第41話

「あ、お兄。早かったわね。うん、本当にわたしのこととなると、いっつも信じられないような早さで駆け付けてくれるんだから。というか汗すごっ。はい」


 リコが自分の湯飲みを差し出してくる。

 いや、そんな熱々のお茶飲める状態じゃねーから……。てかそんな場合じゃねぇ! いやマジで、お前何でそんな飄々としてんだよ!?

 はんてん姿のリコはリラックスした表情でみかんをつまみながら、三脚に設置されたスマホの前で炬燵に足を伸ばしていた。


「お前……っ、リコ……っ! え? これ、生放送中なんだよな?」

「ええ、そうよ。今まさに世界中に配信されているわ。この会話も、四つん這いでゼーゼー言ってるあなたのその姿も。ふふっ、本当にたくさんの人に見られちゃってるわよ、お兄の恥ずかしくて格好いい姿」

「そん……な……っ、お前……っ、さっき、やらせって……っ!」

「うん。もう全部説明しちゃった。わたし達六人が実は幼なじみで、偶然揃ってしまったってことも、全てのシーンがわたしのシナリオに沿った演技だったことも。だから、もう昔からの知り合いだってこともどうせバレちゃったから、せっかくだしついでにお兄のあの画像のことも説明しておいたわ。あれは全部わたしを助けるためにやったことだって。お兄は何一つ悪くないって」


 なん……っ……でっ、何でそんなこと……っ!


「ちがう……違うんだ、みんな! これはあれだよな、視聴者のみんなへのドッキリなんだよな!?」


 リコの隣まで這い寄り、スマホのインカメラに向かって必死に語りかける。


「あーお兄。ほら。もうこういうのも見せてしまったから」


 炬燵の上には何十枚もの写真が散らばっていた。赤ん坊のころ、幼児のころ、小学生のころ中学生のころ――それからもずっとずっと、溜まり溜まった、俺たち六人がいっしょに写ったフィルムの数々。俺とリコの家族が楽しそうに一枚に収まっているものもたくさんある。

 くそっ、これじゃあもう言い逃れはできねー……それなら……!


「これは、そうだ。全部俺がやらせたんだ。俺が無理矢理……そう、みんなもあの画像を見てよくわかっただろ? 俺が暴力でリコとあいつらを従わせて――」

「ふざけたこと言わないで! わたし達が暴力なんて振るい合うわけないでしょう!」


 リコのビンタによって俺の言葉は遮られた。思いっきり暴力振るわれた。えー……。


「皆もう分かったわよね? お兄は、あの四人は、いつだってわたしのワガママを聞いてくれるの。呆れ果てたような顔しながら、結局はいつもわたしを甘やかしてくれるの。だから、今回のこの『メゾン・ヌ・テラス 那須高原編』は、ここまで全部わたしが仕組んだやらせだったのよ」

「……っ、なんで……何でこんなことすんだよ!?」

「お兄の会社の皆さんも、どうかお兄のことを許してください。五年前のことも今回のことも、お兄はただただわたしを守ってくれただけなんです。お願いします、この人の本当の人柄と仕事ぶりを評価してください」

「やめろって! いいんだよ俺のことなんか! どうすんだよ、リコの夢が……っ、お前の夢が叶わなくなっちまう!!」

「ふっ、ふふふ。違うのよ、お兄」

「何も違わねーだろ、なに笑ってんだよお前!? このままじゃもう芸能界に戻れなくなっちまうんだぞ!?」

「ええ、そうね。それでいいの。だって」

「はぁ!?」

「だって――もう、叶っているから」

「はぁ!?」

「もう、叶っていたの。わたしの夢はもう叶ってた」

「なに……言ってんだ……?」


 リコは真っ直ぐと俺を見つめ、昔から見慣れまくったリコらしさ満点の、自信に満ちあふれた、本当に幸せそうな笑顔で、


「久吾とお兄のおかげで気付いたの。思い出したの。本当のわたしの夢。本当にわたしがやりたかったこと。あのね、お兄。わたしの昔からの夢はね――あなたに、お兄に、嫉妬してもらうことだったのよ?」

