第9話

「リコ、じゃがいも」


 Tシャツ・ショートパンツ姿の華乃にボソッと言われて、リコがじゃがいもの皮を剥き、くし形切りしていく。

 リコお前、料理中にまでそのモコモコ着る必要ねーんじゃねーの? イメージ作りに余念なさ過ぎだろ。あんまジェラートピケの上にエプロンとかつけなくね?


 蔵からメゾテラに戻ってきて一時間弱。華乃とリコと俺は晩飯の準備をしていた。


 広々としたアイランドキッチンからは、ヤエちゃん・ジンジン・久吾がくつろぐダイニングも一望できる。逆に言えば、ダイニングに設置されているおびただしい程のカメラからこちらキッチン側も、隅々まで捉えられているということである。

 それを考えればリコがオシャレ感を出したがるのもわかるが……。


「リコ、そのモコモコ脱いで。あたしの料理に毛が入るっしょ。てかモコモコにも匂い移っちゃうんじゃないのそれ。そもそもあんた自身がめっちゃ煩わしそうだし」


 今夜のメニューはカリフラワーとじゃがいもとチキンの華乃風ドライカレー。

 帰宅途中に超短時間で揃えてきただけにもかかわらず、どれも安くて良質な食材だ。さすが華乃。そしてさすが那須。


 とはいえ確かにスパイスとモコモコの相性は良くなさそうだ。リコもモコモコの袖をこれでもかと捲って、めっちゃ邪魔そうにしてるし。


「嫌よ、絶対脱がないわ。清純派タレントといえばジェラートピケでしょう。わたしのために存在しているブランドなのよ?」

「Hey Rico. 清純派の意味」

「自分の話はあまりしたくないんです」


 清純派人工知能に質問を濁され、俺も自分の仕事に戻る。


「久吾ー。このトマト甘いぞー?」


 サラダ用の生野菜をさばきながらダイニングへ声を掛けると、


「えー……でも生ではいらないですよー。どうせ華乃のことだからカレーにもたくさん入れてるんでしょう?」

「こらこら久ちゃん、好き嫌いなんてしていたら大きくなれないぞ?」

「もーヤエちゃん、子ども扱いしないでくださいよー」

「アハハ、綾恵からしたら久ちゃんは十年後も子どもみたいなものなんだろうね。じゃ、僕達もお手伝いしようか」

「うむ、食卓の準備と……あとお風呂も沸かしてくるか。華乃ちゃんが早く入りたい人だっただろう」

「あーオレどうしましょう、じゃあオレ使い終わった調理器具とか洗いますよ」

「久ちゃんはあまり手を使っちゃダメでしょ。僕と綾恵でやるよ」

「そうだな、トレーニング後くらいゆっくりしたらいいさ。君は食後にコーヒーでも入れてくれ」


 自主トレ後の汗も爽やかな、ジャージ姿の久吾。タートルネックセーターをタイトに着こなしたヤエちゃんと、無地ロンTにジーンズだけでも妙に決まって見えるジンジン。

 張り切ってモコモコのショートパンツとか穿いて太もも出してるリコがバカみたいだ――って、は……っ!


 違う違う違うっ! むしろリコが正しいだろ! 俺もこんなヨレヨレのTシャツ着て呑気にキャベツ切ってる場合じゃなかった!

 ダメだよダメだよ全然ダメ! これはリアリティショーなんだぞ! 何をスムーズに家事分担とかしてんだよ、今日会ったばかりだろ俺たち!

 こんなの視聴者は見たくねーんだよ! 求められてるのは、家事の分担とかで揉めたり(そして仲直りしたり)するシーンだろ。

 そりゃ昔から一緒にいて、今さらそんなことで言い争うも何もねぇけどさぁ! 知らん人間のほのぼのなんて誰が見んだよ!?

 幼なじみみたいなことやってんなよ、恋愛しろ恋愛!


 もう頼りになるのはリコだけだ。

 すまん、俺まで足引っ張っちまって……何とかしてくれ、ジェラートピケさん!


「ちょっと切り過ぎてしまったかしら。でもいいわよね、じゃがいもはたくさん入っていても――ん? じゃがいも……リコ……はっ……! じゃがりこっておいしいわよね。わたし毎日食べたい」


 そんなんでCMのオファーなんて来ねーよ! うまい棒がじゃがりこのCMやってどうすんだ!


 ダメだ、リコもただのジェラートピケ着たうまい棒だった。

 ここはもう俺がやるしかねぇ……!


「なぁリコ」

「ん? あ、待ってお兄。わたし今閃いたのだけれど、うまい棒味のじゃがりこ――っ」

 リコは俺からの目配せを受けた瞬間、表情を引き締め、しっとりとした声音で、

「どうかしたかしら、お兄」


 さすがだ。自分で六人の恋愛相関図を作っただけあって、何をするべきかよくわかっている。


 いくぜ、リコ。お前のシナリオに従ってやる。俺は今からお前に恋心を抱くイケてる男子だ。

 完璧にお前を口説いてやるぜ!


