第4話 バーゼルの街

 蔵之介たちがキース男爵領への入領手続きを終えて衛兵の詰所をでると、一緒に戻ってきた護衛の冒険者と女性たちが待っていた。


「先生、無事に手続きは終わりましたか?」


「衛兵たちに何か言われませんでした?」


「時間がかかったから心配しましたよ」


 馬車に同乗していた女性たちがワラワラと伊勢蔵之介いせくらのすけの周りに集まりだす。

 蔵之介は後退りながら、衛兵の詰所で発行してもらった入領証明証をかざして見せた。


「ご心配をお掛けしました。この通り、無事に入領できました」


 ハンナが蔵之介と一緒にでてきたロイに鋭い一言を投げつける。


「ロイ。時間がかかりすぎだよ。相変わらず要領が悪いんだから」


「手続きに時間がかかっちまったのはオークに襲われた報告と、それを先生に助けてもらったことを説明してたからだよ」


 ロイが不機嫌そうに言い返す隣で、蔵之介が援護する。


「ハンナさん、ロイさんは親身になって口をきいてくれました」


 入領手続きに手間取ったのはオーク襲撃の報告もあったが、国交のない ベルリーザ王国から訪れたことが最大の要因であった。


「ほら見ろ! 先生だってこう言ってるだろ」


「まあ、先生がそう言うならいいか」 


 蔵之介の感覚からすれば、国交のない国からの入国・入領手続きに、三十分もかからなかったことの方が驚きだった。

 しかも身分を証明するものが一つもない状況で、だ。


「ロイさんがいなかったらもっと時間が掛かっていたはずです。感謝しています」

 

