ。大事な今シーズンの大事な第一球、しっかりとお前らしく――、
「「「「「は……?」」」」」
投球動作に入った久吾を見て、俺もリコも華乃もヤエちゃんもジンジンも、みんな揃って間抜けな声を漏らしてしまう。
セットポジションから投げるはずだった久吾は、両手を大きく振りかぶった後、左足を高々と上げ、バッターに背番号を見せつけるかのように上体を捻り――そのダイナミックなトルネード投法で勢いよく放たれた直球は、打者と球審の頭上を遙かに超え、不快な音を立てて金網フェンスに直撃した。
球場が、静まり返る。
当然だ、独立リーグとはいえプロのピッチングとは思えない大暴投である。
いや、そんなことよりも――、
「久吾……お前その投げ方は、ガキのころの……っ」
カメラが入っていることを思い出し、そこで慌てて口をつぐむ。しかし、俺以外の四人も、俺と全く同じことを考え、全く同じような顔をしている。
そのワインドアップのトルネード投法は、野球を始めた六歳のころから中学三年の四月まで、久吾がこだわり続けていたピッチングフォームだった。
駆け寄ってこようとするキャッチャーもタイムをかけようとする監督も拒んで、マウンド上の技巧派エースは二球目の投球モーションに入る。またもや同様のトルネードで放ったストレートは案の定ストライクゾーンを大きく外れてしまう。
「なにやってんだー!! やる気あんのか、あほピッチャーっ!!」
殺気すら感じさせるような形相で華乃が飛ばす野次だけが、超満員の球場に虚しく響き渡った。
結局この日久吾は、フォアボールでランナーを出し続け――ひとつのアウトも取れぬまま、大量失点をしてマウンドを降りた。
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