第21話

「久吾くん、バイト慣れたっスか? お兄パイセン、仕事だけはちゃんとしてっからどんどん教えてもらうといいっスよ」

「はぁ。てか蜂巣はちすさんってお兄のこと『お兄パイセン』なんて呼んでましたっけ」

「いや今初めて呼ばれたぞ……メゾテラのせいで社内にまで俺へのお兄呼びが広まりつつあんだよな……」


 てかそもそもバイトが社員をパイセン呼びすんのも何か変だと思うけどな。


 みんなで第二話を視聴した蔵会議から一夜が明けた、午前九時。絶賛労働中の俺は社用車のハンドルを握っていた。


 後部座席から聞こえてくる声は二つ。

 一つは「ソフト部時代にしゃがれた」というカッコいいハスキーボイス。茶髪ショートカットの派手目な十九歳バイト女子、蜂巣さんのものである。

 もう一つは昔から聞き慣れた――だからこそ仕事中に聞こえてくると違和感のある――久吾の声だ。先週から短期バイトとしてうちに入ってもらっているのである。

 さらに今日はこの三人チームに加えて、助手席にカメラマンが構えている。俺のお仕事シーンを撮影しに来ているのだ。久吾も撮れるしちょうど良かったのだろう。オープン戦やシーズンが始まれば試合の方にも撮影に行くはずだが、独立リーガーならではのこういう苦労も押さえておきたいのだろう。この狭い車中でもカメラを回している。ちなみに仕事中のリコの撮影もしたかったらしいがリコに仕事はなかった。


「てかお兄パイセン、課長に褒められてたッスねー。まぁ確かに会社の名前売ってるし、番組盛り上げてるって意味ではメゾテラファンからも人気あるみたいッスけど。私は大嫌いッスね。リコさんに告白とかキスしまくっといて華乃さんにも手を出すっつーのは最悪だべ」


 蜂巣さんはたまに栃木弁が出る。


「え、てか俺人気あんの? どうせ叩かれまくってるだけだと思ってあんまネット見てねーんだけど」

「確かに最新話配信直後なんかはお兄パイセン叩きで溢れてるッスね。ヤバ行動のインパクトが強いんで。でも基本は人気ッスよ。友達とかになるのは死んでもごめんッスけど外から見てる分には面白いッスからねー、お兄パイセンは。二股でリコさんと華乃さんのバチバチ構図作り出したのは大きいべよ。恋愛リアリティショーの醍醐味は同性同士のバチドロだべ。三角関係ゴチっす」


 それ人気って言わねーだろ。

 まぁでも実際のところそれが多くの視聴者の本音なのだろう。そういう関係性が求められていると理解していたからこそ、リコだって元々はあんな相関図を作ったわけだし。しかし、


「三角関係って言ってもな……あいつらそんなに俺のこと好きなわけじゃねーだろ……特に華乃なんてな……」

「えー散々いろんなことしまくっといて、そんなもんなんスか? 軽いッスねー、乱れてるッスねー。てかお兄パイセン、華乃さん相手にちゃんと避妊してるんスか?」

「してねぇよ!! するわけねぇだろ華乃相手に!」

「えぇー……最悪……ゴミ……鬼畜……犯罪者……」

「いやいやいや違う違う違うそうじゃなくて、避妊以前に性交渉をしてねーんだって。華乃のセックス発言は舞い上がってついちゃっただけの嘘だし、ベッドに潜ってた映像だって、二人で仲良くお話してただけなんだ……」

「えー、初対面のリコさんとキスしまくる男が言っても説得力ないべ……本当なんスか久吾くん」

「当たり前でしょう。ホントにお兄と華乃がそんなことしてたなら、オレは即刻あんな家出てこの人たちとの縁を切ってます」

「ほえー、まぁ一緒に住んでる久吾くんがそこまで言うなら……え、逆にそれだけのことでそこまでいくもんッスか? 華乃さんとお兄パイセンがエッチしてただけで縁を切るって……あーなるほど、久吾くん、華乃さんのこと好きだべ?」

「パワハラですね。お兄、オレ今をもってこのバイト辞めます。降ろしてください」

「待て待て待て待て」


 今のはお前の失言だ。

 そりゃ俺と華乃が兄妹なこと知ってるお前からしたら縁も切りたくなるだろうが、そんな事情を知る由もない蜂巣さんからしたらお前が華乃に特別な感情抱いてるように見えちまうのも仕方ねーよ。


 カメラマンも色めき立ったように久吾にカメラを向ける。

 あんなにリコのことを大好きだった久吾が実は華乃のことも気になっていたとは、ってか。


「でも私、久吾くんと華乃さんはお似合いだと思ってたんスよねー。いい感じだっぺ。二人の恋愛ストーリーは絶対人気出るっぺよ。注目間違いなしだべ」

「とんでもないブラックバイトですねここは。お兄、このまま労基までお願いします。これは立派なカノハラ案件ですよ」

「お前スポンサー企業をブラックとか言ってこのシーン丸々カットしてもらおうとしてんだろ……。はぁ……にしても久吾と華乃がお似合いねぇ……」そんなこと考えたこともなかったが。「何でそんな風に思うんだ、蜂巣さん」

