第27話

「遅いわよ久吾」

「すみません、リコっちゃん……え、何ですかその膝上ソックス、華乃のお気に入りのやつじゃないですか、似合わなっ」


 リコに目で促されて、久吾がその隣に腰を下ろす。結果的にリコと華乃が入れ替わっただけでこの部屋の人員配置はさっきまでとほぼ同じである。あと今から告白する相手に言うことじゃないぞ久吾。


「それで、用件は何かしら、こんな時間に呼び出して。まぁ大体分かってはいるのだけれど」


 艶やかな黒髪をサラッと払って凜々しさを醸し出すリコだが、さっきクローゼットからのそのそと這い出て来たのを視聴者はバッチリ見ているはずので今更感がハンパない。


 久吾は指で頬を掻きながら照れ笑いを浮かべ、


「そう……ですよね、気づかれちゃってますよね。ハハハ……」

 ここで伏せていた顔をキリッと上げてリコを真っ直ぐと見つめ、

「でも逆に踏ん切りがつきました。もう迷ってても仕方ありません。オレの気持ちを全部聞いてください」


 良い。今までとは打って変わったような迫真の演技だ。華乃との練習の成果がガチで出ている。

 まぁ技巧派投手だけあって元々こういうのも得意だもんな。何だって器用にこなしちまうんだお前は。


「いい目をしているわね久吾。わたし好きよ、あなたの情熱溢れるその目」

「あー……そっすかー……」


 あ、やっぱダメだ。さっそく目が死んできてる。リコ成分が飛び込んできたせいで情熱が全部溢れ返って空になってしまっている。

 ちなみにリコ成分はどんな微細な隙間にも染み込んでくるくせに入ってきた瞬間カチカチの個体に凝固するので、一度侵入を許したが最後、もう絶対に出て行ってはくれない。


「さぁ! 来なさい! あなたの熱い思いを全てわたしにぶつけてきなさい!」


 両手を広げて高らかに言うリコ。

 久吾も気合いを入れ直すかのように自分の両頬をパチンと叩いた後、真剣な面持ちで、


「リコっちゃん、オレ、リコっちゃんのことが好きです。出会ってまだ半月しか経ってないですけど、リコっちゃんの魅力、オレは全部わかってます。ウィーラーのスイングのようなパワフルな性格が好きです。ムードメーカーでみんなを引っ張ってくれるところもウィーラーみたいじゃないですか。もちろんパワーが凄いだけじゃなくチームバッティングもできるんですウィーラーは。それにウィーラーってチーム状況に合わせて外野も守れるし、意外と走塁も上手いんですよね。乱闘になりそうな時とかに真っ先に体を張ってチームメイトを止めに行くとことかも格好いいんですよ。だから好きですリコっちゃんのこと」


 だから好きです、じゃねーんだよ。

 確かにデスパイネをやめろとしか言ってねーけどウィーラーでもダメなんだよ。何でパ・リーグの助っ人外国人選手にこだわるんだよ。せめてセ・リーグにしろ。てかウィーラーに例えてリコを褒めてるというより、もはやウィーラーのことを褒めてんじゃねーか。

 こんなこと言われても女子はポカーンとしかできねーよ。


「ありがとね、久吾。とても素敵な告白だったわ。特にウィーラーのくだりに胸を打たれたわ。まるでアウトローを引っ張ってレフトスタンドに叩き込むデスパイネの弾丸ライナーのように、ね」


 通じちゃってんじゃん。ウィーラーのくだりって全部ウィーラーのくだりなんだよ。てかせっかくデスパイネ自重させたのに何お前がデスパイネで返してきてんだよ。デスパイネのピッチャー返しぐらい強烈なんだけど。

 もう絶対野球やってる古い知り合いとかいるじゃん。今まで久吾と野球の話してるシーンなんてほぼ無かったのに実は野球詳しかったとか怪しすぎだろ。


「じゃ、じゃあ、オレと付き合ってくれますか?」

「ごめんね、それは出来ないの。久吾のことは好きだし、告白してくれたことは嬉しいのだけれど……わたしは夢をとると決めたの。夢に集中したいの。それにわたしはもう国民の海老沼紫子になってしまった……皆のために偽りの仮面を被って生きていくしかないの。もうあなたが好きな『リコ』はこの世に存在しないのかもしれないわ。こんなわたしではあなたを幸せに出来ない……こんなわたしをあなたは幸せに出来ない……だから、ごめんね。これからも良いお友達でいましょうね? あなたの夢、心から応援しているわ。好きよ、久吾」