「は……? ……すまん、全然話についていけてねぇ」

「つまりね、久吾の『野球を楽しむ』っていう目的がいつの間にか『プロに行く』ための手段に成り下がってしまっていたのと同じように、わたしの『人気タレントになる』っていうのも元々夢でも何でもなかったの。芸能界で活躍するっていうのはただの手段でしかなかったのよ。わたしが子どもの頃に夢見たのは『お兄に嫉妬してもらうこと』、それだけ」

「は?」

「お兄さっきから『は』しか言っていないわよ。だってあの頃のお兄って華乃の面倒ばかり見ていたじゃない。どんどん野球が上達していく久吾のことばかり見ていたじゃない。お兄と一番仲良かったのはわたしのはずなのに、わたしのこと構ってくれなくなっちゃったんだもん。わたしは華乃や久吾に嫉妬してばかりで。それが悔しかったの。お兄にも嫉妬してもらいたかったの。それでわたしのことだけを見るようになってほしかったの。なのにわたしの周りに男の子なんて久吾とジンジンしかいないじゃない。あの二人とわたしが仲良くしてたってお兄嫉妬なんてしてくれないでしょ。だからね、『げいのうじん』になって日本中、世界中の男の人から人気者になるしかないと思ったのよ。そうすれば、あなたが嫉妬してくれるって」

「ええー…………、マジかよ、何だよそのアホっぽい動機……めっちゃお前っぽい」


 そういや確かに、「タレントタレント」って妙に漠然としたことしか言ってなかったもんな……ホント人気者になれればそれでいいって感じで……。


「だって仕方ないじゃない。きっかけも、ませガキのあなたがマガジンのグラビアに載ってた『清純派タレント』に夢中だったことだもの。わたしもこうなればお兄に見てもらえて、人気者になれば嫉妬もしてもらえて一石二鳥だって思ったのっ」


 なるほどな……。本物の清純派タレントの口からは「ませガキ」なんて言葉出てくるはずないもんな。

 でもよ……、


「でも、そもそも俺、お前が世の男たちにモテてたことに嫉妬なんてしてねーだろ……俺が抱いてた嫉妬はそれとは別の嫉妬で……もっと最悪な感情で……っ、自分の夢は叶わなかったのにお前が人気タレントになっていくことに、嫉妬しちまってただけなんだ」


 今はもうそんな気持ち微塵もねーけどな――なんて思っていたのに、リコのスマホ画面を見て背筋が凍る。

 生配信画面に流れる男性視聴者からの大量のコメントを目にして、俺の胸でまたモヤモヤとしたものが湧き出してしまっている。

 何で……っ、おかしい……っ、俺はもうさっき潔く夢を諦められたはずなのに……っ。


「ふ……っ、ふふふっ、なにお兄。もしかして自分の気持ちまで勘違いしているの? そんなわけないじゃない。あなたがわたしの夢を応援してくれないなんて。あなたはずっと、わたしが男の人達から人気者になってしまうのに嫉妬していただけよ。だって、あなた、久吾の夢のことはずっと素直に応援し続けていたじゃない? 久吾の成功には素直に喜んでいたじゃない? 自分の夢が叶わなかったことが理由で嫉妬するっていうのなら、それこそ同じ野球の道を進んでいる久吾の方をより嫉妬しているはずでしょう」

「――――あっ」


 確かに……確かにそうだ……。そもそも俺は、リコがあのアイドルグループオーディションに合格したとき、俺がまだ事件を起こして夢を絶たれる前ですら、既に複雑な悶々を抱えていたじゃねーか。


 おい、おいおいおい、マジかよ……俺、こいつが他の男にモテることに嫉妬しまくってたのかよ……独占欲発揮しまくってたのかよ……それじゃまるで俺がこいつのこと大大大好き野郎みたいじゃねーか……!