 俺はリコの背中に密着するように立ち、リコの顔のすぐ脇からまな板をのぞき込む。片手はキッチンにつき、まさにリコに後ろから覆い被さるような形。抱きしめるような形。


「お兄――っ」


 リコが見上げるように振り返り、俺と見つめ合う。

 その距離十数センチ。

 至近距離でその艶やかな黒髪が揺れたことで、青りんごのような甘く爽やかな香りが鼻腔をくすぐってくる。

 昔からのリコの匂いだ――うーん、やばい。リコの匂いじゃん。いや、いい匂いと言えばいい匂いだけど、だってリコの匂いじゃん。せっかく高ぶらせたテンションが一気に落ち着いてくる……。何か真顔になる。あー明日仕事行きたくねぇ。現実に引き戻されちまったよ……うん、カレーの匂い嗅いでたほうがまだ雰囲気出るな。

 よし、ここはスパイス香に集中して演技に入り込むぞ! ふんばれ俺!

 俺はこいつが好きなんだ、俺はこいつが好き俺はこいつが好き俺はこいつが好き、よしいける!

 はい、精一杯イケメンボイスで!


「料理上手いんだな。リコみたいな人が嫁さんだったらいいのに。家事をやってもらうんじゃなくて、毎日一緒にキッチンに立ちたいって思える」


 完璧だ。

 今俺は完全にリコを口説くイケメンになりきれている。気分は少女漫画のモテモテ男子である。

 これを見ているテレビの前のオシャレ女子たちはみんなリコのことを羨ましがるはずだ。

 だってそうだろう?

 あのリコでさえ、世界一俺を異性として見ないであろうこいつでさえ、今顔を真っ赤にして俺に見とれちまってるんだから。

 おいおいリコ、お前は俺をフることになってんだぜ? 呼吸を止めて、潤んだ瞳をそんなに見開いてちゃ、まるで本気で俺に惚れてるみたいじゃ――


「ぐ……っ、ふ……っ、お、お兄……ふっ、なはっ、なーはっはっはっはっは! なーはっはっはっはっは!」

「えー……」


 顔面に唾を吹きかけられる。

 リコは腹を抱えて高速地団駄を踏み鳴らし――爆笑していた。

 えー……。


「なーはっはっはっはっは! なーはっはっはっはっは! はぁーーっ……ふっ、くくっ……ダメ……っ、あなた顔っ……顔作りすぎ……っ、反則よそれは……っ、ふはっ、なーっははははっ! なははっ、なははっ、なははっ、ふ――――っ、なははははぁっ! はぁーーっ、ふっ……! 嫁さん……っ、嫁さん……っ、嫁さんってなに……っ、く……っ、くっくく、ふふふふっ、なっはっはっはっはっはっ! はぁっはぁっはぁっ、助けてっ死ぬっ……死ぬ……っ、なーはっはっはっはっは!」

「おい清純派タレント」


 リコはもはや四つん這いになり、床を叩き脚をバタつかせ、涙を流していた。おい、ジェラートピケも泣いてるぞ。


 フライパンの火を止めて振り返った華乃は、清純さの欠片もない豪快な笑い方をするリコを見下ろし、


「あんたら二人なにやってんの? キッチンで立ちバック始めたかと思ったら、いきなり笑いながら崩れ落ちて。なに、今度は犬バック?」


 酷すぎる。俺の一世一代のイケメン演技を立ちバック扱いとは。


 一方は爆笑という名の強烈な打撃技、他方は冷静で鋭利な一刺し。

 何でお前らは昔から俺を馬鹿にするときだけ抜群のコンビネーションを発揮するんだ。心がえぐられる。


「なっはっはっは! なっはっはっは……ふーっ……はぁ……はぁ……あはーーっ、ダメ、もう立てないわ……っ」


 あれ、てかこれお前が俺にやれって言ったんだよな? マジで酷くない? 人の必死の演技をそんなに爆笑できる普通?

 クソっ、じゃあお前がやってみろよっ、お前俺のこと格好良くフってくれるってことになってたよな!?

 リコは俺の睨みを受け――、一瞬で目の色を変え、スッと立ち上がる。


 ――場の空気が一変した。


 その目力、纏うオーラ。明らかに俺とはモノが違う。

 侮ってた。見くびっていた。こいつもプロなんだ。

 こいつの前にいるだけで、気分はもうオシャレ映画の登場人物だ。これから俺は、どこか陰をもった主演美女にフラれる、最優秀助演男優。

 リコの一流の演技で、失恋さえもいい絵にしてもらえることだろう。 


 リコはキッチンに片手をついて軽く寄りかかり、柔らかく脚を組んで――きっとその手にワイングラスを持っていてもよく似合っていただろう――口元だけはフッと微笑みながらも、憂いを帯びた流し目で窓を眺め、


