第36話
あたしは、お兄が『メゾテラ』に参加することを知っていた。
当たり前じゃん、妹なんだから。いっしょに住んでるんだから。テレビ局とかお兄の会社から書類やらなんやらいっぱい届いてたっしょ。
だから、番組のことなんて何も知らないのに、自分も参加するためメンバーオーディションにこっそりと申し込んだのだ。お兄が変な女に引っかからないよう監視するために。けっきょく奇跡的になぜかメンバーが全員知り合いだったから何の意味もなかったけど。
何でそんなことをしたのかといえば――そんなこと、あたしにだって上手く言葉には表せない。あたし自身があたしにちゃんと説明できないんだから。
ずっとお兄に、特別で複雑な感情を抱いていた。
あたしは妹だからお兄のお嫁さんにはなれない? そんなこと何となくわかってたし、あほリコ。六歳の女の子にそんな夢のないこと言うな。
言っとくけど、あのころからあたしはあんたが大嫌いだった。
お兄のことをお兄と呼ぶな。真似するな。お兄はあんたのお兄じゃない。お兄はあたしだけのお兄だ。ほら、あんたのせいで、みんなまであっという間にお兄って呼ぶようになっちゃったじゃん。自分の影響力を舐めるなよ。ホントに不本意だけど、あたしたち六人はあんたを中心に回ってんだから。
だいたい別にそういう感情じゃないし。無理矢理まとめてしまうのなら、ただずっと近くにいたかっただけ。あのころはそれと恋愛感情の区別がつかなかったから、いっしょにいる=結婚だっただけ。
野球をやってるお兄を一番近くで見れるのが幸せだった。バットでボールを遠くまで飛ばすお兄を見てるのが気持ちよかった。お兄があたしを「こうしえん」に連れていってくれると約束してくれたことが嬉しかった。「プロやきゅうせんしゅ」を目指すお兄がかっこよかった。
お兄に憧れて野球を始めた久吾と違って、お兄は隣町にしかない少年野球チームに通わせてもらうことはできなかった。お金もかかるし移動も大変だし、うちの経済状況を考えれば仕方なかった。
それでも、野球チームも野球場もないような環境でも、お兄はトレーニングを続けた。
お年玉だって一円すら使わずお金も貯めて、家の手伝いもたくさんして高校では野球部に入ることも認めてもらって、あたしやリコやジンジン君やヤエちゃんや久吾を相手に練習を積んで、甲子園に行くための準備を何年も一日も休まず続けた。
リコのせいで努力は全て無駄になった。
あの高校でお兄はあたしを甲子園に連れて行ってくれるはずだった。ドラフトで指名されるはずだった。あたしとの約束を果たしてくれるはずだった。
ねぇ、久吾。もうあんたがやるしかないんだよ? お兄にあの景色を見させてあげるのがあんたの仕事。
子どもが九人も集まらないような村で、あんたお兄のおかげで野球に出会えたんでしょ。お兄っていう目標があったから頑張ってこられたんでしょ。
お兄に、努力を続けた甲斐があったって、野球をやってて良かったって、夢を見たのは間違いじゃなかったって、あんたが思わせてあげるんだよ。プロに行ってそれを証明するのがあんたの使命なんだよ。
そのためだけにあたしは、あんたらなんかといっしょにいるんだ。
そんなこともできないようじゃ、あたしはあんたらなんかとはホントに初対面の他人になって、もうこの先は一生関わり合うこともなく――お兄といっしょに二人だけで生きてくから。
言わないけどね、こんなこと誰にも。
*
久吾に吠え散らかした後、華乃までもが力を使い果たしたかのように崩れ落ちてしまった。
「もう……無理ですよ……プロなんて、オレなんかが行けるわけない……散々思い知らされたんです、オレに才能なんかないって……いや、違う……そんなことよりも何よりも、もう……疲れたんです……野球、やりたくないんです……」
久吾も項垂れて、ずっとずっと我慢し続けてきたであろう弱音を――本音を、吐露し始めてしまう。
なぁ、嘘だろ?
本当にこんなことで終わっちまうのかよ、俺たち。
誰か……ヤエちゃん。そうだ、ヤエちゃん、バカな俺たちをいつもみたいに優しく叱ってくれ。ガキのころみたいに、自分勝手でバラバラな俺たちをまとめてくれ。
助けを求める俺の視線から目を逸らし、ヤエちゃんは自嘲めいた笑みを浮かべて弱々しく首を振り、
「すまない、駄目なんだ、無理なんだ……私には君達に説教をする資格なんてない……幻滅しただろう? ふふ、ああ、そうか――ここまでなんだな。もう、終わりなんだな。いや、良くもった方だろう。二十一年間、お兄とリコちゃんとは二十年間、久ちゃんと華乃ちゃんとは十九年間か。私のような人間が君達の近くにいさせてもらえたなんて、奇跡のような出来事だった」
「……っ、何で……っ、何でそんなこと……っ」
ヤエちゃんまでもがそんなこと言い出したら、俺たちなんていよいよもう――。
ああ、もうなんか、死にてぇ。
俺がちゃんとしてなかったばかりにこんなことに――ああ、そうだ。そういや俺、殺してもらえることになってたんだよな。ありがてぇ。頼むわジンジン、もう楽に――
「綾恵、立って。行くよ」
「え……」
目を丸くするヤエちゃんの手を取って、ジンジンがスッと立ち上がる。
「どうしたんだよ、ジンジン。俺を殺す準備にでも行くのか?」
「まぁ、ある意味そうかもね。君次第では本当に死ぬかも。僕と綾恵は先に行ってるから、そうだな……一時間、いや三十分でいいか。四人は三十分後に来て――僕達の、分校の校庭に。忍び込むのには慣れてるよね?」
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