第38話
「あーだいぶ荒れちゃってる……やっぱ一時間にしとけばよかった……」
「どういうつもりなんだ、ジンジン。そろそろ説明してくれ」
ジンジンに連れて来られたのは、久ちゃんと華乃ちゃんを最後の卒業生にして廃校になってしまった、私達の母校の校庭だった。
街灯も信号もないド田舎の夜。いつもは綺麗な月も星も分厚い雲の向こうに隠れてしまっている。
車のヘッドライトの光だけを頼りにジンジンはグラウンド整備を始めていた。
元々は十年前、私達六人が勝手に作った野球場である。もう何年も使われていないこともあって、ダイヤモンドはすっかり荒れ果てていた。
「うーん、ヤバいな、間に合わないや。仕方ない、他は無視してマウンドだけでも完璧にしよう。綾恵、久ちゃんの踏み出しの幅とか分かるよね? あ、でもトルネード投法だと変わるのかな……」
「いや、今日の試合中ずっと観察していたが、歩幅はこれまでのフォームと全く変わらず六歩半だったな。私なら目測でも正確に再現出来るが――って、おいジンジン、まさか……」
「うん。だってもう、あの子達が正面からぶつかり合うしかないんじゃない?」
バケツに入れた水と木製のトンボでピッチャーマウンドを整えながらジンジンが言う。
しかし、ジンジンのその考えに私は賛同し切れない。
「……そんなことをして本当に意味があるのだろうか……。結局はあの子達次第ではないか。もう私達に出来ることなど、」
「ないね。何もないよ、出来ることなんて。自己満足だよ。その自己満足すら出来なかったから僕達はこんなことになってるんだろ」
「――――っ」
あの日のことか……。
五年前のあの出来事について、ジンジンと話すのは初めてのことだ。互いに触れないことが暗黙の了解になっていた。
「自己満足って……つまり逆に言えば、ジンジンはあの日、私達がリコちゃんの元へ駆けつけていたとしても、何が出来ていたわけでもないと思っているのか?」
「うん。だってそうでしょ。お兄君がリコちゃんのところに辿り着くまでが信じられないような早さだったからね。殴るのを止めるのにはどう考えても間に合わなかった。だから、結局は僕達の気持ちの問題だろ。四人のために行動を起こせたのかどうかっていう」
「……確かに、それはそうなのかもしれないが……だから今回は、たとえ何の意味もなかったとしても、自己満足だったとしても、四人のために何かしようって?」
「まぁ、そういうことかな。でも本当に無駄だと思うんなら言ってほしい。綾恵が止めるなら僕もやめる。何となく、二人でやらなきゃ意味がない気がするから」
それではまるであの日と同じではないか。ずるいぞ。そんな風に言われたらやらないわけにはいかないではないか。
戸惑いを拭えないまま、私もトンボを手に取り、マウンド整備を手伝う。
足下はやはりガタガタだ。何年もの月日が私達の手作りのマウンドをズタズタに削ってしまっていた。このままではピッチャーを怪我させてしまう。
「…………なぁ、ジンジン。何でこの前リビングであんなこと言ってきたんだ? 久ちゃんと付き合えだなんて……」
その綺麗な横顔に向かって問い掛ける。
さっきまで、もっともっと話しづらいことを話していたから、ある意味今は、聞きづらかったことを聞くチャンスでもあると思ったのだ。
「んー? まぁただの八つ当たり」
「は?」
「君が久ちゃんとエロいことしてたから、まぁいわゆる嫉妬なのかな。だから君にも妬いてもらいたかったんだ。ちょっと怒らせたかった。怒ってくれて嬉しかった」
「……それはどうも」
まだ私に気持ちが残っていたのだな……。何というか……喜んでいてはいけないのだがな……。
お互い強く想えば想う程、虚しさが増すだけなのだから。
「まぁでも、久ちゃんには余計な迷惑かけちゃったね。もっとちゃんとフォローするべきだったかな」