「うわー……やべぇ……死にたい……死にたい死にたい死にたい」

「ふふ」


 本当に俺たちって何でも知ってる気になって、お互いのことも自分のことすらも、その近すぎる距離が故に、簡単すぎることが故に、見失ってばかりだったんだな。


 そう、俺はもう一つ、めちゃくちゃヤバくて死にたくなってくるような事実に気づいてしまったのだ。


 そうだ……そういや俺も考えてみれば、野球を続けてたのはリコに見てもらうためだった……。

 元々軽い気持ちで甲子園行くとかプロになるとか言ってただけだったのに、リコがかっこいいと言ってくれるから、いつの間にか本気で目指してたんだ。俺も目的と手段をごっちゃにしていたんだ。

 俺の夢も、本当はとっくに叶ってたんだ。


 やべぇだろ、こいつ……どんだけリコのこと好きなんだよ……。


「あーなんかもうあれだな、ヤケになるしかねーわ。てか、お前も俺もそうだったんだから、このままじゃいけねぇしな」

「――ふぇ……!?」


 リコを抱き寄せ、ほっぺた同士がぎゅぅっとくっつくほどに密着し、スマホのインカメラに向かって、いや、世界中の男に女に、こいつのことを好きなやつら全員に向かって、宣言してやる。


「おい、お前ら! よく聞けよ! あのな、確かに俺たちのストーリーはやらせだった。全部演技だった。だけどな、俺がこいつを、リコを好きだってことだけは演技じゃねぇ! 本物だ! いいか、よく覚えとけよ! リコはな、昔から、生まれたときから今も、これからもずっと永遠に――俺だけのもんなんだよ! ぜってぇ誰にも渡さねぇからな!」


 こんなことしかできなくて情けねぇけど、お前のために捨てられるもんなんてもうこれしか残ってねぇから、だからせめてこの「照れ」と「言い訳」を、お前のために捨てさせてくれ。


「――――ふっ、ふふ……っ、なはっ、なーはっはっはっは! お兄っ、なっ、なにそれっ、なは――っ」


 いやなに笑ってんだよ、俺の一世一代の宣戦布告を。

 仕方ねぇからいつもの如くキスで封じ込めてやる。ああ、また言い訳だ。まぁちょっとさすがにキスは口実なしではまだ難しい。代わりにいつもよりちょっと激しめにしとくから許してくれ。何が代わりなのかは自分でもよくわからんけど。


「…………ねぇ、あんたらなにやってんの? 全世界の前でなにディープキスしてんの?」

「うぅ……っ!」

「ちょっ、久吾。今はマジでダメだから。気持ち悪いのはわかるけど、生配信中に吐いちゃったら……まぁリコのアカウントだしどーでもいっか」

「いやいや全然良くないだろう……久ちゃんは全国区のプロ野球選手になるんだぞ?」

「嘔吐王子とかいうあだ名付けられちゃうね。耐えて、久ちゃん」


 いつの間にか、華乃・久吾・ヤエちゃん・ジンジンが部屋に入ってきていた。


「あ、おかえり四人とも。どうぞ、掛けて掛けて」


 まるで自分の家かのように、リコがみんなを炬燵に座らせる。まぁ、もはやお前の家か。


「そういや……ホントにみんなもこれでよかったんだな?」


 リコが全責任を負ってくれたとはいえ、みんなだってやらせに加担したことが……。


「いいっすよー。まぁ確かにイメージは落ちるでしょうけど、オレは実力でNPB行って沢村賞とるんで。プロ野球なんて野球賭博やってても戻れるんですもん、テレビ番組でのやらせぐらい大した傷にもならないですよ」

「僕は就職先なんて顔だけで決まったようなもんだしね。関係ないでしょ、顔さえ良ければ。綾恵もとりあえずは大学で研究続ける予定しかないでしょ?」

「うむ。それにまぁ私とジンジンには最悪、最終手段で働く場所はあるしな」

「人の実家を最悪とか最終手段とか言わないでよ……」

「そうか。まぁ、そうだよな。みんななら何があったって大丈夫だ」

「……華乃は、どうかしら……?」

「んー? まぁ別にあたしはまだ学生だし。看護の現場なんて慢性的に人不足なんだから就職にも問題ないっしょ」

「それも、そうだけれど……それじゃなくて、私のことは……」


 リコが揺れる瞳で華乃のことを見つめ、


「はぁ……もういい、もういい。初めから別にそこまで怒ってないからあたし。ちょっと意地悪したかっただけ。…………ごめん、ごめんねリコ……ホントはただ八つ当たりしてただけ……っ、あんた、お兄のために自分の夢捨てて……そういうやつだって、ずっとわかってたはずなのに……ずっとずっと酷いことばっか言って……ごめんなさい……っ」