 蔵之介に続いて三好誠一郎みよしせいいちろう西園寺清音さいおんじきよねが感謝の言葉を述べる。


「ハンナさん、本当に感謝しています。ありがとうございます」


「ありがとうございます。お陰で助かりました」


「気にしなさんなって。お礼だよ、お礼」


 照れたように視線を逸らすハンナをみて苦笑する、彼女の弟のルディと護衛のグレンが言う。


「何を言っているんですか。こっちこそ助かりましたよ」


「違いねえ。先生は命の恩人だからな」


 亜麻色の髪を揺らして、一人の少女が蔵之介に駆け寄る。

 蔵之介と同じ馬車に乗っていた少女だ。


「先生、これあたしの実家です。宿屋をやっているの。泊っていってください」


 そう言うと少女は一枚の紙片を蔵之介に差しだした。


「それは助かるよ。どこか泊るところを紹介してもらうつもりでいたんだ」


 紙片には『命の恩人だから泊めてあげて。詳しいことは後で話すから』、と走り書きされていた。


「キャーッ、ミリー、やるー」


「あー、ずるい!」


「抜け駆けー!」


「うわー、積極的ー」


 幾つもの嬌声が響く中、やっかみの声と少女を冷やかす声が幾つも上がる。


 続いて伸びてきた幾つもの手が、ミリーを蔵之介から引きはがした。

 代わって別の女性たちがたちまち彼を取り囲む。


「先生、私は薬師だけじゃなくて怪我人も見ているんです。怪我をしたら教会に来てくださいな」


「学者先生、病気になったら教会にきてくださいね!」


「先生になら、ポーションも卸値でお渡ししますよ」


「ありがとうございます。もし怪我をしたり病気になったりしたらよろしくお願いします」


 この場を抜け出そうと三好と清音に助けを求めるが、二人は我かんせずといった様子で背を向けて会話をしていた。

 諦めた蔵之介が視線をロイに向けると、群がる女性たちを引きはがす。


「お前らいい加減しとけよ。先生が困っているだろ!」


「もてない男って嫌ねー」


「ロイさん、妬かない、妬かない」


「えー、ロイさん妬いているの?」


「ハンナ、ロイさんに冷たくしすぎてるんじゃないのー」


「ほら、ハンナ。ここはロイさんを怒るところだよ」


 たちまち矛先がロイとハンナに向く。

 護衛の冒険者二人をからかう依頼人の女性たち、という構図ができあがった。


 ◇


「ロイさん、皆さん、お世話になりました」


 街中の大通りを進む荷馬車に向かって蔵之介が手を振る。

 荷馬車の上からは薬草摘みの女性たちが派手に手を振り返し、護衛の冒険者四人は遠慮がちに手を振り返していた。


 蔵之介の傍らで三好と清音も馬車に向かって笑顔で手を振る。


「刑事さん、何かしたんですか?」


 笑顔のまま蔵之介に問いかけた。


「何もしていませんよ」


「伊勢さん、何をしたんですか?」


「だから、何もしていないって」


「ご婦人方の反応が普通じゃないように思えるのは、私の気のせいでしょうか?」


「気のせいです」


「魔物から身を挺して守ってくれる。女性はクラッときますよー。しかもそれが、身の回りにいるような冒険者じゃなく、今までいないタイプの学者さんなら、なおさらでしょうねー」


「やだなー、西園寺さん。学者と偽ったのは違う狙いからだからね」


 この世界の常識に疎いことをごまかすため、蔵之介は世間知らずの学者の身分をかたった。

 清音の言うように、思いがけず女性たちの興味を引いたのも事実だ。


「外国からやってきた、十匹のオークを瞬殺する学者ですか。ミステリアスですなあ」


「身綺麗で物腰も柔らか。しかも、世間知らず! ちょっと世話を焼いただけで、感謝されちゃうんですよー」 


「なるほど、モテそうな設定ですな」


「モテモテですね。伊勢さん」


「いやー、この世界の女性の反応は予想もできないねえ」


 はぐらかそうとするが、清音は放さない。


「琴乃に言い付けますよ」


「なんでそこで琴乃さんがでてくるの? おかしいよね?」


「琴乃、可哀そう……」


 わざとらしくうつむく清音に、蔵之介が抗議の声を上げる。


「可哀そうなのは私だよ。あらぬ嫌疑をかけられているんだから」


「やましいことがないなら、琴乃に知らせても大丈夫ですよね?」


「いやいや。琴乃さんは、ただでさえ一人になって寂しい思いをしているんだ。余計な心配事は増やさないようにしようか」


「心配事ですか……」


「そう、ただの心配事だよ」


 慌てる蔵之介を面白がるように清音が尚も言う。


「本当、心配ですよねー」


「娘さんもその辺りにしておきましょうか」


 必死に笑いをこらえる三好の言葉に蔵之介が便乗した。


「そんなことよりも、この街の情勢の方が心配だと思わない?」


「街の情勢、ですか?」


 珍しく空気を読んだ清音が三好と蔵之介に合わせて反応した。


「確かにきな臭い感じでしたな」


「よそ者の冒険者や傭兵が街にたくさんやってきて、もめ事が絶えないと言っていた件ですよね?」


「それは表面的なことだよ」


 清音の興味がそれたことに蔵之介は胸をなでおろした。

 そして首を傾げる清音に微笑みかけると、さらに言葉を続ける。


「根底は鉄鉱脈の利権だからね。ここの領主であるキース男爵と隣のバーンズ伯爵との争いに遠からず発展するんじゃないかな」


 三好が『よく分かりませんが』と前置きして話しだす。


「鉱脈はキース男爵領にある訳ですから、国王に申しでれば隣のバーンズ伯爵は手出しできないのではありませんか?」


「王家にそこまでの力がないのでしょう」


 王家に力がなく、力のある領主が他領の利権を掠め取ろうと火種を送り込む。

 即座に軍事行動に移らないだけ、日本の戦国時代よりましな状況くらいに予想をしていた。


「助けるんですか?」


「助けるも何も、まだ何も起きていないよ」


「何か起きてからじゃ遅いですよね?」


 よく聞くセリフを聞き流して蔵之介がやんわりと返す。


「私たちはよそ者だからね。状況を理解するまでは、大人しくしているのが正解だ。それに下手に首を突っ込むと、悪戯に騒ぎを大きくすることになるかもしれない」


「刑事さんの言う通りですな。取り敢えずは情報を集めましょうか」


「そう、ですね」


 どこか釈然としない様子で清音が小さくうなずいた。


「それで我々は次に何をしますか?」


「そうですね。当面の資金は手に入ったので、街を散策しながら宿屋に向かいましょう」


 蔵之介はミリーから受け取った紙片をストレージに収納する。

 代わってオークの魔石をロイたちに売って手にした銀貨を取りだした。


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