「別に気にしていないだろう。ふっ、私が言うのもなんだが、昔から君は本当に久ちゃんの世話を焼くのが好きだよな」
「まぁ従兄弟だしね。それに誰かがちゃんと見ててくれないと不安なんだよ、あの子は。背負い込むところがあるから」
久ちゃんも君に言われたくはないだろうがな。なんて、君も私には言われたくないか。
きっと私達は「この五人は自分が付いていないと駄目だ」と六人全員が思っている。
「それなのに県外の高校に行ったりするしな。十五歳で村を出てしまうなんて、私も本当に心配だった」
「たぶんそのことすら自分を責める理由にしちゃってるんだよね。自分はここから逃げ出すために浦学に行ったって、お兄やリコちゃんの近くで野球をするのが辛かっただけだって、少なくとも本人はそう思いたがってる。自分を責めたくて仕方ないんだ」
「何となくそんな気はしていたが……本当によく見ているな、久ちゃんのこと」
「まぁ、今回も久ちゃんが心配で参加したぐらいだしね」
「ん? 何にだ?」
「メゾテラ。久ちゃんが番組オーディションに応募してたこと知ってたんだよ、叔母さんに聞いて」
「は……?」
「だから久ちゃんには内緒で僕も申し込んだんだ。自分の知名度上げるためだって叔母さん達にも説明してたみたいだけど、ちょっと久ちゃんらしくないなと思って。相当焦ってるというか……心配だろ、誰かが近くにいてくれないと。まぁ蓋を開けてみたら何故かその『誰か』しかいなかったわけだけど。だからまぁ、僕と久ちゃんが揃ったのは実は必然だったんだよね。他の四人までいたのはやっぱ何度考えても凄い奇跡だけど」
「……そうか、そういうことだったのか……」
一ヶ月前の、私達がメゾテラに入居したあの日。一人、また一人とダイニングに入ってきた時のそれぞれの表情を、視線の動きを、思い返す。
――なるほどな。考えてみれば当たり前のことだ。無作為に集められた六人が全員幼なじみであるなどどという偶然が、起こるはずなどないのだから。
頭の中で点と点が繋がっていくにつれて、不謹慎な程に笑いが込み上げてくる。
はぁ……本当に私達って――同じようなことを考えてしまうのだな。
「くっ、くふふ」
「なに? なに笑ってるの?」
「いや、そのな……そうだ、あれだ、君があの鼻に付くイケメン風演技でリコちゃんと華乃ちゃんにフラれているシーンを思い出してしまってな」
今はまだ、誰にも説明しないでおこう。
いつか何年後か、何十年後か、初めて気付いて驚いた顔が見たい。皆で笑い合いたい。楽しみはとっておこう――なんて、結局私は自然と、皆と一緒にいる未来を思い描いてしまうのだ。それしか、思い描けないのだ。
ならばもう、どんな手を使ってでも、繋ぎ止めるしかないではないか。
「そういえば、ジンジン。計画では君は私のことも口説く演技をする予定だったはずだが。未だに口説かれていないぞ?」
「……えー……何でそんなこと……そこは有耶無耶にしてしまおうってのが僕達の暗黙の了解だったんじゃないの……?」
「ふふ、そんなものに甘えていないで、たまには言葉にすることも必要なんだぞ?」
「まぁ……でもそうか、ちょうどいい機会なのかもね。計画では綾恵を口説いて――フラれるって話だったもんね」
「ああ」
「僕は、君にちゃんとフラれる勇気がなかったんだ。皆にあの日のことを知られる以上に、君と別れたっていう事実が明確になることが怖かった。でも、そんなんじゃダメだよね。あの子達の背中を押そうっていうのに、自分達の関係の清算すら出来ていないなんて。いっそ全てを終わらせてしまえば、リセットしてしまえば、僕達もまた友達ぐらいには戻れるのかもしれない。うん、分かった。今から綾恵を口説く演技をするから、君もちゃんと頼むよ? 僕をはっきりとフる演技をしてくれよ」
私は何も答えず、グラウンド整備を続けながら、その言葉の先を待つ。