 華乃が俯きがちに肩を震わせながらそう答える。


「ううん、いいの。全然気にしていないわ。それに、夢なんて捨てていないと言ったでしょう。自分の本当の夢を思い出してからこの方法をとるまでに、わたし全く思い悩まなかったもの。ためらいとか葛藤とか一瞬もしなかったもの。むしろ、ああもうオーディションで一言も話せなくてあんな辛い思いしたり、マネージャーに電話して落ち込んだりしないで済む! ってめっちゃテンション上がったわ」


 それはそれでどうかと思うが。


「はぁ……あっそ。まぁこれからもいつでもここに来なよ。どうせもう暇なんだし」


 プイッとそっぽを向きながらそんなことを言う華乃の頭を、ヤエちゃんが優しく撫でる。ジンジンも微笑ましそうに肩をすくめ、久吾もにかっと白い歯を見せる。


「そういえばそれで思い出したのだけれど……この前、華乃に言われたじゃない? ……お兄と赤ちゃん作っちゃったらどうするの、って。それで思いついたことがあるのだけれど……」

「お前こんなときに何を……」


 さも今思い出しましたみたいな感じを出しているが、ずっと切り出すタイミングを窺っていたのがバレバレだ。


「あのね、考えてみたら逆なのよ。うちとお兄の家で子ども作ったら大変なことになるんじゃなくて、むしろ赤ちゃんが生まれたら、孫やひ孫が出来たら、あまりの可愛さに絶対みんな仲直りせざるを得なくなると思わない? みんな単純だもの」

「――っ! そ、それは、確かにそうかもしんねぇけど……あいつらめっちゃ単純だし……。だからってな、大変な思いすんのはお前なんだぞ? そんなに軽々しく赤ちゃんとか言うなよ。男の俺は何も力になんてなれねぇんだから……」

「何言ってんのよ。あなたにもめちゃくちゃ協力させるわよ?」

「あ、そうだよな……」


 それでもやっぱ大変なのはお前なんだがな。でも、お前が欲しいって言ってくれるのなら、俺は……。


「はぁ……ほんっとにアホっていうか、相変わらず突拍子もない発想するというか……お兄も何か受け入れちゃってるし…………わかったわかった、あたしが両家の間取り持てばいいんでしょ」

「華乃……いいのか……?」


 華乃は唯一、両家の間を行き来できる存在だ。俺とリコのように事件に関わっていなかったし、性格的にも昔から大人びていて、リコの家からの印象も元々すこぶる良かったし。


「しょうがないじゃん、あたしだって甥っ子や姪っ子は可愛いに決まってんだから。母親がうまい棒なのは可哀想だけど」

「華乃……っ、ありがとう、大好きよ!」

「うっさい、抱きつくな! あたしがあんたのこと嫌いなのは何も変わってないんだからね!」

 リコのことを物理的にも精神的にも突き離しながら、華乃はボソッと、

「まぁ、プレミアムうまい棒ぐらいにはなってるんじゃないの……」


 ああ、何か、やっといつも通りの俺たちだな。

 きっとこれからもいろいろなことがあるんだろう。それでも結局はまたこうやって、死ぬまでここに集まってしまうんだろうな。


「なぁ、華乃ちゃん、リコちゃん、お兄。君達、もしかして生配信中なこと忘れていないか……?」

「「「あ」」」


 額を押さえて呆れるヤエちゃん、そんなヤエちゃんを眺めて微笑むジンジン、俺とリコの行為を想像してしまったのか、「いや子どもはめっちゃ可愛いでしょうけど……。オレとも遊ばせてください……」と呻きながら突っ伏してしまっている久吾。


 やっちまったな……。まぁでもこういう締まらないのも俺たちらしいよな。


 まぁ今日くらいはこのままグダグダして、反省会はまた明日――ここに集まってすることにしようぜ?

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