第8話

「これ持って行こうかしら」


 うつ伏せで炬燵から顔と両手だけを出し、人んちの漫画を読み耽るリコ。

 わざわざ一旦炬燵に潜って、俺の対面へと移動したらしい。つまり、炬燵の中で俺に足を向ける形。俺からリコの顔は窺えない位置。


「漫画はいいけどよ。お前そのヨレヨレのはんてん向こうでも着んの?」

「着るわけないでしょう。ジェラートピケよジェラートピッケェ」

「モコモコのやつか。あんなキラキラブランドのはんてんなんてあんだな……」

「はんてんじゃないわよ……。というかあなたこそ部屋着気をつけなさいよ。なに当たり前のように中学で作ったオリジナルTシャツ着てんのよ」

「え、ダメだったかこれ? ダサい?」

「ダサいし、たぶん久吾とジンジンも持ってきてるから。何で初対面の人達がオリTかぶるのよ」

「確かに……。でもジンジンはともかく俺と久吾はおしゃれな部屋着とかねぇしなぁ。つか久吾なんてアンダーシャツでも着てりゃあいいのに」

「気を使ってくれているのでしょ。そういう子じゃない、昔から」

「いらん気だなぁ」

「まぁ同じ家に住むのだから多少の気遣いは必要なのだけれどね。華乃が言っていたわよ、あなたがシコっているの雰囲気で丸わかりでキモいって。あとお風呂でするなら冷水で流してほしいって。詰まるから。キモ」

「うそー……」

「あまりあっちでシコってほしくないから今のうちにここで出し切っていきなさいよ。わたしこっち向いて漫画読んでるから」


 何言ってんだこいつ。キモ。


「……………………」

「……………………」


 ねみぃ……ちょっとウトウトしちまった。


 ストーブが熱風を吐き出す音と漫画のページがめくられる音。程よい環境音がより眠気を誘ってくる。

 炬燵の中でリコの足が俺の足をパタパタと叩いてきていなければ、たぶん睡魔に負けていた。素足同士だったおかげで肌に直接刺激を与えられたことがより効果的だったのかもしれない。


「ふー……」

「終わったー?」

「シコってねーしそんな早くねーし」

「何その見栄。遅いよりいいんじゃないかしら。知らんけれど」

「何だそれ」


 …………。

 ……………………。

 ………………………………。


 …………ああ、明日仕事行きたくねぇなぁ……。いつも行きたくねぇけど。新しいバイトの子ウザいしなー。つーか那須高原にこいつらと一緒に住んで仕事と往復なんてしてたら、いよいよ彼女なんて出来ねーな。あーカキフライ食いてぇ。でもやっぱバターソテーか。あれってどうやっていい感じの衣、あ、爪切んの忘れてた、あー彼女欲し


「あのさー」

「んー」


 ぼーっとしていたところにリコから声をかけられ、唇も動かさずに返事をする。


「……………………」


 それきりリコは何も語らない。

 独り言めいた、あえて抑揚を抑えただろう「あのさー」だった。

 別にそれだけで話の内容は大体わかるし、このまま話さなくたっていい。話したくなるまでずっとここで黙って待ってたっていい。


 すべすべの足二つが炬燵の中で俺の両足にじゃれついてくる。

 この時期でも全然乾燥とかしねーんだなぁ相変わらず。たいして手入れもしてねーくせに。


 …………パスが欲しい、か。


 結局、ページがめくられる音を九回聞いたところで俺から口を開いた。


「会ったのか」

「ええ、まぁ。ばあちゃんにだけ」


 だと思ったよ。部屋入ってきたとき、俺たちに顔見せないようにしてたもんな。

 つらい気持ち隠して笑うこともできねーんじゃ、やっぱタレントなんて難しいんじゃねーのか?

 いや、そんなことねーか。お前には他に魅力的なところがたくさんあるもんな。ていうか、そういう不器用なとこも含めてリコだ。負けんなよお前は。お前と久吾は俺の憧れなんだ。


「話したか?」

「んー。会釈だけだったかしら」


 気まずかっただろうな。何でそんな思いをリコにさせなきゃなんねーんだよ。


「悪かったな」

「いえいえ、こちらこそ」


 こちらこそってそちらには何も非なんてねーだろ。謝んなよ、絶対。お前は絶対に謝るな。


 十数秒か数十秒か数分か。無言のまま過ぎた時間がどれ程なのかはわからない。別に計っていないから。時計を見て確認したなら、「まぁそんなもんか」と思うだけだろう。

 長くも感じなければ短くも感じない。気まずくもなければ心地よくもない。こいつとの沈黙なんてそんなもんだ。


 この部屋で一日中バカ笑いして過ごしたこともあれば、ほとんどまともに言葉も交わさず一日を終えたことだって数え切れないほどある。別に喧嘩をしたとかそういうわけじゃなく、単純に漫画が読みたかったり、眠たかったり、特段話すことがなかったり、ただただそんな理由で。


「お兄は」思い出したかのようにページをめくる音がして、「あなたは顔くらい見せてあげてきたらいいんじゃないかしら」

「別に。先々週も行ってるし、しょっちゅう電話で話してるし」

「まぁ、そうよね。華乃も?」

「華乃のほうがたぶん。電話なんかは」

「そう。良かったわ。安心した。とても。一番」


 照れ隠しのようにリコが脚を絡ませてくる。互いのズボンの裾もめくれ、素肌同士で挟まれ、挟み、擦られ、擦り。うざい。無駄に餅肌なのがうざい。


 まぁ要するに、こんな部屋で過ごしてきた時間なんてものには何の意味もなければ、何の感慨もなくて、既に村を出た俺たち六人がアクセス最悪なこんなとこに集まるメリットなんて一生かけても見つけられるわけもなくて、まぁだからあれだ。


 ここ集まるのやめるか、別に俺かお前のアパートでもいいだろ――なんて言いそうになって、


「いい加減ここ来るのやめた方がいいわよね、わたし」

「ふざけんな絶対来い毎週来い週二で来い一生来い」

「そう言ってくれると思って言ったのよね」

「何だそれ」

「ふふ」

「リコが気ぃ使うことじゃねーよ。ありがとな」

「うんー」


 また「こちらこそ」なんて言わせてしまいそうで、「ごめん」とは言えなかった。でもこれで十分伝わってるだろうからいいだろ、たぶん。

「あら、また自家製袋とじがあるじゃない。何でティッシュを使わないの、エコなの、エロエコなの」

「そろそろ、行くぞ」


 ジャケットと防寒パンツをリコの頭に被せるように投げ、フルフェイスを渡し、蔵を出る。

 あんま見られたくねーんだろうしな。


 まぁ、向こう着くころにはまたバカみたいな笑顔に戻ってるだろう。

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