第34話

 ――ねぇ、お兄。見なさいよ、これ。選ばれたの! このわたしが! アイドルよ? マジよ? え? いやまぁド田舎のご当地アイドルだけれど……。それでも凄いでしょう! ねぇねぇ、驚いたでしょう? わたしのことポンコツだと思っていたでしょう? あほだと思っていたでしょう? これがわたしの実力よ! すぐに大人気アイドルになってしまうわよ!?


 リコが嬉々として俺にそう自慢してきたのは、高校入学を控えた春休みのことだった。

 隣町のご当地アイドルの新メンバー募集を見つけたリコが、悪ノリした久吾の後押しもあって、俺を驚かそうとこっそりオーディションを受けていたのだ。

 もちろんめちゃくちゃ驚きはしたが、まぁ別に、露出の多い衣装を着せられたりだとかするわけでもない地域密着型の健全そうなグループだったし、どこか複雑な思いを抱きながらも、俺も嬉しかったし素直に応援した。ド田舎のご当地アイドルとはいえ、リコが昔からの夢を叶えるための一歩を踏み出したのだから当然だ。


 状況はすぐに一変した。


 一般的には「健全」の範疇に入っているであろうファンとの撮影会も握手会も、極度の人見知りであるリコには到底不可能だったのだ。

 そんなイベントがあるなど事前には知らされていなかったという。しかしアイドルであればその程度のファンサービスなどあって当たり前らしい。そのことをリコも久吾も俺も知らなかった。


 グループ加入当日にアイドルを引退しようとするリコを、プロデューサーの男性はその熱心さが故に強く引き止めた。

 特に違法な手段を使われたわけでもない。本人からすればパワハラなつもりも全くなかっただろう。むしろリコのためを思っての行動ですらあったのかもしれない。

 それでもその強引さは、リコにとっては大きな恐怖でしかなかった。


 俺が事務所に乗り込んで、プロデューサーを殴ってリコと逃げ出すまでに時間はかからなかった――らしい。

 リコにとっては俺が来るまでの時間が永遠にも感じられただろう。自転車を飛ばしている最中の俺にとっても二十キロの距離が何万キロにも感じられた。

 実際に客観的な時間がどれ程だったのかはわからない。あの日の出来事はよく覚えていない。気がついたときには俺はリコを抱えて走っていた。


 そうしてリコはアイドルになって数日、実際の活動を始める前にグループを正式脱退し、俺は高校生になって数日、入学式前、実際に登校を始める前に退学処分を食らうことになった。





「何でよ……何で今更こんな写真が……一体誰がこんなことを……っ」


 頭を抱えてしまうリコの背中を、ポンと叩いてやる。


 被害者のプロデューサーが自身の責任を認めていたこともあって、当事者間の事後処理自体は少額の示談金だけでスムーズに済んだ。

 根は誠実で、自分の行いを反省していたあのプロデューサーがこんなことをするとは思えない。何より、こんな過去が掘り起こされてしまえば、自分の評判まで落ちてしまうだろう。そしてそもそもの話、殴られている最中の自身の写真を自分で隠し撮りするのは物理的に不可能だ。


「あの時……お兄が助けに来てくれた時、プロデューサーとわたし以外であの場にいたのは……グループのメンバーが数人……」

「……そういやあのグループってどうなったの?」

「メンバー全員の未成年飲酒が小さな記事になったのがきっかけで、いつの間にか消滅しましたよ」


 華乃の独り言のような問いかけに久吾が答える。


「はぁ……じゃ、そいつらのうちの誰かの仕業に決まってんじゃん。嫉妬でしょ。リコがメゾテラ出て人気出てんのに気づいて、嫌がらせ。隠し撮りしてたのは単なる好奇心か――それすらもやっぱり嫉妬なのかもね。あんなくだらないことからでも体を張って守りに来てくれる彼氏がいたことへの」

「彼氏って……わたし一言もそんなこと、」

「そう見えたんでしょ」

「まぁ、いいだろ、もう。出ちまったもんは仕方ねー。犯人探しなんてしても意味ねーよ」


 幸い、この暴力事件にリコが関わっていたことはどこにも書かれていない。

 元メンバーからすれば、詳細を暴露してしまえば自分たちの黒歴史まで蒸し返されてしまう恐れがあるし、そもそも写真のある俺の蛮行とは違って、リコがこの場にいたことを証明する手段がないのだろう。


「でも……わたしは納得出来ないわ……酷すぎる……っ、お兄、ネット上で凄く叩かれているもの……すぐに反論をっ」

「やめとけって。そんなことしたらお前がこのグループに一瞬でもいたことまでバレちまうかもしんねーだろ。お前まで未成年飲酒してたとか噂立てられちまうぞ? あ、てかそもそも俺との繋がりが丸わかりになっちまうじゃねーか。やらせなんてバレたらそれこそ全部水の泡だぞ。せっかくいい話が来てるっていうのに、アホなことすんな」


 リコにとって今が人生で一番大事な時期だというのに……。

 これまでの自作自演が発覚すれば、ドラマのオファーが立ち消えるだけでは済まない。芸能生命自体の危機だ。所属事務所からは間違いなく解雇されるだろう。

 今のマネジメントに熱心でない芸能プロダクションを俺が調べ上げてリコに薦めたのも、また同じようなことが繰り返されるのが怖かったからだ。リコが辞めたくなったらすぐに辞められるところを選んだ。逆に所属タレントが問題行動を起こしても守ってはもらえない。簡単に首を切られる。


 それでも、そんな事務所にいながらも、どんな壁をもブチ壊して、リコは大きな成功を掴み取ろうとしているのだ。俺なんかのためにその努力と才能を無駄にしていいわけがねぇ。


「でもお兄のイメージだって……っ」

「まぁ俺が暴力を振るったのは紛れもない事実だしな」


 ていうかもう写真が出回った時点でどうしようもねー。もう俺は諦めた。


「まぁ元からお兄の世間的なイメージなんて全く良くなかったわけだしな」


 ヤエちゃんがフォローを入れてくれるが全然フォローになっていない。


「当事者の間で解決してるわけだしね。無関係の人達に何言われてたってお兄君やリコちゃんが気にする必要ないよ」

「うむ。ジンジンの言う通りだ。会社の人達だって分かってくれるだろう。元々、高校中退理由も知った上で受け入れてくれて、その後のお兄の姿勢を見てその仕事ぶりも認めてくれているわけだろう? 今更過去のことでキャリアに傷など付かんさ」

「いやー……実は事件のことも退学のことも会社に言ってない……採用面接んときも経済的な事情で元から高校行けなかったとしか説明してねーんだよな……まぁいわゆる経歴詐称ってやつ? ハハ」

「「「「「え」」」」」


 乾いた笑いを漏らす俺を、五人が目を丸くして見つめてくる。

 まぁ、そうなるよな……。

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