徐々に徐々に足下は固まっていっていた。傷だらけだったマウンドを敢えて掘り返して、水を加えて再度埋め固めて、そうやってまた使えるように整えていく。
「綾恵、好きだよ」
「――――」
震える両手を誤魔化すようにトンボをギュッと握り、頬を真っ赤に染めたジンジンは潤んだ両目で真っ直ぐと私を見つめてきた。
「ずっと好きだったんだ。あれから何年間も諦めようと自分に言い聞かせてるのに、好きな気持ちが消えない。毎日毎日会う度に昨日よりも好きになってしまうんだ。当たり前だよ。いつだって僕達のことを誰よりも考えてくれる世界一優しい君を世界一近くで見ているんだから。だから、もっと自分に自信を持てよ。きっとこの先、世界中の人が君のことを好きになるよ。それくらい魅力的な心を持っているんだ、君は。でも、それでも、世界で一番君のことを好きなのは、やっぱりいつまでも僕だけどね。ずっと好きだったし、これからもずっとずっと――君のことが好きだよ」
「――ふっ、ふふふっ、アハハハっ!」
「えー……もうやってることリコちゃんじゃん」
「ふ、ふふ、だって君っ、何をそんなに真っ直ぐ……っ、それでは口説くというより告白ではないか。付き合い始めた時だってそんなに直球で熱い告白してもらっていないぞ?」
本当に君って奴は……。どこまでも不器用だよな。
「仕方ないだろっ、あの頃は思春期だったんだから……それに、これは演技だしね。ほら、早く君の方も演技してよ」
「ああ、そうだな。ジンジン、私も君のことがずっと好きだぞ。これまでもこれからも」
「いや……何で……っ」
「君だって演技になっていなかっただろう? ずっとって、私達は初対面だという設定なのに。演技なしの本物のジンジンの言葉を貰ったから、本物の私の言葉を返したまでさ。というかジンジン、手が止まっているぞ? もう少しで完成だ。頑張れ」
「あ、ああ、そうだったね」
デコボコのダイヤモンドの中で、その中心だけが綺麗に整っていく。
土が入れ替わったわけではない。昔からの土のままでもこうやって手入れをすれば心地の良い場所になるという、ただそれだけのことだ。
「またお互い、ちゃんと正面から向き合っていこう」
だから、一から全てやり直そうだなんて、絶対に言わない。
これまで積み上げた失敗の上に立って、何度も何度も修繕を重ねながら、それでも全てを完璧には直せないだろうけれど――そんなツギハギすらも傷跡すらも、君達となら愛おしく思えてしまうはずだから。
「……もちろん僕はそうしたいけれど……でも、本当に綾恵は僕のことをまだそんなに想ってくれているの? 君は優しいから、僕のために無理をしてるだけじゃないのか」
「想っているよ。想い過ぎているぐらいだ。私ってかなり重くてしつこい女なんだぞ? 元彼を追いかけて、元彼が他の女と親密にならないか監視するために、メゾテラに潜り込んでしまうくらいだからな」
「は……?」
「知っていたんだ、君がメゾテラのオーディションに参加するって。すまない。君の周りに女の影がないか、メールや通話履歴をついつい覗いてしまったんだ。てへっ」
「てへっ、じゃないよ、超可愛いから許す。はぁ……ホント、君には敵わないよ」
そうやって二人で笑い合って――そんなタイミングでちょうど、マウンドも完成する。
これできっと、久ちゃんも思い切って足を踏み出せるはずだ。
「お、主役が来たみたいだぞ」
「本当だ。さぁ、本当に体を張らなきゃいけないのはここからだよ。はぁ……やっぱちょっと嫌だな……」
私が指差した方を見て、ジンジンがこめかみを押さえながらも柔らかく微笑む。
気まずそうに少しずつ距離を取りながら、私達の弟みたいで妹みたいで、私達が世界で一番憧れている四人が、とぼとぼと歩いてきていた。
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