「えーだって会ったばっかりの癖に息がピッタリというか。まぁ二人だけに限った話でもないッスけど。今回の出演者六人とも初めから距離が妙に近くないッスか? 初対面のはずなのに幼なじみみたいな雑な距離感だべな」

「野球の話しようぜ野球の話。なぁ蜂巣さん、久吾ってめっちゃいいピッチャーなんだぜ。シーズン始まったら蜂巣さんも見に来なよ」

「えー……何か露骨に話逸らされたべ……」


 ヤバいヤバいヤバい、クソっ、何で俺の周りの派手め年下女子はみんなこう勘が鋭いんだ。よりによってカメラの前で「幼なじみみたい」とは……っ!


「いやオレ別にそんなんじゃないですし。こんなときまでやめましょう、そういう話は」


 ああクソ、またもやミスった。久吾は俺の前で野球の話したがらないんだった。

 畜生、何か別の話はないか、何か盛り上がりそうないい話題……、


「なぁ、蜂巣さん知ってたか? カルピス発売からカルピスウォーター発売までって七十二年も、」

「おーマジだべ。久吾くん去年の成績けっこういいじゃないッスか」


 蜂巣さんが感嘆の声を上げる。バックミラーで確認すると、どうやらスマホで久吾のことを調べているようだ。

 よし、このまま完全に野球の話題へとすり替えてやるぞ!


「だろー? 久吾は去年ワンシーズン先発ローテーション守って、しかもちゃんと勝ち越してるからな」

「ほうほうほう…………ん? え、てか去年独立リーグからプロに育成指名されてる選手とかより、久吾くんのが成績良くないッスか? ほら、こいつとかめっちゃフォアボール出しまくって防御率とかヤバいのに指名されてっぺよ。久吾くん、何でドラフト落ちたんだべ? 肘に爆弾でも抱えてんスか? ほら、よくある高校時代に酷使されたせいで、みたいな」

「いや久吾は大きな怪我なんてしたことねーよ。高校野球でたくさん登板させられてたのは事実だが、こいつ投球フォームめっちゃ綺麗で肩肘に負担掛からないし、どんどんゴロ打たせてアウト取るから球数少ねーし、抜くとこは抜く技術もあるし。マジで高校生離れしてたよ、久吾の安定感は。だからこそ浦学で不動のエース張れてたんだし。あ、いやほら、俺高校野球マニアだから知ってるんだけど」

「はーマジだベ、久吾くん甲子園常連校のエースだったんスねー。高校時代の記事いっぱい出てくっぺよ」

「……まぁ、オレは一度も甲子園なんて行けなかったんですけどね。ちなみにオレの控えだった二番手投手は高卒でドラフト指名されましたよ。笑えますでしょ」

「え……っ、あ、『浦学・伊藤投手、巨人4位指名 エース阿久津は指名なく涙』……これッスか……」

「別に涙なんてしてないですけどねー。好き勝手書かれてますねー」


 窓の外を眺めながら、軽い調子で言う久吾。


「何で二番手が指名されてエースが落ちたんだべか……?」

「伊藤は左で190センチあって球速いですからねー。めっちゃノーコンで牽制もクイックもド下手でしたけど、まぁプロ入ってから身につければいいんじゃないですか、まだ若いんですし。オレはほら、174センチのチビで右投げで球速も140キロがやっとですから。どこにでもいるみたいですよオレみたいなのは。いやー十八歳で将来性ないって言われちゃいましたよー」


 要するに、「伸びしろがない」と判断されてしまったわけだ。

 甲子園に行くために血がにじむような努力で身につけた久吾の「高い完成度」は、プロのスカウトの目には「限界」だと捉えられてしまった。


「ま、まぁ、独立リーグだってプロだべなっ! それに巨人やら阪神やら入ったって、いつまでも野球で食ってけるわけでもねーっぺよ。いっそうちに就職して、華乃さんと普通の家庭でも築いたほうがずっと幸せなんじゃないッスかー、なんてー。うへへへへ」


 気まずい雰囲気を紛らわせようとしてくれる蜂巣さん。俺の周りの派手め年下女子にもかかわらず俺と久吾に優しい。


 でも確かに久吾は、「告白練習してるうちに華乃のこと好きになっちまう」予定なんだよな、そういや。この車中での会話シーンはいい伏線になったかもしれない。


「……華乃と恋愛すれば人気出て注目される、ですか……」


 ボソッと呟く久吾の顔は、バックミラーでは確認することができなかった。

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