「あ、そっすかー。それはそれは残念なことでした」


 久吾は途中から爪にヤスリをかけ始めていた。さすが技巧派ピッチャー、指先の手入れは欠かさない。


「はーぁ、まったく……男の子って何でそう泣き顔を隠したがるのかしらね。……ほんっと、かっこいいんだから……」

 リコは組んだ両手を上げ、肘を伸ばしてあざとい伸びをしながら立ち上がり、

「わたしも、冷やしてこなくちゃ。明日、目なんて腫らして行ったら監督さんやディレクターさんや編集者さんに怒られちゃうもの」


 振り返ることもなく部屋を出て行った。ノリノリである。完全に役に入り込んでいる。気分はもう大女優である。

 すげーな、久吾。俺がお前の立場だったらたぶん二、三回笑い死んでた。

 てかどんだけ仕事入ってる設定なんだよリコ。お前明日も漫画読みながらゴロゴロしてるだけだろ。


 あ、そういえば、


「ほらな華乃。いくら演技だって言ったって、久吾がリコを押し倒したりなんかするわけねーだろ。俺の勝ちな」

「は? なに言ってんの。じゃ、行くよ」

「え、おい」


 華乃がクローゼットを開けて、外に出てしまう。


「……華乃、お兄……何やってんですか……」

「なにって覗きじゃん」

「はぁ……意味ないでしょう、そんなことしたって。どうせオンエアで見られるんですから。あなたたちってホント狭いとこ隠れたりするの好きですよね」


 呆れたようにため息をつく久吾。

 とりあえず軽く頭を下げて謝りながら俺もクローゼットから出る。

 ホント意味なかったな。まぁでも俺は賭けに勝ったぶんプラスだな。ずいぶんと悪趣味な賭けではあったが……。


「てかさぁ、あんた何でリコのこと押し倒さないの? 夢がどうとか意味不明なことぬかしてたけど、あんたんこと好きとは言ってんだから、あとは押しでしょ。そんなの関係ねーって押し倒しちゃえば行けたのに」


 さっきまでリコが座っていた位置、久吾の隣に腰を下ろしながら華乃が嘆息する。

 おいおい、往生際が悪いぞ。何をそんなに……、


「はぁ? だからそんな非常識なことできるわけないって言ってるでしょう」


「あー非常識ね、そっかそっか、まぁ、そだね。うん、別にあたしも初めからあんたが女子を押し倒せるなんて思ってたわけじゃないしね。わかってた、あんたがそんな思い切ったことするわけないって。まさに想像通り。これがお兄だったらリコを押し倒してただろね。いやわかんない、押し倒すのとも違う、もっと全然意味わかんないこと仕出かしてたかも。想像なんてつかない。そんでリコもお兄のそんな突飛な行動にさらに突拍子もない奇行で返してただろね。ホント意味不明でキモい二人。あんたはさ久吾、お兄やリコとは違うもんね。二人について行くくせに、二人の真似をするくせに、ホントは全然二人のようにはなれない。二人が渡る危ない橋を慎重に慎重にコンコンと叩いて確かめてあげるだけの役。自分は渡らない。渡れない。うん、うん。いいねー。好きだなー、あたしはそんなあんたが。心が安らぐもん。信用できるもん。表面的にいくら尖ったことしようとしたって、本質は結局ルール通り、マニュアル通り。毎回毎回、『期待通り』八十点を出してくれる。いつだって見てて安心――いや違うね。見てる必要すらないね。だって想像通りのことしかしないんだから、」


「舐めないでくださいよ、あほ華乃。オレだってこれくらい……っ」


 久吾が、片手を華乃の腰に回し、片手で華乃の肩を押して――そのまま倒れ込んだ。


 あ――っ。


 四つん這いの久吾の下で仰向けになった華乃が、悪戯な笑みを口元に湛えてペロッと舌先を出してくる。その意地の悪い目は、自分を押し倒してきた久吾ではなく、それを呆然と眺めていることしかできなかった俺のほうを向いていて。


 いや、確かに賭けの対象は「久吾が女子を押し倒すかどうか」だったけどよ……そんなのアリかよ……まぁしょうがねぇ、俺の負けだ。


「はぁ……で? 押し倒して、次は?」

「次って……っ」

「別にあんたがしたいとこまでしたっていいよ? あたしは別に、どうだっていい」

「そんなこと、冗談でも言わないでください。趣味悪いですよ華乃……すみません、すみません華乃……ああ、オレ何てことを……自首してきます……」


 力が抜けたように華乃の上から退き、頭を抱えてベッドに突っ伏してしまう久吾。


「いいよ別に。あんたに押し倒されたって一ミリも怖くないもん」


 ああ、そうだろうな。結局華乃にとって、久吾は最後まで自分の想定通りに動いてくれただけなのだから。


「死にたい……」と呻き続ける久吾とは対照的に、不敵な微笑みを浮かべる華乃。

 そんな華乃らしい小生意気さにはとても似つかわしくない暗い暗い瞳の奥が、五年前のあの日の妹の表情を思い起こさせてきて――俺を首を振って、そんな雑念を振り払った。


 そんなことはもう忘れたはずだから。今さら思い出したって、何の意味もないのだから。

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