「ほらお兄……外を見て。あんなに綺麗に舞っている粉雪も、地に付けばすぐに溶けてしまう……窓一つ隔てただけのわたし達はこんなに薄着で過ごしているというのに、ね。――まるでわたしとあなたの未来を暗示しているようね」

「フハハハハハハっ! ふはっ、フハハハハっ!! リコっお前……っ、フハハハっ!! 儚げな顔でなに、フハハハハっ!! くくっ、何が何に掛かってるんだ、セリフの意味がひとっつもわからんっ! 粉雪がー……なに? フハハハハっ!! 腹痛いっ、腹痛い……っ」

「なに笑い崩れてくれてんのよ、人がせっかく優しくフってあげたというのにっ!」


 無理……っ、無理だ……っ! お前何わざとらしく顔曇らせながら意味不明なこと……っ、フラれたのかどうかすらわからなかったじゃねーか……っ。ダメだ笑いすぎて腹に穴あく……っ。


「お兄君、笑うなんて失礼だよ。リコちゃんだって人をフるのは辛いはずのに、お兄君が傷つかないように言葉を選んでくれたんじゃないか。遠回しなようで心に響く、凄く詩的で素敵な言葉だったよ。綺麗で優しいリコちゃんの雰囲気にぴったりなね。僕の告白を断る時も、そんな素敵なフり方をしてくれるのかな?」


 ジンジン来た! 

 いつの間にかリコの隣に来て、キッチンに寄りかかり、リコと同じ意味不明なおしゃれポーズをとって、ジンジンがサラッと言う。


 さすがジンジン。俺たちのやり取りを見て、すかさず自分の役割を実行しに来てくれた。

 計画通り、リコを口説くイケメンモテモテ野郎を演じてくれている。全く下心を感じさせない、さり気ない告白。女慣れしてる感が溢れ出ている。


 完璧すぎて、ジンジンをフる予定だったリコも思わずオーケーしてしまうんじゃないかと思うほどの――


「うーん、言うほど良くないわね。ジンジン、それ普通にセクハラだと思うわ。ルックスのおかげで許されてきたのかもしれないけれど何か勘違いしているみたいだからやめた方がいいわよ。見た目だけ垢抜けたようだけれど中身は童貞のままね。え、というかジンジンって童貞?」

「えー……何で僕相手にはそんなにストレートなの……? 僕のこともあの意味不明な短歌でフってよ……」


 全然女慣れしてなかったようだ。

 ていうか六人中六人が恋愛経験ないからな。恋愛リアリティショーで全員恋愛未経験って何だよ。もうそれそういう企画だろ。


「え、いえ、ごめんなさい……いえ、でもほら、勘違い男はコテンパンにフってあげるのも優しさかと思って……」


 あーそういやそっか。リコの言うとおり、確かにそういう計画だったもんな、ジンジンが自分からコテンパンにフってくれって言ったんだし。


 心に痛烈な一撃をもらってフラフラとしながらも、ジンジンは今度は華乃の隣に立つ。

 おーマジかジンジン、連続で行く気か。


「アハハ、フラれちゃったよー。誰か可愛い女の子に慰めてほしいな。ねぇ華乃ちゃん、明日って空いて」

「待って、いま味を決める一番大事なポイントだから話しかけないで。てか普通にきつい。ジンジン君、東京でそんなことやってるんだとしたらドン引く。ヤエちゃんの気持ちがわかる」

「えー……何か僕が一番厳しい仕打ち受けてないかな……?」


 涙目でダイニングを通り過ぎ、リビングのソファに倒れ込むジンジン。

 お風呂場から戻ってきたヤエちゃんが全てを察して「自業自得だろう……あと洗い物は君がやれよ」と声をかける。ジンジン可哀想……。


 そんな俺たちの一部始終を、町中で死体見つけたみたいな顔で眺めていた久吾に視線を投げつける。

 お前もリコにアタックする予定だったろう。俺とジンジンは作戦を忠実に遂行して勇敢に散ったんだんだ。お前もさっさと特攻しろ!


 えー……マジですかー……感漏れ漏れな感じで立ち上がった久吾は、仕方なしそうにリコに歩み寄っていき、


「あーリコっちゃん。オレ、リコっちゃ――リコ……リコピン。華乃ー、そのカレー何かリコピン感強すぎません?」


 顔を真っ赤にしてリコに背を向け、華乃に話しかけた。敵前逃亡である。

 いや赤面しちゃうのはわかるけども……お前の顔が一番リコピン感強いぞ。


「まぁトマトめっちゃ入ってるかんね。でも」

 華乃は、おたまで小皿によそったカレーをひと啜りし、

「うん、良さげ。ん」

 軽くフーフーしてから、料理から目も離さずに、それを久吾の口まで運ぶ。

「……ちょ、めちゃ旨なんですけど。相変わらず天才ですか華乃は」

「っしょー。じゃ、ぼちぼち配膳しちゃってー」


 華乃の掛け声で、六人による初めての――本当は何千何百何十何回目かの――食卓シーンが始まった。

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