第42話

 誰かがいると思って来た蔵には、誰もいなかった。

 夕日が差し込む窓際の壁にもたれかかって、一人虚しく足を伸ばす。


 お兄とリコのあほあほコンビは……デートか。まぁ本人たちはデートとは認めないんだろうけど。実際子どもみたいにはしゃいでるだけなんだろうけど。

 ヤエちゃんとジンジンは今ごろ東京で大人のデート中かな。でも二人も案外子どもっぽいとこあるんだよね。

 大忙しの久吾に至っては初めからここ来る暇なんてあるわけなかったね、そういや。リーグ戦大活躍で、メディア対応にファンサービスに大変そうだもん。


「……ばっかみたい……」


 ほんと、何を期待してたんだろう。あたし一人に決まってんじゃん、こんなとこ来たって。

 どこにいたってもう、あたしは一人なんだ。


 あれから、二ヶ月が経った。


 全てはリコの狙い通りに運んだ。


 あたしたちは六人全員で即日メゾテラを卒業した。

 あたしたちが抜けた穴はすぐに新しいメンバーが入居して埋めてくれた。もともと、いずれは誰かが卒業して、その代わりに新人が入るという前提でやってる番組なのだから当然だ。

 番組は何の問題もなく続いている。制作側は全くやらせに関与していないと、リコが生配信ではっきり伝えていたおかげだ。


 この一連のやらせ騒動はかなりの話題になり、あたしたちをバッシングする声、擁護・応援する声、そして「幼なじみ六人が偶然揃うという奇跡が本当に起こりうるのか」という考察などでネットは大騒ぎになっているらしいが、特にあたしたちは気にしていない。

 幸い、テレビ局や制作会社からのお咎めはなかったからだ。

 制作側も、ずっと薄々違和感を覚えながら何も注意しなかったこと、それにもかかわらずあたしたちが全ての責任を被ったことに、負い目を感じているのだろう。実際、無駄に問題を掘り下げられるようなことをしても、損をするのはあちら側だ。


 お兄の事件のことはすっかり忘れ去られていた。

 お兄が悪くないことも伝わったようだし、何より二股野郎だと思われていたお兄が実はめちゃくちゃ一途な男だったと発覚したことで、却って好感度が上がっているらしい。

 経歴詐称のこともちゃんと謝罪し、会社からも許してもらえた。広告塔として番組及び企業の注目度を上げるという役割を果たしたのも事実だ。結果的に、特に懲戒を受けることもなく、お兄は今も順調に働いている。

 将来、育休をどうするのかについて、社内どころか現場のお客さんにまでイジられまくってるらしいけど。


 リコは事務所を辞め、芸能界からすっかりと足を洗った。というか洗うとこなんて元からほとんどなかったんだけど。何やらドラマのオファーは来ていたらしいけど、まだ正式に返事をしていたわけでもなかったので、特に問題も起きなかったようだ。

 相変わらず大学では友達もいないようだけど、それでも以前よりも楽しそうだ。


 久吾も圧倒的な成績と将来性を示して、一躍ドラフト上位候補にまで登り詰めてしまったし、ヤエちゃんとジンジンも特に生活に支障をきたすことなく今まで通り東京での生活を続けている。


 うちとリコの家の関係はもうすでに修復の兆しが見え始めている。お兄とリコが正々堂々、二人で両家に出向いて話をしてきたのだ。

 もちろん子どもなんてまだまだ先の話だけど、それでもみんなずっとメゾテラの放送を、あのリコの生配信を見ていたのだ。何も伝わらないはずがなかったのだ。

 出て行ってしまったお父さんすら久しぶりにお母さんと会う約束ができたらしいし。まぁ、元々ウザいぐらい仲が良かった夫婦だ。大体あたしたちももう大人なんだし、子どものことなんて関係なく、勝手に二人でやりたいようにやればいい。


 つまり――結局、あたしが出る幕なんて、どこにもなかったというわけだ。


 これからもあたしはあの五人とずっと一緒にいるだろう。

 離れたくなんかないもん。恥ずかしくて口には出せないけど、あたしはあいつらのことが大好きだもん。

 みんなだって、あたしを、あんなに酷いことを言ったあたしを、一生六人の一員として大切にしてくれるだろう。


 でも、それでも、やっぱりあたしは一人だ。この世界にあたしはずっと、一人きり。


「華乃ー……あーやっぱいましたね」


 ノックもなしに扉が開き、短髪の無駄に整った日焼け顔がひょっこりと覗き込んできた。


「久吾……あんた何でこんなとこに……」

「付き合ってください」

「……は……?」





 なんだ、キャッチボールに付き合えってことか……。

 紛らわしい。いやなにも紛らわしくなんてないか、当たり前じゃん。なに考えてんだろ、あたし。ついにおかしくなったか。


 二ヶ月ぶりに来た分校の校庭。


 十五メートルほど先から久吾が左腕で投げてくるボールをグローブでキャッチする。

 利き手とは逆の左でも投げて、体のバランスを整えたいという話だけど……全部ピュッとした球筋でちゃんと胸の前に来る。ホント相変わらず器用なやつ。


「左投げでならあたしでも相手が務まるって? でも悪いけどこれ以上の距離はあたしが投げられないっしょ。ごめんね、キャッチボールすらまともにしてやれなくて」


 夕暮れの校庭。野球ボール。情けなくて、それなのに全然気にもしてない素振りでサバサバと謝る自分。

 ああ、またくだらないことを思い出してしまう。

 お兄の練習の手伝いをしたいのに、肩が弱くてまともにバッティングピッチャーもしてやれなくて、いつもリコとお兄の楽しそうな打撃練習を眺めていたっけ。


 あーあ、結局あのときからわかってたんだよね、こうなることなんて。


 リコは何もかも持っていて、あたしは何も持っていない。リコはそんなあたしにも優しくて、あたしはそんなリコに理不尽に当たってばかり。リコはずっとお兄のことを考えていて、あたしはずっとお兄に考えてもらいたがっていただけ。

 ずっとずっとそうだった。

 笑えるほどに、結果は明白だった。


「やってみれば案外届くかもしれないですよ。ほら、これで塁間です。二七メートル。助走をつけて、力いっぱい思いっきり投げてみてください」


 久吾はそう言って、勝手にどんどんとあたしから離れていってしまう。

 塁間? そんなの今のあたしに届くわけないじゃん。

 でも、そうなのかな。あたしの全てをぶつける気でいけばもしかしたら……。


「わかった……いくよっ――おりゃぁぁっ!!」


 雄叫びを上げながら、助走をつけて精一杯腕を振り――山なりに放ったボールは、すぐに力なく下降していってしまう。しかも、力任せに投げたせいでフォームもぐちゃぐちゃに拗れて絡まって、取り返しがつかないような方向に飛んでいってしまった。


 また、届かない。全然届かない。すぐに落ちて、誰もいないとこに寂しく転がっていくだけ。


 ああ、そうじゃん。やっぱそうじゃん、わかってたでしょ。もう何にも期待なんてしちゃいけないの、あんたは。誰にも、ううん、何よりも自分に期待なんて――


「うらあぁぁぁっ!!」

「は……?」


 ボールは、落ちなかった。

 弱々しい弧を描いて、地面すれすれで久吾の右手のグローブに収まったから。


 届いた――届いた、けど……っ!


「久吾っ!」


 足が勝手に動き出した。久吾に駆け寄る。うつ伏せで倒れている久吾に。頭からダイブしてボールをキャッチした久吾に。

 ボールが入っているのは右のグローブ。当たり前だ、久吾は左手で投げていたのだから。

 つまり、ガタガタに荒れ果てたグラウンドの上で、ボールへ向かって伸ばされてしまったその腕は利き腕だ。長年の努力で鍛え上げた、久吾の大事な大事な右腕だ。


「ほら、届いたでしょう?」

「そんなこと言ってる場合じゃないでしょ! あんたケガは!?」


 グローブを掲げて、誇らしげににかっと笑ってくる久吾の右腕をとる。

 うん……うん……どこも擦り剥いてすらいない……ぶつけたところもなさそうだ……でも……っ!


「オレのフィールディングを舐めないでくださいよ。こんなんでケガなんてするわけありませーん。ほら、右腕以外もこの通り」

「そういう問題じゃない!」


 うつ伏せのまま泳ぐように両腕両脚を柔らかく動かす久吾の頭を叩く。


「痛いっ。え、普通にそっちのほうが痛いんですけど……」

「何やってんの!? 何でそんなことすんの!? 何の意味があんの!?」


 あたしなんかのせいで、もしあんたに何かあったら……っ!


「意味なんてないですよ」

「は……?」

「驚かせたかっただけです。華乃の予測を超えたかっただけです。今度こそ、ハラハラしたでしょう?」

「――――あんた、そんなことのために……っ、はぁ……呆れた……」


 ほんっとに呆れた……呆れて、驚いて、嬉しくて――力が抜けてしまった。

 ぺたんと、お尻から座り込んでしまう。


「じゃ、そろそろ帰りますか」

「……ごめん、むり。腰抜けた……マジで立てない」

「ん。おぶってきます」

「ばか。あんたの肩に負担かけられるわけないでしょ」

「じゃあ、そうですね、また立ち上がれるようになるまで待ってます」

「――うん……。待ってて。けっこう時間かかっちゃうと思うけど……」

「いいですよ。いつまでも。ずっと隣で待ってますね。はい、このボールあげます」


 あたしの身体を支えるように隣にピタッと座った久吾から、さっきのボールを受け取る。


 はーあ、あんたって、ホント器用なんだか不器用なんだか。

 まぁ、あたしも同じか。


「これでワンナウトですね。スリーアウト取ったら何かくれます?」

「スリーアウトって、あんた1イニング抑えただけで満足なの? あたしとあんたなんてまだ二回裏ぐらいじゃん。最低でも九回は投げきってよ」

「えー……既にめっちゃ球数投げさせられた気がするんですけど……」


 ほんとバカみたい。あんたとこんな駆け引きなんてしてさ。ほら、慣れてないからなかなか上手く噛み合わないじゃん。なんか、あたしがカーブのサイン出してるのに、あんたがスライダー投げてきてる感じ?


 まぁいいや、口実だけならいくらでもある。


「あんたさぁ、どうせプロ行って何十億も稼ぐんでしょ? あたしって、金目的で男選ぶ女なんだよね」

「あ、そっすかー。まぁオレもそういうしたたかな人は嫌いじゃないですけど」


 だからあたしは全部打算で選んでるだけだから、それは恋愛ではない。こいつとは絶対に恋愛なんかしない――なんて、言い訳には弱すぎるかな? 説得力に欠ける?


 というかまぁ、こいつは傷心中のあたしを慰めようとしてくれてるだけなのかな。

 それもそっか。久吾にはこの先いい出会いがたくさんあるはずなのに、待たせてしまうなんて申し訳ない。

 あたしはせいぜいこのボールだけをお守りに一人の世界で強く生きてくよ。


「あ。そうだ、華乃。さらに予想外なこと教えてあげますよ」

「あ? あんたなんかにこれ以上驚かされないって。今あたしいろいろ考え中だからちょっと――」

「オレ、華乃がメゾテラのオーディションに参加するって知ってたんですよ。あなたのお父さんから結構連絡来るんですよオレ。お父さんいろいろ心配してますよー?」

「――――っ……あんた、スカウトにアピールするためって……っ」

「そんなの嘘に決まってるじゃないですか。まぁ、だからオレと華乃が揃ったのは必然だったんですよね。他の四人までいたのは未だに信じられないですけど」


 いや、あたしはお兄を追いかけてっただけから、ホントに偶然だったのはあとの三人なんだけど……いや今はそんなことよりも。


「何で、そんなこと……」

「華乃が心配だからでしょう。あなたって破滅願望みたいなとこあるっていうか、落ちるんならとことんって、自分から落ちていこうとするから目が離せないんですよ」

「ふ――ふはっ、アハハハハっ! はーぁ、やっぱアホなんじゃん、あんたも」


 そんであたしも。

 あたしがお兄を見ていたのと同じように、いやそれよりもずっとずっと純粋に、あたしのことを見てくれてるやつがいたんだ。ずっと、昔から。


「え。泣いてるじゃないですか。こわっ」

「うっさいっ」

「でも泣くほどってことはやっぱり、今度の今度こそハラハラしたんでしょう?」

「してないからっ! あほっ! ばかっ! 童貞ピッチャー!」


 あんたね、こういうのはハラハラじゃなくてドキドキってゆーんだよ。


 初めからストレートを投げてほしいのに、首を振られるんじゃないかとビビって変化球のサインしか出せなかったのに、あんたが勝手にとんでもない剛速球投げ込んでくるんだもん。ハラハラする暇もないほど速かった。気づいたときにはあたしのミットにバチンって収まってて、一度呼吸も心臓も止まってから、そのあと一気にドキドキ高鳴ってきちゃったんだよ。


「そろそろ立てます?」

「……立てるけど……もうちょっと」

「はいはい。いいですよ、オレはいつまででも」


 久吾の身体に全てを預けるように寄りかかり、その右手をギュッと握る。


 一人じゃなかった。あんただけはずっといてくれた。これからもいてくれる。


 あ――そうか。


 あたしの世界にはあんたしかいないんだから。ていうことは、何だってあんたが最下位で、なんだってあんた一番なんだ。


 だからやっぱり、あんたは世界で一番、あたしが恋愛することがありえない人間だね。


 よかった、めっちゃ強力な口実が完成した。でも、あんたにはできるだけ真っ直ぐで来てほしいな。ああ、でもたまに変化球交ぜられたほうがストレートがより速く感じられるか。


 まぁ、そこは探り探り行こうよ。じっくり焦らず、あたしらのペースで歩いてこう。

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